ボトルを振ったシャンパン、コルクがボロボロの赤ワイン…… 熾烈なソムリエコンクール
ソムリエが切磋琢磨しあい、自らの知識と技術を競い合うコンクールがあることをご存知でしょうか?
テレビ、メディアで活躍するソムリエ界の巨匠、田崎真也さんは、日本人で唯一ソムリエの世界コンクールで優勝した人で、残念ながらその後に続く人は未だ輩出されていません。
ソムリエコンクールは、ワインをテイステイングして当てるだけでなく、様々なシチュエーションを想定したサービス実技が課されます。 鍛錬を重ねてきたソムリエを振るい落とすべく、時にはトリッキーな仕掛けも用意されています。
ボトルを振りまくったシャンパン、コルクがボロボロの赤ワイン、3テーブル同時にオーダーなど、普段のレストランサービスではあり得ない設定を、選手たちは乗り越えなければならないのです。
ベテランの中でも頭角を表す27歳 “岩田渉”
今回は、そんな熾烈な闘いに挑み、世界を目指す27歳の若きソムリエ、岩田渉さんをご紹介します。
岩田さんは、今年2016年2月に行われた若手ソムリエを対象にしたコンクール「ソムリエスカラシップ」で80人の中から3名の優秀賞に選ばれました。
78人がエントリーした7月開催のポルトガルワインコンクールでは2位に、JET CUPイタリアワインベストコンテストでは昨年138人中3位に入賞。ソムリエスカラシップ同時開催のシャブリワイン賞とニュージーランドワイン賞も受賞しました。
今年のJET CUPでも出場5回目のソムリエが優勝を果たしたように、コンクールに勝ち残るのはベテランが多いなか、岩田さんは5年10年と研鑽を重ねたソムリエに負けない活躍を見せ、まさに新進気鋭の若手ソムリエです。
「ソムリエスカラシップ」では、通常することはないシャンパーニュのデカンタージュ*1という作業も難なくこなし、流暢な英語でのサービスが注目を集めました。
*1デカンタージュ‥‥熟成の進んだ特にボルドーワインはオリと呼ばれるブドウの成分が沈澱しているため、それを取り除くためにデカンタと呼ばれる容器に移す作業。最近ではワインの香りを立たせるため、若いワインもデカンタージュすることが多くなったが、シャンパーニュをデカンタージュすると泡も気発してしまうため、通常で行うことは少ない。
もともとワインはほとんど飲んだことがなかったという岩田さんが、どうしてソムリエになって世界を目指すようになったのか?そこには、岩田さん流の“アウトロー哲学”がありました。
突然の大学休学→4年間の海外生活
ーーこんにちは。今日はよろしくお願いします。
岩田:よろしくお願いします。
ーー過去の実績について拝見いたしました。ソムリエスカラシップのコンクールでは英語またはフランス語でサービスするという課題があったそうですね。その中で岩田さんの英語のプレゼンテーションは群を抜いていたようですが、英語はどうやって習得されたのですか?
岩田:大学の時に3年間ニュージーランドで過ごしたので、その時ですね。
ーーそれは留学されてたんですか?
岩田:いえ、休学ですね。同志社大学だったのですが、4年間まで休学できたんです。
ーーなぜ4年間も休学して海外生活を?
岩田:大学生活が面白くなかったんです。
ーーせっかく名門大学に入学したのに、学生生活は面白くなかったのですか?
岩田:確かに大学受験の時にはめちゃくちゃ勉強しました。ただ高校も3年間ラーメン屋でアルバイトをして通い、大学進学も自分で費用を用意するのが条件だったので、奨学金をもらって通い、バイト漬けの生活でした。毎日バイトをしていたので、サークルにも入らなかったんです。
“近所のスーパー”と“マンガ”が、ワインの世界へ導いた
ーー若い頃からものすごい努力をされてきたんですね。海外へ興味を持ったきっかけは?
岩田:2年の夏休みに、ふと海外に行ってみたくなり、ベトナム、シンガポール、マレーシア、タイ、カンボジアを旅行したんです。一人貧乏旅行で英語も話せなかったけれど、ワクワクして楽しくて。海外って面白いな、また行ってみたいな、と思うようになりました。
ーー初めての旅行でずいぶん影響を受けたんですね。
岩田:海外で刺激を受けて旅行から帰ると、もうどうにも大学が面白くなくて。このまま卒業したらつまらない、いてもたってもいられなくなってしまいました。それで休学届けを出し、ニュージーランドに旅立ったんです。
ーーどうしてニュージーランドにしたんですか?
