「平成」も残すところわずか。平成の30年間は、ラーメンの発展とともにあったと言っても過言ではありません。
ラーメンがここまでの国民食となり、さらには多様化し、海外にまで日本のラーメンが広がっていくなんて、30年前は思いもよらなかったことでしょう。
今回は、平成の時代にターニングポイントとなった10杯のラーメンを中心に、どのようにラーメンが歴史を歩んできたのか、振り返ってみようと思います。
とんこつラーメンブームの火付け役「九州じゃんがら」
今でこそいろいろなラーメンブームが取り沙汰されていますが、平成初期に起こったのが「とんこつラーメンブーム」。
九州で生まれた白濁した豚骨ラーメンが東京にも数多く出店し、それをきっかけにラーメンのいちジャンルとして定着するようになりました。
その中心にいたのが「九州じゃんがら」。メニューはとんこつでもライト系で食べやすい「九州じゃんがら(東京上品とんこつ)」、濃厚系の「ぼんしゃん(博多げんこつ)」を軸に、角煮や明太子などの当時としては個性的なトッピングをそろえて行列を作りました。
当時はラーメンランキングの首位を総なめにするほどの人気ぶりで、今でも秋葉原の本店には行列ができています。
- 九州じゃんがら 赤坂店
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東京都 港区 赤坂
ラーメン
環七ラーメン戦争の雄、今年復活を果たした「なんでんかんでん」
そして、とんこつラーメンブームと連動するように起きたのが「環七ラーメン戦争」。
当時、「美味しいラーメン屋は、タクシーの運転手に聞け」と言われた時代があり、環七沿いに数多くのラーメン店がオープンし、激戦区となりました。
その環七ラーメン戦争で知名度を伸ばしたのが「なんでんかんでん」です。
強烈な豚骨の臭いが客を引き寄せ、お店の周りには路上駐車の車があふれ、「なんでんかんでん渋滞」と呼ばれました。
名物社長である川原ひろしさんはCDを出したり、TV番組に出たりなど時代の寵児に。後にメディアで取り沙汰されるラーメン屋の名物店主の元祖ともいえる存在です。
一時はすべてのお店が閉店している状態でしたが、今年高円寺に復活を果たしました。
- なんでんかんでん 高円寺復活店
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東京都 杉並区 高円寺南
ラーメン
「新横浜ラーメン博物館」の誕生
1994年、ラーメン人気をわかりやすく現す存在が新横浜にオープンします。
それが「新横浜ラーメン博物館」。
全国の人気店の味が食べられるというラーメン集合施設の先駆け的存在。
オープン時には、札幌の名店「すみれ」への出店をオファーして、粘り強く口説き落とした話は有名。「すみれ」のラーメンを食べるために、2時間以上待つのも珍しくないほどの人気ぶりでした。
定期的にお店が入れ替わり、今でも観光客がたくさん訪れる人気スポットとなっています。建物の中に昭和の街並みを再現し、展示物もあるなど、数多くのラーメンカルチャーがここから発信されました。
- すみれ 新横浜店
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神奈川県 横浜市港北区 新横浜
ラーメン
Wスープ発祥の「青葉」
1996年には、その後のラーメン界のターニングポイントとなるお店が数多くでき、「96年組」とのちに言われるようになりました。
そのうちの1つが中野の「青葉」。
動物系と魚介系のスープを別々に取って合わせる「W(ダブル)スープ」と言われた手法が話題を呼びました。
その後、青葉の味を真似したラーメン店が数多くオープンし、「青葉インスパイア系」と言われ、一大ブームとなります。これをきっかけに、豚骨魚介系が東京のラーメン界のスタンダードになっていきます。
ラーメンの進歩を加速させた「麺屋武蔵」
こちらも同じく「96年組」として人気となった「麺屋武蔵」。
きれいな店内でBGMにはジャズ。おしゃれなグラスを使用するなど、今でこそラーメン店でも一般的となりましたが、当時は斬新なお店づくりとして注目されました。
当時は珍しかった秋刀魚干しをラーメンに使ったり、海老の香り油を浮かせるなど、他店がやったことのない革新的な挑戦を次々と行い、ラーメンフリークから絶大な支持を集めました。
今では数多くの店が行っていますが、季節の素材を生かした限定メニューを提供したのも武蔵が元祖。
ブランドを変えて店舗ごとに違うラーメンを提供することも武蔵が始め、ラーメンの進歩を加速させたお店と言えます。
- 創始 麺屋武蔵
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東京都 新宿区 西新宿
ラーメン
ご当地ラーメンブーム
1990年台後半に発生したのが「ご当地ラーメンブーム」。
