ここ最近、東京で流行りそうなメシの1つに「水炊き」がある。
水炊きとは、博多を代表する郷土料理で、鶏を使って作られる鍋だ。そのルーツは南蛮料理にあるとされており、南蛮料理が長崎に伝わり、博多へと徐々に経由するにつれて、現在の形へと収束していったという。
その名の通り、水で鶏肉を炊くことが「水炊き」の名前の由来とされている。
獣肉を食べ慣れなかった頃の日本人には、水で鶏肉を炊くだけで十分に味が濃く、おいしかったのかもしれないが、美食に慣れた現代人の舌だとそれではちょっと物足りない。
そのため、今現在の主なスタイルとしては、まず鶏ガラなどを使って一度濃い出汁を取り、それを使って鶏肉を炊くといった手法が主流となっている(厳密には、これはスープで鶏肉を炊くので「スブ炊き」と呼ばれる手法なのだが)。
肝心の水炊きの味だが、これが実にウマい。長時間鶏ガラを煮込んで取った出汁と鶏肉の出汁を掛け合わせることで、ここまで旨味が強いスープが取れるのか!と初めて博多で食べた時には衝撃をうけたものである。
ちょっと前に、鶏白湯(パイタン)ラーメンが東京で流行ったけど、あれよりもかなり上品でありつつ、コク深いのだ。
本場である博多では、お酒とともに腹いっぱい食べて5000円程度で収まることが多く、
「いやはや、なんでこんな安くてウマいものが東京で流行らないのだろうか」
と数年前の僕は、博多に住む人達を羨ましく思ったものである。
しかし、こんなウマいものをグルメ都市東京が放っておくはずもなく、いま水炊きのお店がちょっとずつ都内に進出しつつある。
今日はそのうちの1つ、気鋭の新店「鳥とみ」さんを紹介しよう。
「日本一予約がとれない焼き鳥屋」出身者の水炊き
目黒に「鳥しき」という日本で一番予約の取れない焼き鳥屋がある。
その焼き鳥を食べようと、毎月の予約開始日になると全国から予約の電話が殺到する。
ここ最近ではミシュランガイドへの掲載や情熱大陸に出たことも影響して、200回に1回電話がつながったらラッキー、下手したら1000回かけてもつながらないレベルで、まさに凶気の沙汰なのである。
あまりに予約が取れな過ぎることもあって、お店のすぐ近くに二号店となる「鳥かど」を出店するも、こちらもすぐ予約困難に。
まさに鳥しきグループは飛ぶ鳥を落とす勢いである。ちなみに、三号店はなんと六本木ヒルズに進出。いまや、超高級ビルに焼き鳥屋が進出する時代なのである。
今回紹介する鳥とみの御主人は、そんな予約困難店を多数輩出している鳥しきグループ出身であるにも関わらず、あえて”水炊き”をメインにしたお店を出すのだから、なんというか実に強気だ。
コースは6000円の1本で、いずれも鶏を使って作られた料理ばかりである。参考までに僕が訪問した時のメニューを挙げると、
・鶏の肉味噌で食べる野菜の軽いお通し
・鶏の茶碗蒸し
・鶏皮胡麻酢あえ
・鴨ロース
・焼き鳥3本
・水炊き(肉、つくね、雑炊)
・デザート
とバラエティに富んだ料理の数々であった。いずれの料理も丁寧に作られたおいしい一品ばかりで、御主人の調理レベルの高さがよく伝わってきた。
3本とはいえ、焼き鳥が出てくるのも食べ手としては嬉しい限りである。
これらをつまみにビールや日本酒を飲みつつ、ついにメインである水炊きの登場となった。
ブランド鶏「伊達鶏」に感じた一抹の不安
正直なことをいうと、僕は若干不安があった。それはこのお店で使われている鶏肉「伊達鶏」についてだ。
伊達鶏は、鳥しきグループを含む、中目黒の「鳥よし」出身の料理人が焼き鳥に使う鶏肉の銘柄である。
数多ある銘柄鶏の中で、どちらかというとサッパリとしたタイプの鶏肉なので、鍋物のような出汁に負けない素材の力強さが期待される料理になった際、果たしてうまくいくものなのだろうか?