岩田:東南アジア旅行で英語が話せるようになりたいと痛感したので、英語圏の国で費用が一番安いという理由で決めました。
ーー滞在中は語学学校に通われたんですか?
岩田:はい。最初は3カ月のつもりだったのですが、なかなか上達しなかったので、結局6カ月、学校に通いましたね。ワーキングホリデーで滞在していたので、夜は日本食レストランで働きました。
ーーレストランではどういう仕事をしていたのですか?
岩田:調理です。店では日本食を作っていました。高校時代にしていたラーメン屋のアルバイト経験がここで役立ちました。
ーーその店でワインは扱っていたのですか?
岩田:ワインはなかったですね。
ーーどうしてワインに興味を持ったのですか?
岩田:近所のスーパーで、でっかい棚一面にズラーっとワインが並んでいて、種類もむちゃくちゃたくさんあって、ワインがすごく身近にあったんです。それで自分も試してみたくなり、買って飲むようになったのがきっかけですね。
ーーニュージーランドでも日本と同じで若い人はビールを飲んでる印象があるのですが、岩田さんはワインを飲んでたんですね。
岩田:そうですね、ビール飲んでる人が多かったです。でも自分は、自然に囲まれてのんびりと過ごすニュージーランドの生活がすごく肌に合って、プレッシャーのない毎日にワインがぴったりきたんですよね。日本にいた時はアルコールはほとんど飲まなかったんですが。いろいろ飲むうちに品種の違いや、土地の個性があることを知り、面白くなってきました。
ーーニュージーランドは行ったことないですが、大自然の中で飲むワイン、心地よさそうですね。
岩田:まさにその通りです。休日にはドライブしてワイナリー巡りをするようになりました。
ーー休日にワイナリー巡り、憧れます。でも、ワーキングホリデーの期間は1年ですよね?
岩田:はい。ですが、すっかりニュージーランドの生活が気に入ってしまい、1年では帰国せず、結局3年間滞在しました。
ーー一度も帰国しなかったんですか?
岩田:はい。大学が休学を認める間は、目一杯休もうと思って。
ーーニュージーランドにいながらどうしてソムリエになろうと思ったのですか?影響を受けたソムリエがいたのでしょうか?
岩田:「神の雫」の影響です(笑)
ーー「神の雫」がワインにハマる窓口だったというのはよく聞く話ですが、いきなりソムリエを目指してしまったわけですね?
岩田:はい。ちょうどワインを飲んでいる時に読み始めたので、俄然ソムリエに興味が湧いてしまって。ニュージーランドには3年いたのであと一年いたら永住権も取れたんですが、ワイン産地を何としても見たくなって、一年の予定でヨーロッパを周遊することにしました。
3年間で250万円を貯めワイン旅行、そして再び京都へ。
ーーヨーロッパに1年も⁈ 失礼ですが、旅行代はどうされたのでしょうか?
岩田:ニュージーランドは最低賃金が高かったので、働いていた3年間で250万円貯まったんです。旅行代はそこから出しました。
ーー留学中にそんなに貯めたという話は、なかなか聞いたことないですね。
岩田:ヨーロッパではフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ドイツ、スイス、オーストリア、クロアチアを訪れ、ほとんどのワイン産地を巡りました。
ーー学生でヨーロッパのワイナリー巡りをする人って本当に珍しいですよね。それで帰国後はまた学生生活に戻られたのですか?なんだかそれだけ自由な海外生活を謳歌した後だと、戻るのも大変そうな気がしますが。
岩田:自分の中で大学を中退する選択肢はなかったので、復学しちゃんと卒業しました。すぐにバイトも始め、知り合いの紹介で京都の「Cave de K」というワインバーで働き始めました。
ーー現在、働かれているお店ですよね?そのまま就職されたのですか?
