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コミュニケーション下手な私が、あるお店を“行きつけ”と呼べるようになった話

20代の真ん中頃、友人と代々木上原の一軒家に暮らしていた。

男2人、女2人の4人暮らし。いわゆる「シェアハウス」だ。

当時ちょうど「テラスハウス」の放送が始まったばかりで、会社や飲み会で「4人で住んでいる」という話をすると決まって「テラスハウスみたいだね」と言われた。

守るものなんて何もない自由な若者の共同生活は、テラスハウスみたいなおしゃれさからは程遠かったけれど、楽しくないわけがなかった。

日々の小さなできごとも、4人で共有するだけでちょっとしたイベントだ。月並みな言葉だけど、この4人で過ごす毎日が、ずっと続いたらいいなあと思った。

ただその一方、別のベクトルで育っていったある思いがあった。

ある日曜日、近くに住む小中学生が連れ立って遊びに来た。ルームメイトのひとりが、地域のお祭りで仲良くなった子たちだという。

またある日は、玄関横の駐車スペースに突然車が置かれていた。近所のバーのマスターに、しばらくうちの駐車場を貸すことになったのだそうだ。

またあるときは、男子2人が行きつけのカフェを週1日だけ借りて、バーをやると言い出した(土曜日限定のバーは、結局1年ほど続いた)。

私以外の3人はみんな、いつのまにか身近なところで、ディープな交友関係を築いていたのである。

私はというと、ときどき家の近所のお店を開拓しては見るものの、行きつけも定まらずふわふわと日々を過ごしていた。新しい友達だってできていない。

同じ時期に同じ街に引っ越してきて、同じ家で暮らしていながら、人間関係の密度にこんなに差が出るものなのか。

それは、3人の人たらしな性格に対する嫉妬だった。

いろんな人とすぐに仲良くなれて、いいなあ。そんなコンプレックスが、人知れずにょきにょきと育っていった。

4人で住み始めてしばらく経ったある日、ルームメイトのひとりが「近くにいい小料理屋さんを見つけたよ」と教えてくれた。

「今度みんなも連れてくって言ったから、4人で一緒に行こう」

一緒に住んでいるといっても、4人揃ってごはんを食べることはほとんどなかった。たまたまぴたりと予定があった夜、連れ立ってその店に行った。

小料理屋「あげいん」は、住宅街の真ん中でひっそりと営業している店だった。看板は出ているが、外から店内の様子は見えず、初めて入るにはちょっと勇気がいる。

「こんばんはー」とぞろぞろ入っていくと、女将さんがにこにこと迎えてくれた。カウンター席と、小さなテーブル席がひとつ。10人も入ればいっぱいになってしまう。

壁には、紙に書かれたメニューが貼り付けてある。

刺身に唐揚げ、焼き物、魚の煮付け。家庭的な品が並び、いかにも“近隣の人のための食事処”という風情だ。板前さんと女将さん、2人だけで切り盛りしている店だった。

その日の客は、私たちだけ。20代の客というだけでおそらく相当めずらしく、しかもよくわからない共同生活をしている4人だ。

女将の麗子さんは、興味深そうに私たちの話を聞いた。

「4人はどういう関係性なの?」
「みんな、どんなお仕事してるの?」

それでも何かにつけて
「いいねえ、楽しそうだね」
と言ってくれて、私はとてもうれしくなった。男女混合の共同生活は、「それって大丈夫なの?」と嫌味めいた言葉をかけられることも少なからずあったので、麗子さんがそういう言葉を口にしない人であることにまずほっとした。

料理も、店の雰囲気そのままの、素朴でやさしい味だった。それぞれ頼んだ定食だけでは足りず、追加でちょこちょこ一品をつまみながらおしゃべりを楽しんだ。

さくっとごはんを食べてお暇するつもりが、話好きな麗子さんの性格も手伝ってお酒もどんどん進み、かなり長居してしまった。

深夜、すっかり人気のなくなった路地を、4人でふらふらと歩いて帰った。

私たちはすっかり「あげいん」が好きになり、それからは数えきれないほどお店に通った。

まず、夜でも定食を食べられるのが最高だ。

お酒をあまり飲まない私にとって、これはとてもうれしい。よくホッケの塩焼きや肉じゃがの定食を頼んだ。主菜も副菜もほどよい味付けでおいしく、仕事で疲れた体に染み渡るやさしい味だ。

天井の隅っこにくっついているテレビで、民放のバラエティ番組を見ながら、よくほかの常連さんとも話をした。

祖父母くらいの年代の人が多く、みんな孫に接するみたいに優しくしてくれた。

あるとき、板前の深井さんが体調を崩して入院する事件があり、麗子さんひとりになったお店で、のれんの上げ下げや洗い物を手伝ったりした。

母の日には、カーネーションを買って麗子さんに渡しに行った。

「今日は定食だけ食べてすぐ帰るぞ」と思いながらも、結局いつも閉店間際までだらだらと居座ってしまう。4人にとっての“実家”みたいな場所だった。

ただそれでも、私は「あげいん」にひとりで行くことはなかった。

印象的だった出来事がひとつある。

いつものように4人で店を訪れた日。カウンターでおしゃべりしているとき、麗子さんがふと私のほうを見て、「えーっと……」と言い淀んだことがあった。

あ、私の名前がわからないんだな、と直感した。「○○だよ」と言うと、「ああ、○○ちゃん」とそのまま会話は流れていったけれど、このときほど3人との差がくっきりと見えたことはない。「やっぱりな」と「悲しいな」が同居してざわざわした。

