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「いいビアバーには、哲学がある」 ビアジャーナリストの私がビールの奥深さに気付かされた店

ライター紹介

野田幾子
野田幾子
ビアジャーナリスト/ビアアンバサダー。日本ビアジャーナリスト協会副会長。94年にベルギービール、96年に国産地ビールの美味しさに目ざめ、ビアアンバサダーとしてクラフトビールの普及活動を開始。ビアバー・ビアパブムック『極上のビールを飲もう!』(エンターブレイン刊)を執筆し、ほぼ毎年シリーズを刊行。雑誌でのクラフトビール特集の執筆・監修など多数。

いいビアバーには、哲学がある。

2007年からクラフトビアバーの取材を始め、現在はビアジャーナリストとして活動しています。

自己紹介するとよく聞かれるのは、「おすすめのお店を教えて」。都内だけでも300件以上あると言われるビアバー、確かにインターネットで検索しただけでは自分が居心地よく感じる店なのかどうか、判断がつきませんよね。

というわけで、私が心惹かれる店舗を、店主の哲学や矜持とともにご紹介していきます。

クラフトビールの哲学〜赤坂「sansa」〜

溜池山王駅から赤坂駅方面へゆるゆる続く坂道を登っていくと、「beer public space sansa」の明かりがぼんやり見えてくる。ウッドデッキの階段を登り、鉄の取手のひんやりした冷たさを感じながらドアを開けると、目の前に現れたカウンターの奥で店主の橋本一彦さんが柔らかく微笑んでいた。

「こんにちは」

sansaは、クラフトビールが持つ個性に合わせたグラス、料理との相性など、ビールの可能性を追求しているビアバー。スイス、ベルギー、アメリカ、国産など、8、9種類の樽生ビールや、複数種のボトルビールをそろえている。

橋本さんの目利きの確かさ、筋の通った提供の仕方と品揃えに、ビール業界のみならず他ジャンルの有名店からも一目置かれる存在だ。

2012年11月のオープンからほどなくしてsansaに足を踏み入れた私は、一度でこの店に惚れ込んだ。内装で目がいくのは、コンクリート打ちっ放しの壁にエイジングを施した木枠。

空間は無機質なのに"温もり"がある。それは、ビールや料理の香りと彩りはもちろん、橋本さんの優しい語り口や心地の良い距離感、状況を見て提案してくれるビールへの信頼感、心踊る創意工夫ぶりなど、無機質の中でこそ映える有機質の温もりだった。

「自由度の高さ」それがビールに惹かれる理由

橋本さんは、ビールが持つ「自由度の高さ」に魅力を感じているそうだ。

「ワインや日本酒は原料がキッチリ決まっています。副原料の規定にとらわれないお酒は、ビール以外ほとんど存在しません」と橋本さん。

「ビールは通常、麦汁で醸造しますが、仮に70パーセントのぶどう果汁に30パーセントの麦汁を使って発酵させた場合においても、『ワイン』ではなく『ビール』としてカテゴライズされる。単なる『麦のお酒』というだけでない自由度の高さを許容して、取り入れていきたいんです」

橋本さんは、10年前に札幌でクラフトビールの美味しさに目覚めた。札幌市内のビアバーで働いた後、sansaの立ち上げに携わる。

「ビールって意外と知られてないけれど、表現の仕方、見せ方、伝え方で世界観を広げられるんじゃないかと思いました」

ビールの世界観を広げ知ってもらうために、ハンドメイドの高級グラスを製作する木村硝子の薄張りやワイングラスを採用。色、香り、味わいはもちろんのこと、「木村硝子でビールを飲む体験」を提供し続けている。

すべてのビールが美味しく飲めるようアプローチする

他ジャンルのシェフや酒販店などと付き合う中で感動体験があれば、早速ビールとの組み合わせを試してみる。たとえば、酸味の強いストロング・サワーエールに燻製した胡椒をふりかけ、それぞれの香りが持つ個性のマッチングを提案したり、小麦を使った爽やかなビールに抹茶を入れて軽く泡立て、ビールの香りと苦味との調和を楽しんだり。

これらは、橋本さんが自らの感動体験をいったん咀嚼し、形にしてきた一例だ。とはいえ、店舗は──特に提供する内容やサービスといったソフトは──生き物。オープンから5年目を迎えた現在、橋本さんの考え方や目指す方向も徐々に変化してきた。