岩田:大学を出てまた海外にも行ってみたかったし、東京にも行ってみたい気もしましたが、ソムリエを目指すならこのまま京都で勉強できることもあるように思え、店で働くことにしました。
ーー同志社大学を卒業すれば、いろいろな選択肢があったように思えますが、全く就職活動はされなかったのですか?
岩田:はい。ソムリエになることに迷いはなかったので。周りの学生はみんな一生懸命就職活動していましたが、全く焦りもありませんでした。自分としては今の何もない状態で仕事を探すのは意味がない、実績を残して向こうからオファーが来るようにしよう、と思っていましたから。
ーー「Cave de K」は、リッツカールトン京都の向かいにあり、京都の一等地にあるお店ですよね。クリュッグ*2をグラスサービスしていることからも、ものすごくセレブ感のあるお店だと思うのですが、来ているお客さんもすごそうですね?
*2 クリュッグ‥‥数あるシャンパーニュの中でも最高級と評されるシャンパーニュで、最低でも6年間の熟成を要し、希少価値は極めて高い。一番若いビンテージ(ブドウの収穫年)でも通常ボトル20,000円以上するので、グラスでサービスする店はほとんどない。
岩田:はい、普通なら会えないような有名な方や偉い方がいらっしゃいます。
ーーお客さんもワインに詳しそうで、緊張しませんか?
岩田:そうですね。幸い、まだ芸妓さんの着物にワインをこぼすような粗相はしていません(笑) でも、確かに学生の立場で働いていた頃と違って、お客様の目が厳しくなりました。言葉遣い、コミュニケーション、すべての対応に責任を感じます。
「やるからにはトップを目指したい。」コンクールで広がった、ソムリエの世界。
ーーコンクールに出場するソムリエは、ホテルやミシュラン星付レストランで働く人が多く、職場に出場経験のある先輩がいるようですが、岩田さんにはそういった方はいらっしゃったのですか?
岩田:いませんでした。もともとバーなのでウイスキーがメインで、ソムリエは自分だけでした。なので、ソムリエ資格を取る時も独学でしたね。関西はまだワインスクールも少ないですし。
ーーそういう環境の中で、どうしてソムリエコンクールに出ようと思い立ったのですか?
岩田:ソムリエ協会の会員になると、勉強会、ワインセミナーに参加するようになり、コンクールの存在を知りました。ソムリエになったからにはトップを目指したい、というのがきっかけですね。
ーーコンクール出場に際し、どのようにトレーニングをしたのですか?
岩田:月2回勉強会に参加し、レポートを書いて覚えたことをアウトプット。またスカラシップに選ばれてからは、月1回東京での勉強会にも参加しています。コンクールで優勝したソムリエの方に会う機会も増え、仕事を通し自分の世界がすごく広がったと感じています。
ーー来年4月には日本一のソムリエを決める「全日本最優秀ソムリエコンクール」にも出場されますね。忙しい中、勉強したりトレーニングしたりするのは大変そうですが、ワインの名前の暗記とか嫌になったりしませんか?
岩田:全くないです。ワインの勉強は終わりがない。わからないからこそ、極めたくなるというか。だから嫌にならないんです。逆に全部わかってしまったら、もう興味がなくなって止めてしまうような気がします。
ーーこれまですごく順調に歩まれているように見えるのでが、悩みはありませんか?
岩田:勉強のために食事代がかかることですね。フレンチ、イタリアンはもちろん、懐石、蕎麦、中華、エスニックと、すべての料理を知らなければならないので、自分で食べ歩かなければならなくて。給料は全部食事代でなくなってしまうのが辛いところです。
ーー最後に全日本最優秀ソムリエコンクールに向けて抱負を聞かせてください。
岩田:今年、アルゼンチンで行われた世界ソムリエコンクールの最年少の選手は24歳だったので、「自分なんてもう若手じゃない」とソムリエの諸先輩には言われるのですが、やはりまだ若い、ということを武器に思いっきりぶつかっていこうと思っています!
楽しいことも、辛いことも笑顔で話す岩田さん。
希望に燃える若者です。
これまでの歩み通り、不屈の精神で、きっとこれからの荒波もさらっと乗り切ってしまっていくんだろうな、と思わせる人です。
来年2017年4月開催の「全日本最優秀ソムリエコンクール」での健闘を期待しています!
- Cave de K
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