りんご生産量日本一、全国シェア約6割を誇る青森県。県内では代表銘柄「ふじ」「つがる」などの赤りんご、「王林」「トキ」などの黄りんごなど約50種類が栽培されている。
2013年、新たな青りんごがデビューした。その特徴はなんと「酸っぱい」!
甘いりんごが主流のなか、現れた「りんご界の異端児」は都内の高級スーパーで大人気。リピーターが続出している。
しかしこのりんごは、数年前までこの世から消えてしまうかもしれない運命にあった。
けれど、その「酸っぱさ」に心を奪われた、ひとりの研究者がいた。自分の人生を変えてまで、守りぬいた、りんごの名前は「はつ恋ぐりん」。
りんごと研究者の甘酸っぱい物語──。
りんごのプロフェッショナルが恋した品種
青森県黒石市で「はつ恋ぐりん」の栽培を手掛ける、今智之(こん ともゆき)さんの元を訪ねた。
今さんの畑には、鮮やかな緑色のりんごがたわわに実っていた。
近づくとつややかに輝き、絵筆で塗り重ねたような、緑の濃淡が美しい。まるで、フランスの画家、ポール・セザンヌの静物画に描かれている青りんごのようだ。
「はつ恋ぐりんは、酸っぱいなかにも甘みがあるのが特徴。食感がよく、果汁がたっぷりなのでかじると『パリッ、ジュワッ』という食感も楽しめます。見た目も光沢があってすてきでしょう」と、今さんが微笑みながら、わが子のようにその魅力を説明する。
今さんは27年間、青森県産業技術センターりんご研究所でりんごの品種開発を手掛けてきた。まさに「りんごプロフェッショナル」だ。
今さん:「はつ恋ぐりんは、オーストラリア原産の青りんご『グラニースミス』と『レイ8』(東光×紅玉)を交配して誕生したりんごです」
グラニースミスは欧米ではポピュラーなりんご。ビートルズが設立したレーベル「アップルレコード」のシンボルマークに採用されたことでも知られる。その特徴は、なんといっても酸味の強さだ。
今さんが交配の意図をこう語る。
今さん:「グラニースミスは、酸味があるとともに貯蔵性も高い。レイ8は赤いりんごで、こちらも貯蔵性があります。おそらく『貯蔵性の高い赤りんご』を狙って交配したのでは…? うーん。本人から聞いていないので・・・」
えっ?
今さん:「あくまでわたしの推測です(笑)。これは1984年、ちょうどわたしが研究所に入った年に先輩が交配して、退職されたんですよ」
今さん自身も、はじまりは知らないのだ。
今さん:「わたしが携わったのは選抜から、なんです」
りんごの品種開発は、とんでもなく時間がかかる。まず、優れた特性を持った品種を交配するところから始まる。
初年度は花粉を交配させ、結実した果実から種をとる。翌年、その種をまいて発芽したら苗木として育てる。
さらに、その中から優れた性質をもつ苗木を選抜して育成。結実するまでに10年近くかかり、その形や色が安定しているか、一般への普及性などの条件を満たしているかを検証する。
新しいりんごが誕生するまでに、実に20年以上かかるのだ。
今さん:「種をまいても、結果を見ることなく研究者人生が終わるということは、よくあることなんですよ」
交配自体は毎年行われる。研究所における大きな目標は、県内で生産量5割を占める「ふじ」を超える貯蔵力のあるりんごの開発だ。
ふじは食味がよく、栽培しやすい優等生。貯蔵性などさまざまな課題をクリアした更なるりんごの品種開発が手掛けられている。
今さん:「それがメインではありますが、りんごにはいろんな特徴、特性があります。それをいかした交配も行っていました」
「だけど」と今さんが続ける。
今さん:「わたしが携わった品種でデビューしたものが10品種くらいあるんですが、ほとんどヒットしなかったんですよね・・・」
なぜかといえば「個性的すぎた」から、らしい。
今さん:「りんごのいいところは、品種によって独特のさまざまな味が楽しめることです。いま、いろいろな品種がありますが、どれも味があまりにも似すぎていると思うんです。
もっと味にインパクトがあって、違いがはっきりしたものがあってもいいんじゃないかと。たとえば香りが強いりんごというのがあってもいいですよね。りんごなのに洋梨みたいな香りがするとか」
今さんの品種開発のコンセプトはとてもハッキリしていた。
「個性のあるりんご」
