神奈川県南西部に位置する小さな港町・真鶴。
箱根や熱海など大きな観光地にはさまれ、いまひとつ印象が薄いかもしれない。
けれど目の前に海の青、背後にはすぐ山の緑。蜘蛛の巣のように張り巡らされた、地元で「背戸道(せとみち)」とよばれる細い坂道を歩けば昔ながらの家屋が並び、どこか懐かしく、時間がゆったり流れる美しい町だ。
そんな小じんまりとした町に、とんでもなく美味しい干物を作る名店がある。
「魚伝」は明治10年(1877年)創業、代々受け継がれた製法にこだわった干物の数々は、東京をはじめ日本各地のデパートの催事で多くのファンを持つ。
JR真鶴駅から車で10分。真鶴漁港にほど近い、魚伝の店先で五代目・青木良麿さんが出迎えてくれた。
青木さん:「真鶴には年間を通じて、美味しい魚が水揚げされます」
真鶴は、漁場に恵まれている。真鶴半島の先端は数百種類の植物が茂る「魚つき原生林」。
地元で「御林」と呼ばれる深い森が海に影を落とすことで、魚に安息を与えるとともに、ミネラル分を多く含む水が流れ込み、栄養分豊富な海を育む。
また藻がつきやすい岩礁地帯があり、プランクトンも豊富。豊かな生態系を生み出し、水揚げされる魚種は年間200種類にも及ぶ。
そして漁場は岸から近く、神経締めなど船上で漁師たちの技も施され、極めて鮮度が高い状態で市場に持ち込まれる。美味しい条件がそろった真鶴の魚は築地でも、大変評価が高いのだ。
魚伝の初代は漁師。そして2代目は仲買人。代々、豊かな真鶴の海の幸を知り尽くした、目利きで魚を仕入れている。
漁港にほど近い、趣のある建て構えの店舗では、良麿さんの父である良修さんたちが、黙々と魚をさばいていた。
青木さんは家業を継いで10年、34歳の五代目だ。
青木さん:「従業員は家族と親戚だけです。代々受け継がれてきた方法で一枚一枚、手作業で干物を作っています」
美味しい干物を作るためには、ひとつひとつの工程が大切となる。
朝、仕入れた魚は、包丁を入れて内臓を取り出したら、一匹一匹ブラシを使ってしっかりと洗う。
青木さん:「余分な血のりや脂は臭みの原因になってしまうんです」
骨身にしっかりとフィットしてすみずみまで洗えるように、魚種ごとに形状や柄の長さが異なるブラシを使い分けるという徹底ぶりだ。
三枚におろしたら塩汁に漬け込む。塩は、まろやかな甘みの内モンゴル産古代天日塩。添加物は一切使用しない。魚と塩だけの勝負だ。
魚の身の大きさ、厚み、脂のりを見極めて、旨みを最大限に引き出す塩加減、漬け込みを行って干す。
そして、塩汁は「臭みが出るから」と絶対に使い回さない。1回1回新しいものを作る。
魚に包丁を入れてから干すまでの作業は魚の鮮度を落とさないために、一気に行われる。極上の干物に仕上げるために、その手を少したりとも止めるわけにはいかない。ゆえに一連の作業が終わるまで休憩時間はない。
魚伝自慢の「金目鯛の干物」を食べてみた。
一切雑味がなく、塩味がいきた「澄んだ」味わい。金目鯛特有のトロッ、ホクッとした身の食感、旨みを堪能できる。
思わず、ごはんとともに「にっこり」してしまう、やさしい美味しさだ。
一匹一匹に誠実に向かい合って仕上げた魚伝の干物は、とても美味しかった。
渋谷のギャルに干物を笑われた
しかし、青木さんは年々、干物が同世代の若い人々に受け入れられなくなっていることを懸念していた。購入するのは、シニア層がメインだ。
「焼くと煙が出てにおいがつく」「グリルを使うと片付けが面倒」そもそも「調理の仕方もわからない」さらには「骨をとるのが面倒」。
いつの間にか、「干物ハードル」はとんでもなく高くなっていた。
青木さん:「焼き魚定食なら食べるかもしれないけれど、自分で買って調理しようとは思わないんでしょうね・・・」
青木さんがショックを受けた事件がある。渋谷ヒカリエで干物を販売していたときのこと。通りがかったギャルに干物を笑われたのである。
ギャルたちは言った。
「干物売ってる~ ウケる~」
もちろん買うわけがない。ウケておしまい。
どうすれば「干物離れ」した人々に食べてもらえるのか。
青木さんは頭を悩ませた。日本酒と塩汁を調合した「酒干し」や、調味液の配合を変えた新商品も作ってみた。
しかし、何かが違う。
青木さん:「これまでの干物の『延長線上』では若い人は食いつかないんです」
真鶴の町自体も、次第に元気がなくなっていた。戦後はブリの豊かな漁獲で「ブリバブル」と呼ばれるほど栄えたものの、その水揚げも減り、観光に訪れる人も減っていった。
かつてはずらりと軒を連ねた干物屋も、いまでは魚伝を含めて3軒のみ。若い人々は仕事が少ない町を出てしまい、急激に過疎化が進んでいた。
そして2017年、真鶴町は神奈川県内で初となる過疎地域の指定を受ける。
突如訪れた予期せぬオファー
青木さん:「真鶴を賑やかにしたい」
干物屋としてできることはないか。「真鶴の起爆剤」になるような、新しい干物があったら、という思いもあった。
そんな青木さんのもとに、予期せぬオファーが訪れた。
かねてから交流があった、「dot science(ドットサイエンス)」の代表取締役である小澤亮さんからの連絡。「これまでとは違う、新たな干物を考えている。ぜひ、作ってもらえないか」。
チャンスを感じた。
青木さん:「待ってました!って思いましたよ(笑)」
そして、待ち受けた新商品の提案を聞いて青木さんはたまげた。
アクアパッツァ用の干物・・・?
