
パクチー、好きですか?
東京都世田谷区経堂にあるパクチー専門店「パクチーハウス東京」はパクチーブームの火付け役であり、ブームの牽引者。
そもそも「パクチー料理」という概念をつくり、世に広めたのがオーナーの「Kyo Paxi」こと佐谷恭(さたに・きょう)さんです。
パクチーというと、その独特の香りから苦手な人も多いですが、一方で愛に溢れた「超パクチー好き」がいるのも事実。
「パクチー専門店なんか売れるわけないでしょ(笑)」、誰もがそう思っていた10年前と飲食業界の景色は変わり、今ではパクチー専門店はたくさん登場し、当たり前の存在に。
そんなパクチーブームを巻き起こしたパクチーハウス、実は2018年3月10日をもって、閉店しました。

こんにちは!
改めまして、ライターのくいしんです。くいしんは「くいしん坊」からとってます。
「お店が閉店する」と言うと「ブームが去ってお客さんが入らなくなったの?」と思う方もいるかもしれませんが、パクチーハウスは閉店のその日まで満員御礼。
では、なぜ?
正直取材させてもらうまでは僕自身「そうは言っても何かネガティブな理由があって閉店するのでは…」という気持ちもありました。
しかし、今回、佐谷さんにお話をうかがって感じたのは、次への挑戦に向けて目をキラキラさせながらひたむきに走るカッコよさ。
ビジョナリーで、底の見えないチャレンジ精神。
そして、家族への愛情。
パクチーハウス、閉店の理由と、オーナーの佐谷さんはこれから何をするのか、お聞きしてきました。

▲「パクチーハウス東京」のオーナー・佐谷恭さん
プロフィール
パクチーハウスは僕の現代アート

「ズバリなのですが、なぜパクチーハウス東京を閉店することにしたんでしょうか」

「パクチーハウスを始めて10年経って、何をしようかなって考えたときに『お店』という形態をどう崩したらおもしろいのかなって考えて。そのうちのひとつの答えが『辞めてみようかな』ということなんだけど。それがパクチーハウスの『無店舗展開』」

「誰かに継いでもらうとか、ご自身はオーナー業だけで、実務はやらないという道は考えなかったんですか?」

「よくそうやって言われるんだけど、パクチーハウスは僕の現代アートなんで。破壊しようかなって。たとえば、日本にふたつ目のパクチーハウスをつくることは絶対にありえない」

「店舗の数を増やすというのは、当たり前だし、つまらないってことですね」

▲佐谷さんの背後には「No Paxi, No Life.」と書かれたフラッグが掲げられている

「店舗は地球に一個あればよくて、パクチーハウスは『商圏二万キロ(※)』って考えていたんです。世界中からお客さんに来て欲しいので」
※地球の一周が約四万キロ。「商圏二万キロ」は地球すべてを意味する。

「スケールがめっちゃデカいですね(笑)」

「10年前はパクチーのことを、好き嫌い以前に知らないという人が多かった。それでもお店を始めたら、すぐに愛媛とかいろんなところからお客さんが来てくれたんですよ。ときには海外からも」

「パクチーは世界中で食べられているんですね」

「そう。もともとパクチーハウスをやろうと思ったのも、パクチー専門店をやったら流行るなって考えたのではなくて、旅人と話したかっただけで。パクチー専門店だったら、世界中から旅人が訪れるきっかけの場所になれるんです」

▲パクチーハウスへと続くエレベーターの中には「店舗」から「プロジェクト」へ移行する旨が書かれている
イノベーションは連続性からは生まれない

「お店を辞めちゃったらおもしろいんじゃないか、と考えたその心をもう少し詳しく聞いてもよいですか」

「僕は株式会社旅と平和という会社の代表です。会社の目的のひとつは『ゴーイングコンサーン』と言われていますよね」

「ゴーイングコンサーン=継続企業ということですよね。継続していくことが大前提」

「僕も10年前まではそう思ってたけど、今は会社も店舗も自ら区切りをつける時代に来てる。お店の場合は続いてることが当たり前になると、毎日予約で埋まってるし、いつか行きたいと言いつつ、なかなか来ない人も多い。じゃあ、いきなり『辞めるよ』って言ったらみんな驚くんじゃないかなと思ってね(笑)」