旭川ラーメンブームに始まり、和歌山、徳島、尾道と次に来るご当地はなんだと、各メディアがこぞってご当地ラーメンを取り上げました。
そのブームが最高潮の時に中心となったお店が和歌山県の「井出商店」。
その武器は九州とはまた違うコクのある豚骨スープ。
首都圏を中心に和歌山ラーメン店の出店が相次ぎ、話題となりました。
- 和歌山中華そば 井出商店
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和歌山県 和歌山市 田中町
ラーメン
つけ麺発祥の店「東池袋大勝軒」
平成は「つけ麺」が一気に全国的に普及した時代でもあります。
やはりその中心は、つけ麺の元祖である「東池袋大勝軒」。
今では暖簾分けの店を数多く輩出し、全国へとつけ麺の波が広がっていきました。
2007年、東池袋大勝軒の本店が、土地開発の影響で閉店することになると、閉店を惜しんで数多くの人が店を訪れ大行列に。これが全国的なニュースとなり、つけ麺の認知度がより一層広がることになりました。
つけ麺の産みの親でもあり、ラーメンの神様と言われた山岸一雄さんが2015年に亡くなった際も、大きなニュースとして取り上げられました。
東池袋大勝軒は、現在東池袋駅の近くに移転して再開しています。
- 東池袋 大勝軒 本店
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東京都 豊島区 南池袋
つけ麺
熱狂的なファンを生んだ「ラーメン二郎」
以前はマニアックな存在だったものの、今ではすっかりメジャーな存在となった「ラーメン二郎」。
極太の麺に、背脂、たっぷりの野菜、刻んだニンニク、ブタと言われる食べ応えあるチャーシュー。この組み合わせにハマる人が続出。
熱狂的な二郎ファンを指す「ジロリアン」という言葉も生まれました。三田の本店を中心に、首都圏で着実に暖簾分けを増やしていき、今では札幌や新潟などにまで広がっています。
そして全国に二郎を意識した「二郎インスパイア」と呼ばれる店が増加。
今ではそれらの店も含めて「二郎系ラーメン」として一般に認知されるようになりました。2010年代には、二郎を中心としてガッツリ系ラーメンが一大トレンドとなりました。
- ラーメン二郎 三田本店
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東京都 港区 三田
ラーメン
つけ麺の王道を変えた「六厘舎」
甘味と酸味で食べさせる大勝軒系のつけ麺スタイルがスタンダードだった時代に、それを一変させたのが「六厘舎」。
濃厚な動物系のスープに、海苔を筏にして魚粉を乗せる特徴的なスタイルが話題となりました。東京の大崎の住宅街の中に行列をつくり、長くなりすぎた行列により閉店を余儀なくされるという事態に。
「行列のせいで閉店」というショッキングなニュースにより、全国に名をとどろかせることになりました。その後、東京駅の八重洲地下街に復活し、すぐさま行列店となりました。
この六厘舎の登場以降、極太の麺に濃厚なスープ、魚粉というスタイルが一気につけ麺のスタンダードになっていきます。
- 六厘舎 東京ラーメンストリート
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東京都 千代田区 丸の内
つけ麺
ラーメンで初のミシュランを獲得「Japanese Soba Noodles 蔦」
2007年にグルメガイド本の黒船ともいえる「ミシュラン」が日本に上陸。
そして、2015年に発売された「ミシュランガイド東京2016」で、日本初となる一つ星を獲得したラーメン店こそが「Japanese Soba Noodles 蔦」。
この蔦の一つ星獲得をきっかけに、ミシュランを意識した店づくりをするお店が出てきました。
ラーメンにトリュフなどの高級食材を使う店も現れ、1000円を超える高価格帯のラーメンも増えつつあります。
ラーメンの多様性がますます広がるきっかけとなりました。
- Japanese Soba Noodles 蔦
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東京都 豊島区 巣鴨
ラーメン
平成のターニングポイントとなったラーメン店を10軒紹介しましたが、他にもまだまだ平成を彩ったラーメン店はたくさんあります。
平成の次の時代には、果たしてどんなラーメンが生まれるのか。今から楽しみで仕方ありません。
ライター紹介
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小林孝充
- TVチャンピオンラーメン王選手権第8回優勝。ラーメンWalker百麺人。 歴代ラーメン王によるラーメン大王決定戦で優勝し"初代ラーメン大王”に。累計13000杯のラーメンを食べたラーメン界のトップランナー。