干物が洋風!? 焼いて食べるだけの干物を調理!?
それがさらには「アクアパッツァ」である。想像の範疇を超えていた。
干物をサイドディッシュからメインディッシュへ
「干物をアクアパッツァに」という革命的な商品開発に取り組んだドット サイエンス。
ヤフージャパンでWebマーケターとして活躍した小澤亮さん、オープン1年目でミシュランの星を獲得したフレンチレストラン「TIRPSE」のシェフであり、海外からも注目を集める気鋭のシェフ・田村浩二さん、農業科学者の木村龍典さんらがタッグを組み、食の領域の課題解決に取り組む専門家集団だ。
ドット サイエンスでは石巻の若手漁業者集団「フィッシャーマンジャパン」との出会いから、「海のフードロス」を付加価値の高い「高級食材」に生まれ変わらせるという発想で、規格外のホタテやカキを使った高級魚肉ソーセージ「シーフードフランク」を開発。
伊勢丹新宿本店で販売し、売り場で好評を博していた。第2弾の商品を、という話になったときに、田村さんが提案したのが「干物で作るアクアパッツァ」だった。
田村さんは神奈川県三浦市出身。「子供のころから魚に親しみ、修業先が南フランスだったこともあって、魚料理を多く手がけてきた経緯があるゆえの発想だったようです」と小澤さん。
小澤さん自身も、静岡県三島市出身。「干物は実家で当たり前に出てくる存在でした」。けれど、東京の単身生活では「片付けるのが面倒くさくて魚グリルは使いたくないから、だんだん食べなくなってきていたんですよね」。
小澤さんは「これはみんなにとって共通の問題なんじゃないか」と思った。干物は現代のライフスタイルからかけ離れてしまっていたのだ。
だったらキッチンを汚さず、グリルを使わなくてもすむ干物ができればいいじゃないか。フライパンで調理できれば問題はクリアできる。
さらに気づいた。
小澤さん:「干物は食卓のメインではなく、サイドディッシュ的存在ですよね。だったらメインをはれる『干物』になれば、みんな買うんじゃないか」
田村さんというトップシェフのフレンチの技術をいかした干物なら、間違いなく食卓のメインになる。
そして、フライパン調理可能で、作りたいという気持ちになる「おしゃれな洋風料理」に使える干物。若い人々へのニーズにあったコンセプトとアクアパッツァは見事に合致した。
食の生産者の支援のため日本全国を回っていた小澤さんは、青木さんのもとを訪ねたことがあった。とんでもなく美味しい干物を手がけ、干物の将来のために意欲的に取り組む青木さんのことがすぐ頭に浮かんだという。
青木さんも小澤さんも田村さんも、全員30代前半と同世代。そしてみんな干物で育ち、干物が大好き。だからこそ同世代のみんなに食べてほしい。
「干物の概念」を変えるミレニアル世代の「干物レボリューション」がスタートした。
干物界のタブーへの挑戦
「なんだかわからないけど、とにかくやってみよう」そう決意した青木さんのもとに、早速田村さんから新たな干物の調味液のレシピが届いた。
アクアパッツァ用として、開発する干物は、あの金目鯛が選ばれた。
いそいそと、青木さんが作業場で調合していると大騒ぎになった。
従業員から「凄いにおい! 大丈夫なのか!」コールの嵐。
青木さん:「なにやってるんだ! とみんなにギョッとされました……」
従業員も衝撃を受けていたのだ。
調味液はニンニク、調味料をオリジナルの配合でブレンド。
青木さん:「干物屋的には絶対ありえません」
干物界のタブーへの挑戦。青木さんに「洋風干物を作るのは、どんなところが大変でしたか?」と尋ねてみた。
青木さん:「調味液が斬新なだけで、通常の干物を作る工程とは変わらないんですよ。自分の頭の中にある干物とは、まったく別物なので、『これが正しい』のかどうかわからないのが大変でした」
見たことがなければ、正しいかさえわからない。もっともである。
青木さん:「でも、できあがったものを食べてみたらとても旨かった」
奥さんにも食べてもらうと「美味しい!」と大好評。
青木さん:「ああ、こういうかたちもあるんだなあ、って思ったんです。僕らにはとても思いつかないことでした」
青木さんは調味液の漬け加減や、仕上げにふるハーブの量を試行錯誤し、田村さんの確認作業を経て、完成。
