電車の時刻が迫っている。僕は急いでいた。このレストランにいられるのはあと20分ほど…なのに料理が一向に来ない。店員たちはボードゲームに熱中していて、僕のことなどおかまいなしだ。
果たして注文は通っているのだろうか。痺れを切らしかけたとき、髭面の店員が大きな皿を持ってきた。前のめりでそれを受け取った僕は目を疑う。皿に載っているのは生タマネギと、謎の銀の鈍器だった。
まるで食べ方の検討がつかない。振り返ると、店員はまたボードゲームに向かっている。急いで食べてしまわないと時間がない。
とりあえず銀の鈍器を握ってみた。ずっしりと冷たいが用途は分からない。鈍器を片手に玉ねぎをかじった僕の目に、涙が浮かんだ。残された時間はあと10分…。
神秘の国、イランへの旅行
イランを旅行することになったのは、そのミステリアスな雰囲気に惹かれたからだ。ペルシャ帝国の壮大な歴史に、イスファハーンを始めとする偉大な遺産の数々。
一方でアメリカから経済制裁を受け、イスラム教の厳しい戒律が治める国。先日その様子を伝える記事を書いたところ、大きな反響をいただいた。やはりイランには日本人を惹きつける何かがありそうな気がしている。
世界から孤立を深める神秘の国、イランに行った話を書きました。渡航に制約はありますがとてもオススメの旅行先です。特にアメリカから制裁を受けてる今がホットシーズン! / 経済制裁下のイランに行った|Yu Okada @YuuuO|note(ノート) https://t.co/fDpHSZ2jf6
— Yu Okada / 岡田 悠 (@YuuuO) 2019年2月3日
多様な魅力をもつイランであるが、こと食事については大した期待をしていなかった。事前に調べても大した情報はなかったし、ひたすらケバブみたいなものを食べ続けるのだと想像していた。
何より大好きなお酒が存在しない国なので、むしろダイエットのいい機会だと思っていたほどだ。しかし予想に反してイランの食は口に合った。朝昼晩と、腹一杯になるまで食べ続け、最終的に2kg太ってしまったのだから。
イラン人の魂、ナン
イランの食を語る上で、まず外せないのがナンの存在だ。 ナンというとインドが連想されがちだが、その発祥や語源はペルシャにあるという。
昔インドに行った際、「インド人はナンそんなに食べない。それイランだから」と言われ、衝撃を受けたのをよく覚えている。(ちなみにインドでよく食べられるパンはチャパティと呼ばれるらしい)
イラン人のナン好きたるや、どこへ行ってもひっきりなしにナンが登場し、食べ続けることになったのはケバブではなくナンだった。
ナンにも色々な種類があって、薄く焼いた「ラヴァーシュ」はパリパリとした食感がスープや煮込み料理によく合う。
厚めに焼いた「バルバリ」はケバブやハーブを挟んで食べることが多く、たまにだまし絵みたいな意味不明な大きさのナンが出てきたりする。
イランにはナンの専門学校や、ナンを造形する「ナンアーティスト」もいるらしい。ナンはイラン人の魂なのである。
充実の野菜とフルーツ
イランは世界最大の農業国の1つでもある。キュウリやスイカは世界3位の生産量を誇り、食卓にも頻繁に登場する。ホステルの朝ごはんは、大体がナン・キュウリ・スイカのセットだ。
他にもトマトやナス、トウモロコシなどの生産でも有名で、食事は色とりどりの野菜とフルーツで溢れている。
「ドルマ」は中東で広く食べられているロールキャベツのような料理だ。イランのドルマは米や玉ねぎ、パセリの葉などを炒めて、それをブドウの葉で包んで煮込む。ブドウの酸味が食欲をそそって美味だった。
また「ホレシュ」と呼ばれるペルシャ語で「食べる」を意味する煮込み料理も多数存在した。様々な豆と肉、野菜を鍋にぶち込んでグツグツと煮るのだが、野菜がたっぷりで体に良いことは間違いない。味つけも薄味で日本人好みだ。
これだけ野菜に囲まれていたのに太ったのは、全部ナンのせいだろう。
とにかく量が多い
ナンと野菜を中心に構成されるイラン料理だが、予想通りケバブもあった。肉は羊が中心で、臭みも少なくサッパリしていて食べやすい。イランにおいて羊は重要な存在で、ナンと同じく羊飼いの専門学校もあるらしい。
テヘランの街を歩いているとそこら中でケバブサンド屋があって、試しに買ってみたら予想の2倍大きかった。
そもそもイラン料理は基本的に量が多い。特に客をもてなす家庭料理はものすごいボリュームだった。現地人の家にお邪魔したのだが、野菜とケバブが交互に出てきて、インターバルにナンが挟まれるというオールスターぶりだった。
イランには昔から 「最高のシェフは家庭にあり」 という言葉があるという。イラン料理の真髄は一般家庭にあるのかもしれない。
ビールが無い国の飲み物
観光客向けに酒類を販売しているイスラムの国は多いが、イランではそのような例外は許されていない。ビールのみで一食を終えることもある僕にとっては大変つらい環境だが、イランでもノンアルコールビールなら存在する。
レモン味やピーチ味など様々な種類はあるが、ビールに近づけようという意思は全く感じられない。そもそも作っている人たちもビールを飲めないので、「ビールってこんなもんやろ」的なノリで作っているのだろう。
甘く炭酸が弾ける味はどこか懐かしさを感じさせ、これはこれでとても美味しい。
また、イランの飲み物といえば紅茶である。小さい子供から老人まで、みな紅茶を片手にお喋りをする風景がそこかしこで見受けられ、飲み物版のナンと言えよう。
そして、イランで紅茶を頼むと必ず出てくるのが、このスティック状の砂糖だ。めちゃくちゃインスタ映えするし、中目黒のカフェで出てきそうである。砂糖は甘く長持ちし、紅茶3杯分くらいには使える。
イラン料理の共通点とは?
