湘南・藤沢にある『Ramen渦雷』。
店主の大西芳実さんはこれまでに『鎌倉麺屋ひなどり』、『麺やBar渦』を経営し、数々のアワードに入賞。神奈川を代表するラーメン職人として知られています。
2018年3月に「渦」は店じまいをし、現在は「渦雷」に専念しています。
芳実さんは、お父さんのラーメン店『七重の味の店めじろ』から修業をスタート。弟さんも、ラーメン店の店主だそう。お母さんは渦があった場所で『麺バルHACHIKIN』の女将さんをしています。
つまり、家族4人とも、ラーメン店の店主。これって、すごくないですか?
前半は渦雷のメニューの紹介を。後半は、大西さんご家族のお話を中心に、インタビューをしています。
- 麺バル HACHIKIN
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神奈川県 藤沢市 鵠沼桜が岡
ラーメン
昼はスピーディに、夜はゆったりBarスタイル
渦雷は辻堂の駅を出て、5分ほど歩いたところに店を構えています。お昼はラーメンとご飯メニューを提供。夜はさらにお酒とおつまみも楽しめるBarスタイルで営業しています。
現在、不定期の夜営業では、限定のラーメンが出る日もあります(営業スケジュールや限定情報はSNS等で確認できます)。
この、"昼と夜でお店の雰囲気が変わる"渦雷の営業形態には、「お客さんとのコミュニケーションも大切にしたい」という芳実さんの想いが表れています。おつまみも他で見かけないものが多いのですが、そこにもこだわりが。
「お店で出す料理をすべてラーメンに帰結させたい。ラーメンに使う素材を料理として食べながら、酒も楽しんでほしい。『なんでこの料理を出してるの?』って聞かれたら、「実はこのお肉はラーメンに使ってる地鶏なんです」って言えるつながりを大事にしたい」
そんな想いから、ラーメンの生地をお刺身にしたり(!)、ダシに使っている地鶏のタタキ肉がおつまみメニューになることも。
ある日の夜営業では『エシャロットとラディッシュの味噌RAMENタレディップ』がありました。味噌RAMENに使われている味噌タレを、そのまま野菜につけて食べることができちゃいます。
異色のオリジナルラーメン
私が一番好きなのは、雷Soba。お店の名前に入っている「雷」から、ピリピリ感を連想して作られたスパイシーなオリジナルラーメン。
醤油ベースのスープに、独自配合のスパイスが入ります。
太めでもっちりとした自家製麺は、スープと相性抜群。ラーメン作りに用いる水は、NASAが開発した逆浸透膜浄水装置に通して不純物を除いたもの。
辛すぎないのに、舌の上に心地よいピリピリ感が残る絶妙な逸品です。食べ終わる頃には身体はぽかぽか。
スープを飲み干すと、丼の底にひき肉とスパイスが残るのですが、それをすくって食べるのがめちゃくちゃ美味しいんです。ピリ辛好きにはたまらない味。芳実さんは化学調味料ゼロを貫いているので、完食してもお腹が重くなりません。
辛味好きの方は、「ピカンテ」をトッピングできます。これは雷Sobaと味噌RAMENのみに追加できるもの。激辛。
トッピングのおすすめは味玉。このお店の味玉はおそらく世界で一番うまい。黄身がとろとろのクリームみたいなんです。こんなに美味しいのに、なんと100円!
変化を続ける貪欲な味わい
芳実さんのイチオシは醤油Soba。いわゆる定番系のメニューもマイナーチェンジを繰り返しているので、ファンは日々、渦雷に通い詰めます。
めちゃくちゃ美味しいのに、なぜ改良していくのか……そんな疑問を芳実さんにぶつけると、こんな答えが。
「毎日、同じもの作ってると飽きちゃうんだよね。現状維持は退化の始まりだし、それが原因で廃業してる同業者もいる。せっかく好きで始めた仕事なのに、そんな風になっちゃうのはもったいないから、新しいことに挑戦していってる」
ラーメンロードは長く果てしない道のりですね……。
そんな芳実さんのラーメン哲学が形成された理由も見えてくるヒストリーを、ご家族のお話を中心に、聞いてきました。
険悪な仲の父がラーメン作りの天才だと知った
――芳実さんは、お父さんのお店で修業をスタートしたんですよね。お父さんは昔からよく料理をしてたんですか?
「そんなにしてた印象はないんだよね(笑)。親父は俺が高校生の時に脱サラしてめじろを作ったんだけど。場所は藤沢の『小鳥の街』っていう、いわゆる、もともと赤線地帯だった地域。そこは店名を鳥の名前にする習わしがあったから、目白押しとかけて名付けた」
――芳実さんがラーメンに興味を持ったのはそのあとですか?
「そう。大学生の頃には、めじろはテレビや雑誌で取材されるようになってたから、友だちに『親父さんの店に連れてけ』って言われるの。でも俺は行ったことなかったし、行きたくなかったんだよね」
――えっ?どうしてですか。
「親父とすっごく仲が悪かったから(笑)。でも周りからは催促されるわけ(笑)。それで『あの親父が頑張ってるなら見に行ってやるか』って気持ちも出てきて。ひとりで行く度胸はないから、友だちを連れて行ったんだよ」
――開店からしばらく経って食べたんですね。
「そしたらラーメンがうまくってさ(笑)。それから通うようになった。ある時に親父から『手伝わないか』って言われて。俺もそれまで簡単な料理しか作ったことないのに」
――お父さんも嬉しかったんですかね。お店に入ってからはどのように過ごしたんですか?