伊勢丹の担当者に食べてもらったところ、大好評。すぐに発売が決まった。小澤さんも「あちこちでアクアパッツァを食べてきたけれど、これがいちばん美味しくて感動しました」と語る。
小澤さん:「自分で作るのが難しい料理だと思っていました。でも、これを使えばアクアパッツァが15分で完成するんです」
さあ、商品名はどうしよう?小澤さんは考えた。
サイドディッシュからメインディッシュへ。焼くだけの干物ではなく、調理素材にもなる干物へ。
「新しい干物」のデビューだ。
そうだ、これでいこう。
「アタラシイヒモノ」と命名。
「ド直球にしました(笑)」と小澤さん。前代未聞のカタカナで「ヒモノ」。
さらに前代未聞は続く。
「HimonoでAquaPazza」と書かれた、トマトやニンニクのイラストが躍るスタイリッシュなラベルが印象的なパッケージは、セレクトショップに並んでいてもおかしくないほどおしゃれだ。
そんな「アタラシイヒモノ ひものでアクアパッツァ」を青木さんに作ってもらった。
フライパンにサラダ油をひいて、ニンニクを炒めて干物を焼き、トマト、ズッキーニ、たまねぎを入れて水を加え煮込むだけ。
干物で作ったアクアパッツァは、驚くほど「カラフル」。
「キング・オブ・茶色」の干物という文字がまったく思い浮かばないほどだ。
ハーブとスパイスの絶妙な味付けで、金目鯛の身は香りよく、複雑で後をひく味わい。
シンプルな美味しさの、あの金目鯛の干物が、食感と旨みはそのままに、こんなに華やかに変身するとは! さらに金目鯛の旨みがでた濃厚なスープがしみこんだ野菜が、バツグンの美味しさ!
バケットがほしい! ああワインがほしい! あ、シャンパンも!
昔ながらの干物を白いごはんとともに食べるのは、しみじみ「日本人でよかったなあ」と感じる幸せな時間。
そしてアタラシイヒモノは、ホームパーティーでも彩りになり、バゲットやワインにも合う、ワクワク感をもたらしてくれる。
ほっこり和食を楽しみたい日も、ワインで乾杯したい日にも活躍してくれる。伝統の干物が「進化」した。
▼アタラシイヒモノの調理イメージ
世界に羽ばたく真鶴発「アタラシイヒモノ」
デビューを果たしたアタラシイヒモノ。サイトも完成した。こちらも、とんでもなく「カラフル」。
アップされている、食べ方の提案も干物としては前代未聞。絶妙なスパイス使いのアタラシイヒモノは多彩なアレンジが可能だ。
ラタトゥイユ、ブイヤベース、パエリヤ、タイ風サラダ・・・。
アタラシイヒモノの魅力は、洋風調理可能というだけではない。健康面においても大きな魅力があった。野菜がたっぷり食べられるからだ。
小澤さん:「野菜と並べてグリルして、オリーブオイルをかけてもとっても美味しいんです」
ごはんとの組み合わせだけだった干物が、アタラシイヒモノであれば、野菜とともに調理して、魚の旨みがしみこんだ野菜も美味しくいただける。現代のヘルシー志向にもマッチした干物なのだ。
今後はサバ、アジなど手軽に購入できる価格のラインナップも増やしていく予定だ。「シイラなど雑魚として扱われる魚も『アタラシイヒモノ』としてアップデートしていきたいと思います」と小澤さんは意欲を燃やす。
干物の可能性が花開いた。和の食卓だけではなく、洋の食卓も彩る「ヒモノ」。
きっと、いつか世界各地に真鶴発「アタラシイヒモノ」が羽ばたく日がくるに違いない。
ライター紹介
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池田陽子
- 薬膳アテンダント/食文化ジャーナリスト。立教大学卒業後、出版社などにて女性誌、機内誌の編集を手がける。国立北京中医薬大学日本校に入学し、国際中医薬膳師資格取得。自身の体調の改善、ふだんの暮らしの中で手軽に取り入れられる薬膳の提案や、漢方の知恵をいかしたアドバイスを、執筆、講習会などを通して行う「薬膳アテンダント」として活動。また、日本各地の食材を薬膳的観点から紹介する活動も積極的に取り組み、食材の新たな魅力を提案、発信を続け、食文化ジャーナリストとしての執筆活動も行っている。サバファンが集う「全日本さば連合会」の広報担当・サバジェンヌとしても活動。
■池田陽子公式HP
http://www.yuruyakuzen.com/
■全さば連
http://all38.com/