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連載:パティシエールたちの挑戦

"楽しい"をひたすら追い求めて。レストラン・パティシエールがつくる一期一会の一皿

近年、料理の世界、特にお菓子のまだまだ男性が優位な世界で、徐々に女性の菓子職人、いわゆるパティシエールたちの活躍が注目を集めるようになった。

夢を叶えるまでの苦労。感性。そしてさらなる展望。”パティシエール”だからこそ極められたお菓子の世界とは。

この連載は、パティシエールが何を考え、そしてどんな道を進んできたのかを探る物語である。

パティシエール

中村樹里子
中村樹里子
1980年生まれ、大阪府出身。29歳で渡仏し、「エレーヌ・ダローズ」を経て「ランスタン・ドール」でシェフパティシエに就任し、約1年半務めた間にミシュラン一つ星を獲得。2013年に帰国後、2017年春まで東京・白金のレストラン「ティルプス」でシェフパティシエールを務める。 夫の安田翔平さんは、デンマークの一つ星レストラン「Kadeau(カドー)」でシェフを務め、2017年年末に発酵食材を使った「kabi」をオープン。

デザートばかり6品が続くコース。いくら甘いものが好きと言えども、はたしてそれだけ食べ切れるだろうかという不安がちらっとよぎった。
だが運ばれてきた一皿目、白い小さなうつわに入った琥珀色の液体を飲んで、そんな懸念は吹っ飛んだ。

一見して何の飾り気もないこの液体は、焼いたリンゴを使ったジュースと説明された。

口に含むと、まるで焼きりんごをほおばったときにじゅわっとあふれる甘酸っぱい果汁そのもの。そこに、ゆずのオイルがふわっとやさしく香る。

寒くなってきた季節、席についてまずほっと一息つくのにはぴったりの一品。そこからはもう、次に何が来るんだろうと期待感しかなかった。

東京・白金のフレンチレストラン「ティルプス(TIRPSE)」で、期間限定で復活したデザート・テイスティング・レストラン「KIRIKO NAKAMURA」。

このデザート尽くしのコースは、もとは2015年7月から1年間、当時シェフパティシエールを務めていた中村樹里子さんが手がけたもの。連日満席となり、大盛況のうちに幕を閉じた。

そして2017年4月、中村さんはシェフである夫の安田翔平さんの開業を手伝うため、ティルプスを退職。出産を控えて長期休業に入る前に「もう一度あのコースを」という声を受け、2017年10月に1週間だけ復活した。

パティシエールといえば、すぐに思い浮かぶのはパティスリーで働く姿だ。だが、中村さんはレストラン・パティシエールの道を選び、『レストラン・パティシエールの働き方』(誠文堂新光社刊)と題する本まで出版している。

パティスリーとレストランで働くのは、どこが違うのか。レストラン・パティシエールの魅力とは何なのだろうか。

2皿目。生と発酵の2種類のシャインマスカットに甘酒とヨーグルトのアイス、梨とシソのグラニテを添えて

2皿目。生と発酵の2種類のシャインマスカットに甘酒とヨーグルトのアイス、梨とシソのグラニテを添えて

「パティスリーのケーキは、お客さまが家に持ち帰るので、ある程度形がしっかりしていないといけません。
一方、デザートはお皿の上にのせてその場で召し上がってもらえるから、温度調整ができて、形も自由なんです」

「きれいに形づくられたケーキも素敵だと思うのですが、自分は性格的に型にはめるのが向いてないのかな」と笑う中村さん。

たとえばパイなら、プレスしてきちんとカットして形を整えるより、ふわっと自由にふくらんだそのままを口に入れてもらって、軽い食感を楽しんでほしい。

ムースなど冷やす時間によって口溶けが変わるものは、ゼラチンが固まり切るギリギリの、口の中ですっと溶ける瞬間を味わってほしい。

レストランという場に赴くからこそ、楽しめる味わい。いま、ここでしか食べることのできない一期一会の一皿。中村さんはそこに、デザートづくりの醍醐味を感じている。

だが、最初からレストラン・パティシエールを目指していたわけではない。

デザートに合わせたティーペアリングも。カボチャのデザートには、渋みのあるマサラチャイを

デザートに合わせたティーペアリングも。カボチャのデザートには、渋みのあるマサラチャイを

「人の影響を受けて、ちょっと足を突っ込んでみたらハマって。なんかしらんけど楽しそうというのにつられて、ついていったらこうなったんです」

小料理屋を営む母親のもと、母子家庭で育った。手に職をつけたいと、高校卒業後は、製菓専門学校に進み、最初の修業先「ヒロコーヒーケーキ工房」に入った。

そこで出会ったシェフパティシエ、藤田浩司さんは、一つひとつのパーツを丁寧につくり、誰もがおいしいと思うケーキをつくりあげる。誠実に仕事に向き合う藤田さんは、新人の中村さんにも作業の手順や温度、タイミングなど、「なぜそうなるのか」という理由をいつもきちんと教えてくれた。