だから、残業で遅い帰宅をした日、「おなかすいたなあ」と漏らしてルームメイトに「あげいん行けば?」と言われても、なんとなく気乗りがしなかった。

「どうせ、覚えてもらってないしなあ」

3人の人懐っこさと自分を比べてすっかり卑屈になっていた私には、ひとりでお店に行く勇気がなかったのである。

今振り返ると、そんなこと本当にどうでもいい。でも、当時は本気でそう思っていたのだ。

だから「あげいん」に行くときは、必ずほかの誰かと一緒だった。なんだか片思いみたいだな、と思った。

代々木上原での暮らしは、結局1年半ほど続いた。私の転勤を機にシェアハウスは解散することになり、私たちはそれぞれ別の街へ散った。

引っ越す前に、最後に4人揃ってあげいんに行ったはずだけれど、なぜかその日のことはまったく覚えていない。

***

もうあれから5年以上が経つ。

私たちはそれぞれ結婚をしたり、出産をしたり、転職したり、会社を興したりと、それぞれの道でなんとかやっている。

“行きつけのお店”についてエッセイを書いてみないか、と言われたとき、久しぶりに「あげいん」のことを思い出した。代々木上原を離れてから、一度も足を運んでいない。

これを機に、久しぶりに行ってみようかなと思った。せっかくなので元ルームメイトの3人を誘ったけれど、誰も予定が合わない。図らずも、初めてひとりで店を訪れることになった。

3月最後の週末、桜も満開だというのに冷たい雨が降っていた。地下鉄を乗り継いで、久しぶりに代々木上原駅に降り立つ。

正直、ものすごくどきどきした。
私のことなんて、覚えていないんじゃないか。

5年前と同じ道を歩いて「あげいん」に向かう。お店は昔と同じ佇まいでそこにあった。

ドアを開ける。カウンターの中にいる深井さんと目が合う。麗子さんは、テーブルに座ってなにやら事務作業をしている。

恐る恐る「こんばんは」と声をかけてみると、「……?こんばんは」と返される。ああやっぱり覚えてないかあ、と思い、

「あの、昔4人で近くに住んでた……」

と切り出したら、ふたりは「ああ!」と言った。

「久しぶりだねえ」

そして麗子さんは、カウンター席に腰掛けた私に、
「あなたはお酒あまり飲まないよね、お茶にする?」
と聞いた。

お酒に弱いことを、まさか覚えていてくれるなんて。思わず「え!そんなことよく覚えてるね」と言ったら、「覚えてるよ」と返された。うれしかった。

ふたりとも、私たちのことをびっくりするほど覚えていた。

「Sくんは〜〜っていう会社で働いてたよね」
「あのとき〜〜の話をしたよね」
「洗い物、手伝ってくれたよね」

銀ダラの煮付けを食べながら、この街に住んでいた頃の思い出をたくさん話した。定食は5年前と変わらずにやさしい味だった。

「もうすぐ元号が変わるねえ。あなたは平成生まれでしょ?」
『いやいや、昭和生まれだよ。私もう31歳だよ』
「あら、もうそんな歳なの!大人になったね。結局、何年くらいみんなで住んでたんだっけ?」
『1年半くらいかなあ』
「なんか不思議な4人だったね。一緒に暮らした人って、家族ともただの友達ともちょっと違って、特別でしょう」

思えば、こんなにゆっくりあの頃を振り返ることは、ほとんどなかった。そうなのだ。4人で過ごしたあの時間は特別だった。

そして「あげいん」もまた、特別な“あの頃”を一緒に共有した、特別な場所なのである。

「ねえ、名刺とかないの?」

と麗子さんに聞かれたので、名刺を1枚差し出した。

「あなたの名前、ずいぶん難しい字を書くんだね」

麗子さんはそう言って笑った。

やっぱり名前、覚えてなかったかあ。だけど全然悲しくはなかった。そもそも私はあの頃、麗子さんにきちんと自分の名前を名乗ったことがあっただろうか。

さくっと帰るつもりが、その日も結局長居してしまった。

麗子さんはお店の外まで見送ってくれた。

「また遊びにおいでよ」

「うん、また来るね」と言って、店をあとにした。社交辞令じゃなく、本当にまた来るだろうなと思った。

あれから5年が経ち、ようやく私にとって、あげいんが“行きつけのお店”になったような気がする。

ほかの3人が数ヶ月で築けた関係をつくるのに、私は5年かかった。だけど、それが私のペースなのだ。

名前を覚えているとかいないとか、そんなことはどうでもいい。多少遠くても、また行きたいなと心から思える場所がひとつ増えたことが、うれしい。あの頃抱いていた幼いコンプレックスが、今頃になってようやく浄化された。これも、大人になったということなのだろうか。

近いうちに、また4人揃って行けたらいいなと思う。「あげいん」というお店の名前が、今になってじんわりと沁みてきた。

ライター紹介

べっくやちひろ
べっくやちひろ
カントリーマアムと本屋が好きな編集者。東京の下町で楽しく暮らしています。
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