「続いていくと思っていたものが急に終わってしまうとなったら、驚きます」


「イノベーションは連続性からは生まれないんですよ。要は、続けていく流れの中で見つけるんじゃなくて、一旦終わらせてしまって、その上で次のことをやる」

「一度、思い切って断ち切るというわけですね」

「そう。『今度はこういうことしたいね』って言っても、言うだけでできていなかったことがたくさんあった。だからこの先の10年は、これまでの10年で出会った人と新しいことを始めたいんだ」

「『辞める』と宣言すれば、逆にみんなが会いに来てくれて、何かが生まれる」

「そうそう。で、僕はその辞めるまでの期間を89日に設定したの。パクチーだからパク(89)。今後10年で来る可能性のある人たちを、その89日間に集約してみようって思って」
▲佐谷さんは毎日自身のインスタグラムで閉店までの道のりを発信し続けた

「閉鎖と言い出した途端、お店に来るなり、連絡くれたりするじゃん。それで僕との関係がおしまいだと思うお客さんも企業もいるだろうし、これからどうなるのって聞いてくる人もいる。ワクワクしてくれる人も不安な人もいる」

「好きに捉えてくれよ、と」

「お店がなくなっても、死ぬわけじゃないから。会いに来てもらってもいいし、僕も会いたい人がいたらもちろん会いに行くし」
今後やっていくこと

「『今後はこういうことやっていきたい』というものは何かあるんでしょうか」

「国内も海外も、いろんなところに行こうと思うね。これまでは講演とかで出張に行っても弾丸で日帰りとかが多かったから。行ったら、余計に一泊二泊してゆっくりするとかね。地元の人と話をしてみたりとか。あと、まずは店を破壊しないと」

「店を破壊!?(笑)」

「店を破壊して、片付ける。それが10日くらいかかる。あとは、Kindle(※)で毎月一冊程度、出版する」
※Kindle ダイレクト・パブリッシング(KDP)。Kindleを使った自費出版サービスのこと


「そのあと北極点到達」

「北極点到達!?」

「地球の一番てっぺんに北極点があります。北緯90度」

「ありますね」

「でも、点って、無いんですよ、実際は」

「北極点はない?」

「点って、面積がないじゃないですか。長さも高さも広さもない」

「たしかに」

「『点』って、ただの概念なんですよ。その北極点という概念の周りには、『北緯89.99999…』って続いてる。つまり、89(パク)。僕にとってはパク(=パクチー)なわけですよ」

「なるほど!(笑)」


「地球のてっぺんにあるのはパク。だから北極点で『地球はパクだった』と言いたい」

「地球はパクだった(笑)」

「そうやって、パクチーの知名度をもう一段階、上げようと思ってね」
挑戦する姿勢を同世代に見せたい

「佐谷さんは『挑戦していく姿勢を若者に伝えたい』とかって思うんですか?」

「もちろん若者もそうなんだけど、昔の会社の同期とか、同世代に見せたいというのも大きいね。近い世代の人と話してると、チャレンジ精神は明らかに減ってると思うから」

「同世代にもっとおもしろくなって欲しい」

「常識に縛られない姿を見せたいよね。僕自身は色々なことやってきた中でたまたま今回、店を辞めるって言っただけなのに『おもしろい』って言ってくれる人がたくさんいて、こうして取材に来てくれる人もいて」

「そうですよね。ふつうは閉店って、大半はネガティブなことです」

「最初はみんな驚いてたし、残念がる人もいたけど、だんだんお店に来るお客さんが『おめでとう』って言ってくれるようになってきたんだよね(笑)」


「佐谷さんの日々の発信によって、ポジティブなチャレンジなんだって伝わっていったんですね」

「そうやって応援してくれる人もいる中で、世界に行きたい場所はたくさんあるし、会うべき人もたくさんいる。年を取って知識が増える分、好奇心はどんどん増えていく。やりたいこともいつもある」

「やりたいことをたくさんやるための決断なんですね」

「自分の子どもが小さいから挑戦できない、って思う人もいるかもしれないけど、むしろ、子どもに見せるためにどんどんやらなきゃいけない」
不安はないか

「お子さんがいることも含めて、不安はないですか?」

「まったくないと言ったらウソになるけど、大企業を辞めたときやパクチーハウスを始めたときに比べたら全然ない。ただ、『パクチーハウスを辞める』と言ったら子どもが心配しちゃって」


