「シベリア」というお菓子、知ってますか?
スタジオジブリの映画『風立ちぬ』で、主人公の堀越二郎が食べていた三角形のお菓子です。
二郎は夜道に立っていた幼い姉弟に「これを食べなさい」と差し出すも、シカトされてしまったために下宿で男友だちと食べるはめになっていました。
『風立ちぬ』で印象的に使われたことから、結果的にシベリアの認知度が爆増。パン屋さんに「風立ちぬに出てきたあのお菓子を食べたい」という要望が殺到したといいます。おそるべしジブリの影響力。
ところで、シベリアってどんなお菓子かご存知でしょうか。私は風立ちぬを観るまで知りませんでした。
この記事では、シベリアに触れつつ、ジブリ作品の食べものが美味しそうに見える秘密や、宮崎監督が食べものを通して描こうとしたことを考察してみます。
シベリアが使われたのは宮崎監督の好み?
宮崎監督は1941年(昭和16年)、太平洋戦争開戦の年の生まれです。45年には敗戦を迎えますが、疎開先の宇都宮で空襲に遭った記憶を風立ちぬ制作時にも語っています。
終戦後も食料の乏しい時代は続きます。宮崎監督は、そんな時代に幼少期を過ごしました。2014年から15年にかけてジブリ美術館で行われていた『クルミわり人形とネズミの王さま展』に、宮崎監督は以下のコメントとイラストを寄せています。
「ぼくが小さい頃日本は貧乏でお菓子なんかろくになかったのです。そのせいか マンガや読物にお菓子の国がよくかかれました。アンコならいくらでも食べられるような気がしていました」
(※引用元:『クルミわり人形とネズミの王さま展』パンフレット)
そんな風に書いていることから、宮崎監督の育った環境では甘い物といえばアンコだったのかもしれません。昭和初期は家庭に持ち帰ることのできるお菓子類も今ほどたくさんの種類はなく、菓子パン類は「甘食」と、シベリアくらいだったそうです。
風立ちぬの原作漫画版では、「大正から昭和へ/1920年代の日本は不景気と貧乏、病気そして大震災と/まことに生きるのにつらい時代だった」という解説があります。家族でちゃぶ台を囲んで「みんなでコロッケ一ヶだぞ」と話すイラストも添えられています。
(※『風立ちぬ 宮崎駿の妄想カムバック』より)
映画の中でシベリアが登場するのは「隼型試作戦闘機」墜落後のこと。史実では1928年(昭和3年)です。その少し前のシーンで、銀行がバタバタと倒産していることが描かれているので、日本は当時不景気だったのです。
そんな中にあっても、二郎は名も知らぬ子どもにシベリアを恵んであげようとします。彼が大きな屋敷で育ったことや、現在の三菱重工に当たる会社に入ったことからもわかるとおり、二郎は裕福なのです。
幼い姉弟にフラれて二郎が帰途につくシーンの直後に、橋の下にある乞食小屋を描いているので、宮崎監督は貧富の差に意識的であることが伺えます。
また、家に着き、部屋を訪ねてきた友人が「シベリヤか。妙なものを食うな」と言います。
昭和初期、シベリアは子どもたちにとても人気の高いお菓子だったとジブリ関連の記事で新聞に取り上げられていたのを読んだことがあります。普段、二郎はシベリアなど買わない人だし、大人が買うことが不自然なのでしょう。
二郎はシベリアをふたつ注文していることから、自分ひとりで食べるために買ったわけではないことがわかります。つまり二郎は、ひもじそうにしている子どもたちが「喜んで受け取りそうなもの」を選んで買ったということ。
「金持ちが善人ぶっている」
幼い姉弟は、二郎の態度や彼が仕立てのいいスーツを着ていることから、そう見透かしたのかも。彼に悪意はなかったのかもしれませんが、子どもからすれば「ばかにするな」という話なわけです。
子どもだからかわいそうかもしれませんが、すぐそばには生活に困っている人がごまんといるわけですから、ひもじそうにしている人、全員を救うことなどできませんよね。『風立ちぬ』はそういった難しい問題を描いています。
シベリアはアンコか羊羹をはさむもの
映画で出てきたシベリアは、カステラっぽいもので黒っぽいものを挟んでいましたが、果たしてあれはどんなものなのでしょうか。
カステラは見たまんま、カステラです。そこに羊羹かアンコを挟み込んだものが、シベリアなんだそうです。どちらが主流というわけではありませんが、『風立ちぬ』ではアンコとなっています。
先に引用した『クルミわり人形とネズミの王さま展』パンフレットには、作中に出てくる「おかしの王国」に対し、宮崎監督は「ぼくのおかしの国」というイラストを描いています。それはラムネやきなこ、まんじゅうやしるこ、お団子……つまり和菓子で出来たお菓子の国です。
そこに羊羹がないことから、宮崎監督はアンコのほうが好きだということが推測できます。宮崎監督も幼い頃に、アンコのシベリアを食べていたのかもしれません。
発祥時期も由来も不明! ふしぎなシベリア
では、シベリアはいつ頃から食べられるようになったお菓子なのでしょうか。また、和菓子から作られるお菓子なのに、なぜロシアの地名が冠されているのでしょう。ちなみにカステラも、西洋から渡来したお菓子をベースに日本で独自に発展させたものであるため、和菓子の部類です。
実はシベリアの発祥と由来は正式な解明がなされておらず、定かではありません。
発祥については明治後期から大正初期とのこと……ですが、誰が考案したのかという情報は全くありません。不思議ですね~。
しかし、主に首都圏や関東地方から広まっていった形跡があるようです。関西ではいまだにシベリアの知名度は低いとか。
名前の由来については、信憑性の高い説がいくつかあります。
●カステラ・アンコ・カステラと多重構造がシベリアの永久凍土に似ているから
●多重構造が、雪を乗せながら雪原を走るシベリア鉄道のようだから
●ロシアへの出兵経験を持つ人たちが考案や名付けをしたから
うーん……どれもありそうですよね。わざわざ外国の地名を付ける理由があるはず……とは考えてみたものの、味付けや製法はロシア由来とは考えにくいお菓子です。
今でも伝統的なシベリアづくりを続ける桜木町のお店
このシベリアですが、現在でも食べることができるのでしょうか?