「これまでは『ビールが持つ自由度』が僕にとって一番に伝えるべき要素でした。だから、ペッパーや抹茶をビールに入れるアプローチは明確でわかりやすかった。『ビールはパイントグラスで飲まねば邪道』という風潮があった中、ビールをワイングラスで出すという行為も、自由度にアプローチしたひとつです。

今は、それが当たり前になりました。醸造所も、『ビールとは麦(だけ)を発酵させたお酒』という枠からも解き放たれ、新しいスタイルのビールを造るようになっています。そうなった時に大事なのは、『ビールとは何か』と再度向き合い、ビールの流れや基本に立ち返ることなのかなと」

たとえば、ビールを出す順番。

人は酸味の強いビールの後に苦いビールを飲むと、酸と苦味が反発し「おいしくない」と感じてしまうという。これでは、苦いビールに対して「ここのビールは何かが違う」「前回飲んだ時の方が美味しかった」というイメージがつきかねない。そんな印象を抱かせないよう、酸味の後には甘味のあるビールを提供し、苦味の強いビールはその後に提案する。

「すべてのビールが美味しく飲めるようアプローチしていくのが、自分の仕事です」

料理はシンプル。構成要素の多いビールをより美味しく感じてもらうために

「いま、珍しいビールには特別アツくなっていないかも。以前は、珍しい銘柄があったら誰よりも早く試して提供していました。今は、造り手に『この人、百年単位でこの酒を造り続けていくんだろうな』と思えるものに惹かれています。誠実な造り手と造り方のほうが興味深い」

その筆頭が、sansaオープン初期から変わらず提供している、スイスの「BFM・ボンシェン(Bon-Chien)」だ。

11パーセントのハイアルコールビールを、複数のワイン樽で自然酵母を取り込みながら6ヶ月間熟成させるサワーエール。

sansaではおなじみのビールだけに、これまでさまざまなフードとの組み合わせを提案してきた。取材時に合わせたのは、sansaでは前菜に位置付けられている「茄子、鰹」。

鰹の刺身と揚げナス、そして少量の醤油と柑橘系の酸味、オリーブオイルで仕上げたシンプルな一品だ。

ボンシェンとあわせることで、ビールと料理の酸味が調和したところにオリーブオイルがまろやかに交わり、ナスとボンシェンが持つ甘みを鮮やかに描き出した。そこにミョウガのアクセントが華を添える。

もう一つ、絶妙な組み合わせを紹介したい。

前菜として提供している「胡瓜、ミント、ブラッティーナ」。ブラッティーナ(チーズ)、ミント、レモンと国産の食材をあわせている。

合わせるビールは、オーストラリア・メルボルンのセゾンビール「ラ シレーネ・セゾン スーパーホップ」。軽やかな印象を持つフルーティなセゾンビールに3種類のホップをプラスした華やかなビールには、食材の味を存分に味わえるシンプルな要素で構成された一品がよくあう。

「甘味、苦味、酸味などなど、構成要素の多いビールを味わってもらうためには、構成要素の少ない料理とのペアリングを心がけています。何より、sansaでは食材のおいしさを味わってほしい。その方が、アルコール全般と合わせやすいですね」

ビールとビールの間に合わせる「酒中酒」という考え方

橋本さんが近頃推奨しているのは、「酒中酒」という考え方だ。

ビールを飲んだ後に日本酒を挟み、また異なるビールを飲む。日本酒は料理とビール双方の余韻を受け止め、逆に日本酒の余韻がビールの印象を異なるものにしてくれる。

sansaで「酒中酒」に最適な提供している銘柄は、板倉酒造(島根県出雲市)の「天穏 無濾過純米酒 生酛」。

生酛造りとは、天然の乳酸菌を使った酒母の中から、醗酵力のある酵母を育んでつくる伝統的な製法だ。穏やかな味わいが、柔らかな酸味と優しい甘味ともに溶け合い消えていく。

「日本酒は好きでプライベートでは飲みますが、店舗で出そうとは考えていませんでした。熟成感が欲しければシェリーがいいし、軽やか、華やかな味わいがよければ、僕は白ワインが飲みたいから。でも、板倉酒造に出会ったことで、ようやく店舗で日本酒を提供する気になりました」

他酒業界やシェフとの出会いが多く、大いに影響を受けているという橋本さん。それがすぐにメニューの中に反映されるものもあれば、日本酒のように提供まで10年かかるものもある。

さまざまなジャンルにおよぶ橋本さんの好奇心と探求心。それが彼の中でストンと腑に落ちたとき、sansaで形となって、私たちを極上の体験へと導いてくれるのだ。

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