しかし、その不安は杞憂に終わった。白く濁ったスープの旨味もさることながら、鶏肉自体が実にウマい。
焼き鳥で食べる伊達鶏とは、まったく異なる個性を見せつけられ、僕はこの店の亭主が「水炊き」で勝負をけしかけるだけのことはあるな、としみじみ関心させられてしまった。
大ぶりな鶏肉、鶏つくねをハフハフと食べ終わった後は、〆の雑炊だ。写真で出す必要もないぐらい、間違いないやつである。まぁ出すけど。
液体はロマン
ある程度、食事にハマった人が行き着くものの1つにスープがある。
液体はロマンだ。和食の凛としたお椀、日本中のマニアが熱狂するラーメン、フランス料理ならコンソメスープ、中華料理なら修行中の仏が匂いをかぐなりぶっ飛んでくるといわれる佛跳牆(ファッチューチョン)。
スープは、素材に何を使うかにより、無限の可能性がある。
このスープだけど、面白いことになんでもかんでもぶち込めばおいしくなるかというと、そういうものでもない。
例えば、家庭で作る野菜と大量の肉、キノコを入れてグツグツやった鍋のスープは、ウマいっちゃウマいのだけど、感動するレベルかというと、そうでもない。
実はスープをあるレベル以上にウマくしようとすると、材料を増やしすぎるのはむしろ下策なのだ。
単純に旨味成分であるグルタミン酸やイノシン酸の量を増やすだけでは、感動するスープにはたどり着けない。
私達がおいしさをどこで感じるかといえば、当然舌である。この舌の味覚チャネルを通して、脳が揺さぶられた時、私達は心の底からおいしさを感じることになる。
実はこの舌の味覚チャネルには、正しく刺激する順路というものがあり、これを無視すると、あるレベル以上から先のウマさへは到達することができない。
例えば、家庭でかつお節だけで出汁をとってみてほしい。それをそのまま飲むと、それはそれで十分おいしいのだけど、そこに適量の塩を入れると、旨味がグッと引き立つ。
さらにそこに、昆布で丁寧に引いた出汁を加えると、旨味のチャネルの開く分量がグッと増し、さらなる旨味の階段へとステップを踏むことになる。
これがスープの妙である。針の穴のように小さい、か細い真のウマさへの道を、道から転げ落ちないように様々な要素を慎重に加えていった末に到達したものこそが、この世で最も完璧な液体となる。
スープを愛してしまった料理人の宿命
スープを愛する料理人は、様々な歴史や文化の糸を手繰りながら、この完璧な液体という神の領域を目指してゆく。
とはいえ、これは実に困難な道のりである。余計なものを加えた瞬間、スープはすぐに道から転げ落ち、凡百な行き場のない普通レベルの液体に成り下がる。
毎日、使う材料だけではなく、煮出す温度や使う水、気温や湿度といった様々なファクターを考慮し、この究極の液体へとたどり着くための鍛錬を惜しまないことこそ、スープを愛するものの宿命である。
彼らは鏡の国のアリスに出てくる赤の女王の名言、「その場にとどまるためには全力で走り続けなければならない」をガチでやり続けている。
「もう、こんなもんで大体よかろう」と気が抜けた料理人から、この究極の液体へと至る旅路を脱落していく。
スープ道とは、海よりも深く、山よりも高い、険しい険しい道のりなのである。
さて、途中から僕のスープへの愛が溢れ出てしまったが、肝心の鳥とみのスープはとてもおいしい。飲んだ瞬間に昇天するようなスープのレベルには当然まだないが。
しかし、焼き鳥の名店での修行歴をそのままの形で踏襲せず、あえて水炊きという道を東京で選んだからには、いつか究極のレベルに到達して欲しいという過分な期待を寄せ、筆を置こうと思う。
師である鳥しきの池上義輝さんが、焼き鳥をA級グルメにまで高めたのと同様、水炊きだって、B級どころか特A級のグルメを目指せるのは違いない。
やるからには、ぜひともそのレベルまで行ってほしいものだ。
おいしいご飯を、ごちそうさまでした。
- 鳥とみ
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東京都 世田谷区 池尻
鶏料理