ジブリ作品に出てくる食べものはとても美味しそうなので、風立ちぬを観た人たちの需要がめちゃくちゃ上がっているはず。
スーパーやコンビニで販売しているところはあるようです!
また、現在でもシベリアを作っている街のパン屋さんもあります。横浜は桜木町にある「コテイベーカリー」さんは1916年(大正5年)の創業から、シベリア作りの製法を変えていない貴重なお店。発祥当時のシベリアを味わうことができます!
そんな伝統の味を守り続けていることから、朝ドラの『とと姉ちゃん』にもコテイベーカリーさんが作るシベリアが使われました。
- コティベーカリー
-
神奈川県 横浜市中区 花咲町
パン屋
ジブリの食べものが美味しそうな5つ理由!
「ジブリ作品に出てくる食べものは美味しそう」と、よく言われます。その理由を考察してみると、以下の5つの要因があると思います。
●食べものの形や色へのこだわり
●みんなが知っている食べものを出す
●すごく美味しそうに食べている
●食べる人にとってその食べ物が大事なものだとわかる
●つくり手の顔が見える
1つ目の要因は、宮崎監督がアニメーター(絵を描く人)として天才だから成せる業です。ドキュメントを観ると、宮崎監督が食べものの色の付け方を大事にしていることがわかります。『もののけ姫』を創る過程を追った『「もののけ姫」はこうして生まれた。』には、宮崎監督のそんな姿が収められています。
テストとしてステーキの色付けをしている新人に「人間の感覚として、鮮やかの色の方がうまそうなんだ」「うまそうな茶色のこげた色を置いていかないと」「この中で一番鮮やかな茶色って、この器、木の盆だろ。死んでなきゃいけないのに(※お盆のほうがいい色味で目立ってしまう)」と、的確に指導する宮崎監督。
他のドキュメントでも、食べものの描き方を指導するシーンは多いので、それだけこだわりを持っている部分なのです。また、食べものの描き方だけではなく、それを乗せる器の色味も計算に入れながら「美味しそう」を演出していることがわかります。
つまり宮崎監督の世界を観察する精度と、それを絵で表現する才能がブッチギリに高いわけです。時に現実よりも美しく描いてしまうほど。
2つ目は、シンプルな料理を登場させるということ。カリオストロの城のスパゲッティや、ラピュタの目玉焼き乗せパン(通称ラピュタパン)など、誰もが食べたことのあるものです。だから味を想像しやすい。
宮崎吾郎さんによると、宮崎監督自身はベーコンエッグをよく作っていたそうなので、本人もシンプルな料理が好きなのかもしれません(笑)。その中でも、ちゃんと「美味しそうな見た目の料理」を選んでくるところは、やはり宮崎監督の磨き抜かれたセンスによるものですね。
3つ目。食べる時の人物の表情や動きが、「美味しそうに食べている人」のそれだということ。
ジブリ美術館の『食べるを描く。』展で詳しく紹介されていましたが、『耳をすませば』で、元気をなくしていた主人公の雫がうどんを食べるシーンなどその最たるものです。
最初は箸で持ったうどんは2本だけでしたが、食を進めるごとに3本、最後には4本と、一度に口に運ぶ量がどんどん増えていくのです。雫の表情も晴れやかになっていき、うどんを味わいながら彼女に元気が湧いてきたことが映像に現れています。構成の技術ですね!