とはいえ、いくら個性的で美味しくても、栽培面で問題があっては意味がない。生産者にとっては「味がよくて、作りやすい」のが理想だ。
「わたしは、どうも個性に目がいきすぎたらしくて・・・」と苦笑する今さん。
生産者の好きなりんごはスーパーに並ばない
今さんがそこまで「個性」を追求するのには理由がある。
今さん:「いま、りんごを食べる人がどんどん減ってきています。解決策のひとつとして、わたしは個性のあるりんごが必要だと思うんです。消費拡大のために、いろんな味のりんごを世の中に提供していきたいと」
たとえばお酒だって、いろんなテイストがあって、バリエーションがあるからこそ自分の好みを選べるから楽しい。その日の気分、シチュエーション、合わせる料理によってセレクトする楽しみもある。
いま、果物も野菜も、スーパーに並んでいるのは数種類、ものによっては1種類。筆者が取材のために産地を訪ねると、実際はとんでもない数の品種があり、形や日持ち、味のトレンドで出荷されなかったり、地元消費のみ、というものも多い。
しかも、生産者の方が「市場には出せないけど、僕らは一番好きなのはこれ」という発言を聞くことがとても多い。「それ、食べたい、買いたい」。いつもそう思ってきた。
だから今さんの語ることはもっともだと思う。バラエティあふれるりんごを食べて、さまざまな味わいがあることを知り、りんごを食べる楽しみを謳歌することこそ消費拡大につながるはずだ。
そんな、今さんがずっと気になっていたのが、冒頭の「先輩が交配したグラニースミス×レイ8」という、「はつ恋ぐりん」の原点となるりんごたちだ。
今さん:「研究所で実ったものはグラニースミスのような緑色や、レイ8のような赤いものもありましたが、どれも酸っぱくてね」
けれど、その酸っぱさに今さんは心を奪われた。
今さん:「『うわっ、酸っぱい!』という感じじゃなくて・・・。なんというか『さっぱり』とした酸っぱさだったんです。こういうりんご、好きだなあってしみじみ思ったんですよ」
思い出すかのようにしばらく黙った後、今さんが続ける。
今さん:「もし、わたしが選抜しなかったら、たぶんこの世から消えてしまう。このりんごは、なんとしても残しておかないと、って思ったんですよね」
スイートすぎる世の中に生まれた「酸っぱいりんご」の行方
世の中のりんごはいま、極めて「甘い」ものが主流だ。けれど、りんごをよく食べる人は酸っぱいりんごが好きだったりします。一般的ではないかもしれないけれど、好きな人は必ずいる。
今さんの心に刺さったりんごは、1993年に一時選抜。無事、生き永らえた。
しかし、この「スイートすぎる」世の中に、この酸っぱいりんごが出せるのか、と今さんはずっと思い悩んでいた。
ところがチャンスが訪れた。青森県産業技術センターりんご研究所が独立行政法人となったのだ。
今さん:「県の機関である限りは、メジャーなものしか世に出すことは難しかった。でも、法人化されたことでもっと個性のある、ニッチを狙った品種をどんどん出してもいいんじゃないかという方向性になってきたんです」
かくして2004年に酸っぱいりんごは二次選抜、2010年に「あおり24」として品種登録された。そして、名前も決定。その色と甘酸っぱい味わいから「はつ恋ぐりん」と名付けられた(2013年商標登録)。
しかし、まだまだ高い壁があった。
ニッチなりんご・はつ恋ぐりんを「どうやって普及させるか」という問題だ。
今さん:「一般的に、りんごは研究所で完成したら種苗会社に苗木を販売する権利を与えて、苗木を増やしてもらいます。そして、生産者の方がいろいろな情報をもとに、種苗会社から苗木を買って栽培するというのが通常の流れです。酸っぱい緑のりんごの苗を買って作る生産者がたくさんいるなんて、とても考えられませんでした」
そこで今さんは、研究者として世界各地のりんご産地を視察した際に主流となっていた「クラブ制」のことを思い出した。特定の品種について会員となった生産者だけが栽培し、販売まで一括管理する制度だ。
この仕組みを利用して「作りたい生産者が作って、食べたい消費者に届ける、そうすればこのりんごの生きる道がある」と思ったのだ。
早速「はつ恋ぐりんの会」を立ち上げた今さん。研究所を定年前に退職して、家業のりんご農家に戻るとともに、会長に就任。はつ恋ぐりんの普及を牽引することにした。
「はつ恋ぐりん」の悩みはにきび?