そして何より、藤田さん自身がお菓子づくりを楽しんでいる姿が中村さんの心に刻み込まれた。

和栗とココナッツでアクセントをつけたチョコレートのデザート

和栗とココナッツでアクセントをつけたチョコレートのデザート

その後、レストランウェディングやホテルのパティスリー部門など、数多くの職場を点々としてきた。ブーランジュリー「ル・シュクレクール」の岩永歩さんがつくるパンのファンで、販売員募集の告知を見て、販売員を経験したこともある。

それが縁で、のちに「ル・シュクレクール」のパティスリー部門である「ケ モンテベロ」の起ち上げに参加。そこで、現在は大阪でパティスリー「アシッドラシーヌ」を営む橋本太さんと一緒に、初めて自分の責任においてケーキを創作することの大変さ、充実感を味わった。

ふつうならこのあたりで「独立」という「ゴール」が見えてきそうなものだが、中村さんは別の道を選んだ。前から行きたかったフランスに飛んだのだ。

フランスでは最初のうち、思うような仕事ができなかったという。だが、モダンビストロの人気店「イティネレール」で働いたことを機に、ライブ感のあるレストラン・パティシエの魅力に開眼する。

その後は、パリの一つ星レストラン「エレーヌ・ダローズ」を経て、次の「ランスタン・ドール」でシェフ・パティシエールに抜擢。順調にキャリアを積んでいった。

暖かいクレープの上に、液体窒素で固めた冷たい発酵バターを散らして。バターがじんわり溶けていき、味わいが刻々と変わる

暖かいクレープの上に、液体窒素で固めた冷たい発酵バターを散らして。バターがじんわり溶けていき、味わいが刻々と変わる

軽やかに居場所を変えてきた中村さん。肩書やお店の名前にこだわらず、自分の楽しいと思う場所を求める。その姿は、形式美にとらわれず、瞬間のおいしさを大切にするデザートにも通じている。

そんな中村さんの「楽しい」を感じさせる一皿に、ライ麦パンのアイスクリームがある。

このデザートは、中村さんが好きなシュクレクールの岩永さんがつくるいちじくとゴルゴンゾーラの入ったライ麦パンがヒントだという。

いちじくは、ポルト酒をかけ、低温でじっくりと甘みを引き出したものと、ラズベリーと合わせたさわやかなソース。チーズは、ブルーチーズのビスキュイとクリームチーズのムースと、食感と味にバリエーションを出している

いちじくは、ポルト酒をかけ、低温でじっくりと甘みを引き出したものと、ラズベリーと合わせたさわやかなソース。チーズは、ブルーチーズのビスキュイとクリームチーズのムースと、食感と味にバリエーションを出している

天然酵母でつくったライ麦パンをローストし、牛乳に香りを移したアイス。その香ばしさを際立たせるいちじくの甘みと、チーズのコク。

そして上には、ライ麦のチュイルでさらに香ばしさをプラスしている。幾層にも味と香りが重なり合いながら、一体感のあるデザートだ。

パンのアイスクリームと聞いて、最初、まったくピンとこなかった。だが、口に入れると「まさに!」という味。パンの香ばしさが、濃厚なミルクの味わいに包まれて、ぐっと立ちのぼってくる。

「結局、アイスクリームになるので潰してしまうのですが、天然酵母でつくると、やっぱり味の厚みや香ばしさが変わってくるから。自分でつくるのも好きやし」

かなりの手間をかけているにもかかわらず、中村さんはこともなげに言う。きっとこの調子で、この人はこれまで苦労やプレッシャーを「楽しい」の力で吹き飛ばしてきたのだと思った。

最後に、今後について聞いてみた。

「これからどうするかは具体的には決まっていないですが、子どもをおんぶしながらでも、お菓子はずっとつくっていたい。デザートでなくても、焼き菓子でもジャムでも何でも」

お菓子づくりとともに歩んできた人生は、形を変えながらも軽やかに続いていく。

ライター紹介

澁川祐子
澁川祐子
ライター。「食」と「うつわ」を主なテーマとして、『きょうの料理』など雑誌で執筆するほか、書籍の編集、構成にも携わる。編集、執筆を担当した書籍に『スリップウェア』(誠文堂新光社)、著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎』(新潮社)などがある。
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