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連載:進化し続ける食メディアの変遷

2018年食にまつわる情報はどう変わる?進化し続ける食メディアの歴史を紐解く

2017年。食にまつわる情報はいたるところに溢れています。WEBメディア、個人の投稿、雑誌、ムック、本、テレビ…。

自身も長年食メディアに携わり、そして様々な食メディアに精通している柏原光太郎さんの食メディアの歴史を紐解く「食メディアの歴史と未来」シリーズを3回に分けてお届けします。

来る2018年。変わり続ける食メディアは、この先どう変わっていくのでしょうか。

ライター紹介

柏原光太郎
柏原光太郎
1963年東京生まれ。出版社でグルメガイドの取材、編集などをするうちに料理の魅力にはまり、フジテレビ「アイアンシェフ」評議員なども務める。「和の食と心を訪ね歩く会」主宰、「軽井沢男子美食倶楽部」会長。2017年12月よりRetty TOP USER PRO。

デジタルの台頭による百花繚乱の食メディア事情

「Retty」を始めとして、「食べログ」「TERIYAKI」といったユーザー参加型サイト、「東京カレンダー」や「Dressing」などグルメニュースサイト、『MICHELLIN』や『東京最高のレストラン』などのグルメ評価本、そのほかにも「Hanako」や「dancyu」といった雑誌、ムックなど、グルメをとりまく情報は百花繚乱状態。

匿名型から実名型まで、たくさんの情報が毎日、飛び交っています。

その背景には、1990年代後半から沸き上がったデジタルの台頭、そしてこの数年のスマホのデファクト・スタンダード化によって、従来の紙だけのメディア情報が一気に広がったことがあります。

それは美味しい情報を早く知りたい人には福音ですが、あまりにも情報が多すぎて、どう判断したらいいかわからない人もたくさん生み出しました。

じゃあ、デジタルがなかった時代、食べ歩きが好きな人は、どうやってグルメ情報を手に入れたのでしょうか。
 
それを探っていくと、かつて情報は一部の人だけが占有し、それを一般人に「教えてあげていた」という構図がわかったのです。

そして、貴重な情報がどんな経路を伝わってポピュラーになっていくのかを探り、情報をたどっていくと、昔のグルメ事情も浮かび上がってきました。

グルメガイドが登場した1960年代

私は古い食関係の本を集めるのが好きで、本棚にはかなりの数の書物がそろっています。手元にあるグルメガイドでいえば、『東京食べあるき』(中屋金一郎編者 1960年刊)、『味のしにせ』(読売新聞くらしの案内編者 1961年刊)、『東京いい店うまい店』(文藝春秋編 1967年刊)、『東京うまい店』(柴田書店編 1969年刊)といったものです。

文献を調べるとそれ以前にも『味の東京』(1956年)、『東京味覚地図』(1958年)などがありますが、グルメガイドが数多く出だしたのは1960年代です。つまり東京オリンピック(1964年)から万博(1970年)への時代。

日本が復興から立ち上がって、高度経済成長へ向かおうというころです。世の中に少しずつ余裕が出てきて、食べ歩きという趣味に人々の目が向くようになったからでしょうか。
 
当時の本の特色は、文化人、大手マスコミといった、読者が「この人のいうことなら信用できる」という有名人が店を紹介する形をとっていること。

中屋金一郎は当時のグルメとして有名(いまでいう料理評論家のようなものでしょうか)ですし、ほかは新聞社や出版社などマスコミが編んでいます。
 
文藝春秋の『東京いい店うまい店』を例にとると、池部良、犬養道子、永六輔、江上トミなどの有名人の推薦から選者が店を選んでいます。

料理本出版で有名な柴田書店の『東京うまい店』は匿名の「十人の美食家」が選んでいます。

掲載店も、『東京うまい店』をみると「四川飯店」や「辻留」「とんき」「アジャンタ」など今でも健在の老舗が掲載されているいっぽうで、「マキシム・ド・パリ」「ビストロサンノー」「留園」「ふく源」など、一世を風靡したなつかしい名前も並びます。
 
いまや世界一の寿司と謳われる「すきやばし次郎」も当時は「御三家(久兵衛、なか田、与志乃)の次に続く店で、味は一流、値段は二流」と評されています。

一見では入れない、日本料理の最高峰ともいわれる割烹「京味」もそのころは「家族連れでも気軽に利用出来る重宝な食事場所」だったそうです。
 
価格帯別ガイドの『東京たべあるき』を読むと、浅草の老舗「三定」の天丼は100円、銀座「梅林」のとんかつが200円から、麻布「野田岩」のうな重が400円、カウンター割烹の老舗「浜作」の定食が1500円。

どの店もいまもありますが、当時と値段を比較するだけでも面白い内容です。
 
さらにいえば、『東京いい店うまい店』では「東京のすし屋」について「どこがうまい、どこがまずいなど、他人の余計なお節介だ」と書き、個々の店の紹介はしていません。いまのガイドとは隔世の感があります。
 
当たり前ですが当時ネットはないし、テレビも全世帯には普及していなく、普通の人が情報を収集して「美味しい店」にたどり着くことは、ほぼ不可能な時代。だから毎晩おいしいものを食べているだろうと想像する華やかな有名人がいうことなら信用できるに違いないと思われていたのです。

雑誌の時代=70年代。外食が一気に盛り上がる

それに続く70年代は雑誌が文化を引っ張った時代でもあり、週刊誌はこぞって「グルメ」を取り上げています。

たとえば「食通が推薦した味自慢の店」(週刊女性)、「東京で食べられる世界の味」(週刊平凡)、浅草のにおいが漂う銀座の一角 安いメシ屋」(週刊文春)などで、これらも有名人が指南したり、編集部が食べ歩きをしたものばかりです。

最先端女性誌として教祖的存在だった「アンアン」や「ノンノ」は1970年代初頭に相次いで創刊されましたが、有名人にフランスやイタリアの食を語らせ、「パリの誇る最高の味」「日本で味わえる世界の料理大特集」など、海外の憧れの味を紹介しました。

また、マクドナルドやファミレスが相次いでできるなど、この時代は外食産業が発展し、スパゲッティ、ピザ、オムレツが庶民にも普及しました。

が、その情報の出どころはというと、やはり雑誌であり、有名人でありということにはかわりありません。
 
私は70年代後半から食べ歩きに興味を持ち始めましたが、最初に読んだ本は『東京いい店うまい店』で、家にあった年度別のものを読破したことを憶えています。

まだ高校生だったのでお店にはそうはいけませんでしたが、どんな料理なのかを夢想することも楽しい時間でした。
 
そうした有名人・マスコミ偏重主義は20年ほど続き、読者も彼らが発信する情報に沿って、発展し始めた外食を楽しんでいくようになったのです。しかし、彼らが教えてくれる情報をたどっていれば間違いはないと思っていたところに、その価値観を大きく揺るがす出来事が起こります。

「有名人やマスコミだからと言って美味しいものをわかっているわけじゃない」
 
そう一石を投じ、1982年に『東京味のグランプリ』を引っ提げて世に出た料理評論家、山本益博さんの登場です。

いまの20代、30代にとって紙以外に情報が存在しない時代なんて想像できないかもしれませんが、60〜70年代は口コミといっても友人関係程度ですから、マスコミ以外からは店の情報は得られませんでした。

検証する方法もないので、有名人やマスコミが美味しいという店を正しいと思うのが当たり前。テレビのグルメ番組も少なかったので、私も雑誌や本の情報を手がかりにしていました。そして80年代のバブルになって、急に地平線が広がったのです。

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