かくして、今さんは会員集めに奔走した。とはいえ、一般的なりんごのように広く生産者に呼びかけても難しい。
そのうえ、はつ恋ぐりんには困った欠点があった。
今さん:「『にきびりんご』が多いんです」
今さんが、ため息をつきながら写真を見せてくれた。
斑点性障害といって、表面にくぼみができやすいのだ。はつ恋ぐりんは、「思春期」のティーンエージャーそのものだったのである。
「3割程度は、こうなることは最初からわかっていました」
見た目の美しさもウリであるはつ恋ぐりんには、致命的な問題。だから、こんな難点があることを理解してくれている人でなければ作るのは厳しかったのだ。
悪戦苦闘の末、知り合いや、研究所時代にはつ恋ぐりんを食べて気に入ってくれた生産者が入会。次第に人づてに聞いて「やってみたい」という生産者が増えてきた。
今さん:「若手の方や、ネット販売をしている方が『面白そう』とトライしてくれるようになりました」
会が立ち上がってから5年。生産者は30人まで増えた。かくして生産量が増え、いよいよ東京デビュー。
2016年、紀ノ国屋での販売が決まった。売り場では大好評。リピーターが多く、すぐに完売。「次はいつ入るんですか?」という声が多数寄せられた。
人々の心をつかんだ酸っぱいりんご、はつ恋ぐりんを食べてみた。パリッとした食感とともに、なんとも心地よい酸味、ふわっと広がる青っぽい風味。そのあとにジュワッと広がる甘酸っぱさ、そして後味がキリッ。
口の中で、まるでワインを飲んでいるような多彩なグラデーションが感じられる。これまで味わったことのない「唯一無二」のりんご。一度食べると「もうひと口」、とクセになる味わいだ。
そしてデザートだけでなく、ワインなどお酒のおつまみにしてもとても美味しい。おそらく「お酒が好き」「甘いものがあまり得意ではない」人がとても好む味わい。りんごの新たな可能性が見えてくるようだ。
「最後まで見届けたい、そう思ったんです」
生食の手ごたえは上々。次なる今さんの課題は「にきびづら」のはつ恋ぐりんだ。見た目が劣るといっても味にはまったく遜色がない。
調理用、加工品としての用途がある。もともと親であるグラニースミスは、アップルパイやジャム、ジュースなどに向いているりんご。グラニースミスにこだわっているパティシエも多い。
今さん:「はつ恋ぐりんは、生食以外でもとても美味しいんです。グラニースミスは加熱すると溶けやすいけれど、はつ恋ぐりんは形が残るというメリットがある。ジュースの味もバツグンです」
栽培、販路開拓、加工品開発、会員の確保、PR、HP制作。「いやあ、やることが多いです」と苦笑する今さん。研究者時代とはまるで違う仕事が山積みだ。
………それにしても、なぜここまで力が入ってしまったんでしょう?
今さんがポツリと語る。
今さん:「わたしたち研究者は新しい品種を開発しても種苗会社に送り出した後は、どうなるかわからないし、手の尽くしようもないんです」
どれだけ時間をかけて作り上げた品種も、生産者が選んで栽培して、世の中の多数が評価したとしても、消えるものは消えていく。これまでもそうだった。
今さん:「はつ恋ぐりんは、味も見た目も個性があって。なくなったら惜しい。これだけは消えずに育ってほしかった、最後まで見届けたい、そう思ったんです。だから特別な想いがあってね(笑)」
きっと、酸っぱい青りんごに出合った途端、恋に落ちてしまった今さん。りんご一筋の研究者が、りんご生産者になってまで多くの人に届けたいと思った「はつ恋ぐりん」。
きっと、ひと口かじったら、あなたも恋におちるはず。
都内では、飯田橋の青森県アンテナショップ「あおもり北彩館」、各「紀ノ国屋」にて販売中
ライター紹介
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池田陽子
- 薬膳アテンダント/食文化ジャーナリスト。立教大学卒業後、出版社などにて女性誌、機内誌の編集を手がける。国立北京中医薬大学日本校に入学し、国際中医薬膳師資格取得。自身の体調の改善、ふだんの暮らしの中で手軽に取り入れられる薬膳の提案や、漢方の知恵をいかしたアドバイスを、執筆、講習会などを通して行う「薬膳アテンダント」として活動。また、日本各地の食材を薬膳的観点から紹介する活動も積極的に取り組み、食材の新たな魅力を提案、発信を続け、食文化ジャーナリストとしての執筆活動も行っている。サバファンが集う「全日本さば連合会」の広報担当・サバジェンヌとしても活動。
■池田陽子公式HP
http://www.yuruyakuzen.com/
■全さば連
http://all38.com/