ライター紹介
女子大生は言った「サイゼは安いけどもうちょっと頑張って欲しいよね」
先日とあるカフェでコーヒーを飲んでた時のことです。隣の席には20歳くらいの女子2人が座り、それぞれパスタをつつきながらのグルメ談義が始まりました。
「どこそこの店のパスタは最悪だった」「今食べてるこのパスタに入ってるマズいトマト(おそらくセミドライトマト)はやめて欲しい」など、そのなかなか辛辣な会話を聞くともなしに聞いていると、そのうちサイゼリヤについても話が及び始めました。
「サイゼはさあ、安いのはいいけどもうちょっと頑張って欲しいよねー」「わかるー」
と、これが彼女たちのサイゼ評でした。
やはりそうきたか、とその時僕は思いました。
安いけど味は「イマイチ」ないしは「そこそこ」。これは彼女たちだけでなく、世間の多くの人がサイゼリヤに対して抱いているイメージかもしれません。
識者が語るサイゼの真価
一方、私がこれまで聞いたサイゼリヤ評の中で特に印象的だった物の1つににこんなのがあります。
「サイゼは、パスタやドリア、ハンバーグを食べる人たちの財布で、うまい塩蔵肉のつまみやワインを楽しむ店である」
これはなかなか過激な意見ですね。これが本当なら普段サイゼリヤでパスタを食べてる大多数の人は涙目です。実際のところはどうなのでしょうか。残念ながら(?)この言葉はかなり真理を突いていると思います。
「サイゼリヤは安い」という言葉でイメージするメニューは、大多数の人々にとっては「ミラノ風ドリア299円」「ペペロンチーノ299円」あたりだと思います。確かに安いです。圧倒的なまでに。
しかし、このあたりの安さはまだ「常識の範囲内」とも言えると思うのです。確かに安いんだけど、大企業が調達や工程で徹底的にコストカットしたらこういう値付けも可能なんだろうなあ(もちろん並大抵の企業努力じゃないんだろうけど)、という感じ。
サイゼリヤのワインやつまみの安さと品質の高さは異常!
対して、先の言葉で塩蔵肉と表現されている生ハムやサラミ、粗挽きソーセージ(つまりイタリアで言うところのサルシッチャ)だったり、サラダなどで提供される水牛モツァレラあたりは、なぜその価格で提供できるのかわからない、もしかしたら本当に利益無しで値付けしてるんじゃ?と思ってしまうレベルです。もちろん品質も文句無し!
あえて分かりやすくゲスな言い方が許されるなら、ペペロンチーノやドリアがどんなに安いと言っても、普段料理をする人が自作すれば同じようなものがもっと安く作れてしまいますが、つまみ系のメニューのほとんどはそういうわけにはいかないでしょう。
ワインだって酒屋で買うより安いですし、さらに言うとオリーブオイルや粉チーズなどの無料アイテムも「ほんとにこんなのタダで使っていいの?」と不安になるくらいのクオリティです。
特に粉チーズは最近、紙筒に入ったよくある乾燥タイプのパルメザンチーズから、グランモラビアという素晴らしく美味しい硬質チーズの削りたてに変わりました。要チェックです。
サイゼリヤならではの「美味しすぎない美味しさ」の価値とは
ではやはりパスタやドリアは食べない方がいいのか?
いやいや、そんな事はありません。サイゼリヤのパスタにはそれはそれでまた唯一無二の価値があるのです。その価値とは簡単に言うと「美味しすぎない事」。いやいやちょっと待って、美味しすぎないって事はつまり美味しくないってことなんじゃないの?と思うかもしれませんが、それはちょっと違うのです。
飲食店で安い料理を提供しようとしたら、当たり前ですがコストは削らなければいけません。普通なら、コストを削れば料理は味気ない物になってしまいがちです。
なので、安さを追求するレストランは(あるいはコンビニやファストフードなんかでもそうですが)味気なくなった分を何らか別の方法で補おうと躍起になるのが普通です。
例えばコストの高い肉を減らせば、それを単価の安い肉エキスみたいなもので補う、みたいなこと。実際はそんな単純なものでもないのですが、まあ1つの例えとしてはそういう事です。
そしてその努力はもちろん大事なことではあるのですが、その結果として安い外食はなんだか押し付けがましい、少しうんざりするような味になってしまうことが往々にしてあります。
サイゼリヤが独特なのは、そういう「美味しさのブースト」みたいな事をあえてやらない、というスタンスを頑なに守っているところにあります。
素材が良ければそれだけで十分に美味しい、という矜持
その頑なさの根幹を成しているものは、サイゼリヤの素材に対する強烈な自信とも言えるかもしれません。
例えばの話、もしもサイゼリヤで「ただ茹でただけのパスタ」が出てきたとしましょう。パスタそのものは何のコストカットも施していない、言うなれば「何の欠点も無い食材」と言えます。
そしてそこに前述のオリーブオイルや粉チーズをたっぷりかけて黒コショウをガリリと引けば、瞬く間に絶品のパスタ料理になるのです。
もちろんサイゼリヤはレストランですから、茹でただけのパスタを提供するわけにはいかないでしょうが、パスタメニューの全てとは言いませんがそのほとんどは、厨房の中でそういうミニマルな最低限の足し算だけが施された状態で商品として提供されます。
そこには何の無理なブーストも必要ないという強烈な思想です。もちろんそれだけでは物足りない味と感じる人もいるでしょうが、安い外食のウンザリする押し付けがましい味に辟易しているような人々にとって、サイゼリヤは数少ない安寧の場所となっているのです。
サイゼリヤの価値を象徴する「アマトリチャーナビアンコ」の登場
サイゼリヤの基本的なスタンスとはこのような、素材の良さを担保としたミニマリズムの徹底と、イタリアの豊かな食文化を妙な改変やブーストを最小限にして日本に紹介する、という2点がまさに両輪となっていると言えるのではないかと思います。
この2つが見事に表現された象徴的なパスタメニューが2016年に登場しました。
イタリア中部で起こった震災復興支援キャンペーンを絡めた「アマトリチャーナ」の登場です。
そのアマトリチャーナ、日本で一般的なトマト味の「ロッソ」だけではなく、当地においてより伝統的なレシピである「ビアンコ」も同時に展開したという点に多くのイタリア料理ファンは快哉を叫んだのです。
これは、日本でまだ知られていないイタリアの食文化を、改変なしに、そして極めてシンプルなレシピで提供する、という言うだけなら簡単そうですが実は日本の飲食店、しかも安価さが売りの大衆店では極めて稀なことだったと思います。
そしてつい最近このメニューはめでたくグランドメニュー入りを果たしました。これを偉業と言わずして何と言いましょう!
だから僕はサイゼリヤに対して「もっと頑張ってほしいよね」と評価を下した冒頭の女子たちに、本当はその時こう伝えたかったのです。
「お嬢さん方、あなたたちから見て頑張ってないように見えるところこそが、サイゼリヤの本当の価値なんですよ!」