「お父さんが『仕事しないよ』って言い出したら不安ですね」

「『パクチーハウス辞めたら、お父さんの仕事は何?って人に聞かれたときになんて答えればいいんだよ』って言われて。なるほどな、そういうふうに考えるのかって思って」

「たしかに一般的には説明しづらいです」

「でも仕事をしないことが失業って感覚を持ってほしくなくて。だから子どもがいたずらに不安に思わないように、『お父さんは半年くらいは遊ぶよ』と宣言して、その中で楽しみながらでも仕事ができるんだという姿を見せたい。僕にとっては、旅行もレジャーもすべて仕事になるっていう感覚だから」

「仕事と普段の生活を切り分けるんじゃなくて、地続きなんですね」

「そう。もちろん、失敗したり使いすぎちゃって、貯金ゼロになっちゃうかもしれないけど、そうしたら就職すればいいじゃん。…どっかの牛丼屋が時給2,000円でアルバイト募集してたよ。あれなんていいよね」

「いいですね(笑)」

「牛丼にパクチー入れちゃうけど(笑)」

終わりに
最後にお子さんのエピソードに触れましたが、そのチャレンジ精神の裏側には、いつも家族の支えがありました。
本編で取り上げなかった内容で印象的だったのが、妻・佐谷美紀さんの言葉です。佐谷さんはこんなふうに言いました。
「パクチーハウスを辞めると嫁さんに言ったのは1年くらい前」
「うちの嫁さんはね、俺のやること言うことを否定したことないんだよね。一回も。それはもう、出会ったときから。結婚式もポルトガルでやったし。嫁さんの12月11日のFacebook投稿を見るとよくわかるよ」
その投稿を、今回引用させてもらえることになりました。
***引用***
Facebookではご無沙汰しております。家族皆元気です!このたび、長らく皆様に愛していただいたパクチーハウス(店舗)を閉店することになりました。
夫の選択に理解を示していただいた関係者の皆様、そしてなにより、現スタッフの皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。いつも突然の行動で世間を騒がせるというのが世間での夫のイメージかもしれませんが、そこに至るまでに長く深い熟考と他への配慮がたくさんあることを、近くで見ている私から一言添えさせていただければと思います。
子供たち、特に長男にとっては、0歳の時からそばにあり、まだ真っ白い店の床をハイハイしてスタッフやお客様に育ててもらった場所がなくなるというのは、ずっと当たり前にいた兄弟がいなくなるみたいなもので、寂しい思いもしているようです。そのような場所があったことは幸せなことで、この思いを経験したこともいつか糧になってくれたらと思います。
夫との出会いからこれまでを思い返せば、
・付き合って一週間後に突然ユーラシア大陸横断の一人旅宣言(友人の結婚式の為どうしてもといわれ)で「え?」
・プロポーズと同時に無職となり1年間のイギリス留学を宣言され私と家族「え??」
・帰国して無事結婚式を挙げる運びとなるも、場所がヨーロッパの西の果てロカ岬で家族と周囲は「え???」
・初めての子供が生まれることがわかると同時に当時ありえなかった”パクチー”の専門店をやると言われ4度目の「え????」、そしてやめとけの嵐と、何度も驚かされ、そのたびに少しの不安と同時に大きなワクワクを感じている自分が常にいました。
今は4人乗りの大きな船になりましたが、夫の見せてくれる新しい景色へ向かってまた皆で旅に出て行こうと思います。
これからも、夫と、佐谷家をよろしくお願いいたします。
***引用***
好奇心旺盛でいつも周りにいる人を驚かせてきた佐谷さん。
そしてそれを支える家族の愛情。
経堂のパクチーハウス東京は閉鎖しますが、佐谷さんはこれからも挑戦を続けます。
佐谷さんの言葉をきっかけに、たったひとりでもいいから、何かにチャレンジする勇気を持ってくれたら、そんなに嬉しいことはありません。
佐谷さんとご家族、パクチーハウスの今後を、これからも応援していきたいと思います。