ここまでで気づいた、イラン料理の共通点がある。それは、辛いものがほとんどない ということだ。
トルコを始め、中東では唐辛子の効いた料理に出会うことが多く、「ハリッサ」と呼ばれる辛味香辛料も大人気だ。
イランでも香辛料自体はよく使われるのだが、コショウやシナモン、サフランなど、どれも辛味の弱いスパイスである。
一度唐辛子を市場で見かけたものの、それを使った料理に出会うことはなかった。少なくとも他の中東諸国に比べると相対的な辛味は少なく、イランで食べた最も辛い料理でさえ、ココイチでいうと1辛くらいだった。
辛い料理が普及していないのはなぜだろう?
唐辛子はもともと南米が原産地だ。大航海時代を機にヨーロッパやアフリカ、そして中東、アジアへと、東へ東へと広がっていった。このときトルコから中東、アフリカに唐辛子を普及させたのは、16世紀のオスマン帝国だったとされる。
唐辛子が東へ旅を続ける過程で、なぜイランにはそこまで根付かなかったのだろうか。
ここからは仮説だが、当時のサファヴィ朝ペルシャは、オスマン帝国と激しい争いを繰り広げていた。だとすると、 その軍事的な境界線が唐辛子の普及を妨げていた可能性があるのではないか。
また、ペルシャより東のインドでは周知の通り唐辛子を使ったカレーが主食だが、インドに唐辛子が広まったのは陸路ではなく、バスコダガマが開拓したアフリカルートの海路だったとされる。
つまり、国際的に「孤立」を深める現代のイランと同じように、 かつてのペルシャは唐辛子においてもいわば「陸の孤島」のような存在だったのではないだろうか。
もちろん、イラン人の好みの影響も大きいだろう。薄味を好むイラン人には、唐辛子の辛さが受け入れられなかった可能性はある。
またそもそもコショウやサフランなど、多様なスパイスが既に普及していたことも関係している可能性がある。今のイランでは唐辛子を主役ではなく、あくまで他のスパイスと調和させて用いることが多い。
これは唐辛子がアジアに伝来した当初、韓国や東南アジアのようにそれを食事の中心に据えるのではなく、「七味」として活用した日本と似てはいないだろうか。
島国と陸の孤島。味の調和を楽しむ食事文化。日本とイランは、遠いようで案外近い国なのかもしれない。
涙を流して玉ねぎをかじり続ける僕に、髭面の店員が話しかけてきた。「そうじゃない」と首を振り、壷に入ったスープを机に置いた。どうやらこの壺に玉ねぎを入れ、銀の鈍器で混ぜ合わせるらしい。店員は丁寧にその食べ方を教えてくれた。
この料理は「アーブ・グーシュト」といい、イランを代表する伝統的なペルシャ料理だという。鈍器を押しつぶすほどに、羊肉と玉ねぎ、豆とスープが混ぜ合わさって立体的な味に変化していく。スープは真っ赤だが、やっぱり全然辛くない。
遠くて近い国イラン。汗をかきながらアーブ・グーシュトを混ぜてくれる髭面を眺めながら、唐辛子と、この国の神秘に想いを馳せた。ちなみに電車には乗り遅れた。
ライター紹介
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岡田悠
- 山で生まれ、人間よりも猪の数が多い環境で育つ。小3の時に猪に囲まれた経験がトラウマとなり、狩猟免許を取得。好きな食べ物は猪鍋。イラン旅行を綴ったnoteがバズり、フォロワーが1500人以上増えた。