このように、宮崎監督は「食事」を物語上で重要な「復活の儀式」に近い形で描くことがあります。登場人物が食べることを通して活力を得ていく様が我々に伝わり、お腹が空いてくるのです(笑)。
『ルパン三世 カリオストロの城』でルパンが食いまくるシーンや、『千と千尋の神隠し』でハクの握ったおにぎりを食べる千尋など、食べることを通して大事なものを取り戻していきます。
また、一緒に食べることは仲良くなるための儀式でもあります。『崖の上のポニョ』の家での食事や、『もののけ姫』でサンがアシタカに肉を口移しするシーン、『となりのトトロ』でおばあちゃんのおはぎを食べるシーンなどがそれにあたります。一緒に食べることで魂を分け合うのです。
4つ目は、80年代生まれの筆者にも実感しにくい事情ですが、宮崎監督は食べたくても食べるものがない世の中を知っている世代です。だからこそジブリ作品では、食べものを尊く描くことが多いのでしょう。
2001年の『千と千尋の神隠し』公開後のインタビューで「飢餓を含めて『食べる』ということが大きなテーマになりうるでしょう」と発言していることから、食べるという行為の重要性を意識していることがわかります。
(※『Voice』2002年1月号 山折哲雄さんとの対談より)
5つ目ですが、ジブリ作品では「誰が作ったのかわからない食べもの」はほとんど出てこないのです。ほとんどの料理は、登場人物がちゃんと手作りをしています。だからこそ、食べる人は美味しくいただいているのかもしれません。
千と千尋では、誰が作ったのかわからないものを食べまくる人たちが出て来ます。千尋の両親は、店に出ているものを勝手に食い散らかして子どもをほったらかしにする……そして彼らは豚になってしまう。これは高度経済成長期を経た日本への冷や水です。
お菓子を食べまくってブクブクに肥大化し、わがまま放題に振る舞う坊。気になる女の子に金目のものを差し出すことしかできないカオナシは、湯屋でもガバガバと食べものを飲み込んでいきます。うーん、耳に痛いメッセージですね(笑)。
仕事一直線野郎はメシを作るヒマがねぇ!
風立ちぬでは、料理をするシーンはほとんどありません。二郎が身を寄せることになる上司・黒川さんの家で、黒川夫人たちが大勢で料理を作っているところが描かれるのみ。しかし二郎が食事をとるシーンは多いです。
そのわけについて筆者の想像を書きます。あの映画は「飛行機作り以外に興味を持てない男が、仕事一直線に生きることを選ぶ」作品です。二郎は仕事以外に時間を使ってるヒマはないので、時短するしかない。
その結果、二郎が料理を作ったり、菜穂子の愛妻弁当を食べるようなシーンは入れられていないのです。「人間、仕事一直線になったら飯作るヒマがないし、食べるものに気を遣ってるヒマなんてねぇっすよ」ということなのではないかと(お茶を入れるシーンだけはありますけど)。
ジブリ作品は、「食」について大切なことを教えてくれる
このように、宮崎監督の作品で「食べものの描き方」を注視してみると面白い発見がたくさんありします。
「作る人の顔が見えること」は、食においては重要です。日本でも、生産者を前に推しだした食品・食材も増えてきているように感じます。
トトロで、おばあちゃんが作る野菜はとっても美味しそうでしたよね?『アルプスの少女ハイジ』を観たら、出来たてのチーズを食べたくなります。
2018年に亡くなった高畑勲監督はハイジの制作を主導し、ジブリでも多くの映画を手がけました。『おもひでぽろぽろ』の昭和のパートで、おばあちゃんが「うちの子はみんなワガママだよ」とつぶやくシーンがありました。
今の時代は甘いものが食べたくなったら、コンビニでいつでも買うことができます。いつでも何でも買えてしまうことは便利ではありますが、そこから大事なものを取り零してしまうこともあるかもしれません。
『クルミわり人形とネズミの王さま展』で取り上げられた「おかしの国」について、宮崎監督は「おかしの国の住人はみんなムシバがいたくてフキゲンだったとホフマンは書いています」と綴っていました。
(※『クルミわり人形とネズミの王さま展』パンフレットより)
世界が甘いお菓子で出来ているなんて、幸せそう。けれど、甘いお菓子を食べ続けることで虫歯になってしまうというのは皮肉です。何事も適量であることが最良なのです。
宮崎監督はアニメ制作においても、顔の見える関係性を非常に重視していました。作品内で描かれる「経済圏」もお互いに顔が見えて、手の届く範囲に収まっています。
インターネットを通じて、どんな情報にもアクセスできる社会になり、その流れは不可逆です。しかしこんな風に、ジブリ作品を通して届けられる知見にも大事なものがあるはず。
ジブリ作品を観ることは、便利さを追い求めるだけではなく、自分にとって、社会にとって、「大事なことはなんなのか」「どうあるべきなのか」を考えてみるきっかけになっています。