「1年修業をして店長になった。店長になって1年務めた」
父のこだわりを受け継ぐ
――お父さんから影響は受けましたか?
「影響は大きいよ。親父はラーメン作りの天才だった。あの時代に1杯700円で無化調を貫いてたのはすごい。今はそういう店も増えたけど、時代の先をいってた。味にこだわるから、コショウもレンゲも置かなかった」
――えっ。レンゲを使わないほうがいいんですか?
「俺や親父のラーメンは丼から直で食べたほうが美味しい。丼に顔を近づけると香りが来るからなのかなぁ」
めじろを飛び出した25歳で挫折を味わう
――めじろから独立してひなどりを鎌倉にオープンされましたが、そのきっかけは?
「親父とまた仲が悪くなったのも原因のひとつだね(笑)。あと若さと無知ゆえの万能感があって。『俺はうまいラーメンを作れる』って思い込んで、勢いのまま店を作った」
――芳実さんはめじろでもレシピ作りはしていたんですか?
「いや。レシピは親父のもので、俺は言われた通りに作るだけ」
――独立後はどうだったんですか?
「最初はお客さんもたくさん来てくれたよ。でも実力が伴っていないから、二度と食べに来てくれない。その時のひなどりのラーメンは美味しくなかっただろうなぁ……。国から借金した運転資金300万円も、半年が経つ頃にはほとんどなくなった」
――ムゴい……。
「でもそんな時、横浜ウォーカーさんが鎌倉の取材の時に声を掛けてくれて。それに賭けようと思って、もう100万を借りた」
――ハイリスクですね。
「その企画にうまく乗れて業績も上げていくことができたけど、あの不安と焦りに追い詰められる半年がなかったら、今の自分はなかったと思う。鼻っ柱を折られて、お客さんの怖さとありがたさを知ったね」
繁盛したことで悩み、渦をオープン
――ひなどりは人気店の仲間入りを果たしました。
「経済的には成功していたけど、そのうち、忙しすぎてお客さんの顔も覚えられない状況に悩むようになった。めじろは小さかったから、親父に会いたくて来るお客さんも多くて。そういう店が理想だったから、これでいいのかって想いも出てきて」
――ラーメン屋さんてお客さんが長居しないですもんね。
「ある時、俺がバイク事故を起こして入院したんだけど、お袋は会社で責任ある地位にいて。みんなの前で朝礼しながら『息子が事故で大変な状況なのに、なんでこんなことをしているんだろう』って思ったらしくて」
――そんな状況でも休めないジレンマが。
「それを機にお袋には、俺がやってる仕事を手伝うって選択肢ができた。俺は俺でめじろみたいな店を、少し大きい規模でチャレンジしてみたかった。それで、2006年に鵠沼に渦を開いた」
――それが「麺やBar」なんですね。
「昼はひなどり、夜は渦に立つ生活をしてたけど、身体がもたなくて1か月に2回点滴を打ってた。なので、ひなどりは畳んで、渦に集中する形なった。ひなどりは3年半やったな」
仕事のことを考え続けることで成功確率を高める
――芳実さんワーカホリックですね。
「自分ではワーカホリックと思ってないなぁ。ラーメンに限らずひとつのことに打ち込もうとしたら、これぐらい当然じゃない?成果を出したいなら仕事に傾ける時間が多くなるし、どれだけその仕事のことを考えるかが成功する秘訣だと思ってるから」
――ストイックですね。
「仕事だけど、好きだからやってるしね。俺の仕事ってものづくりだと思ってるけど、ものを作れるのってやっぱり楽しいよね」
――ひなどりでの経験があって、今のようなスタンスに?
「たしかにその半年で変わったね。だって、『うまいラーメン作るんだ』って思ってたのに、できないことを思い知らされたから。あれは良い修行になった。教わってるうちは本当の修行にはならないと思う」
渦雷の出店と渦の終了……経営者の悩み
――2014年には渦雷を出店されましたね。
「スタッフが増えてきて各々の活躍の場を作るのも経営者の仕事だと思ったから。製麺できる場所も欲しかったしな」
――2018年に渦を終了した理由は?
「いろいろあるけど、今の状態では自分の理想を形にできないと思ったことが大きい」
――どんな理想ですか?
「お客さんを大事にする、味を大事にする、仲間同士を大事にする。渦では上手くいってたけど、渦雷を作ってからバランスが崩れてきた。俺が現場から離れるようになって、揺らいでいった部分がある。俺がいるかいないかで左右されてはだめだから」
――職人と経営者を両立しないといけないんですね。
「あと、世界にそれを持っていきたかった。これからは国内だけを視野に入れていても商売にならない時代になる。だから一回解体して見直さないといけないな、と」
日本でやるならまた湘南で
――単身で再出発したわけですけど、いかがでしたか?
「当初の目標はラーメンを勉強し直して、クオリティを上げていくことだった。仕込みの方法等も変えて、段々味もよくなってきて、自分の理想には近づいてる」
――しばらくは渦雷に専念するんですか?
「いや、渦雷で借りてる建物が取り壊しの予定なんだ。それもあるから、渦の第2部を2021年に始めたいと思ってる」
――そうなんですか。湘南に作る予定ですか?
「鵠沼で探したいけど未確定。でも、最終的にものをいうのは人間力や技術力だと思ってるから、今はそこを磨くことを優先しながら考えていこうかなと。2部に向けて人も募集して、育成していきたい」
――チャレンジ精神を持って仕事をしている気がしますが、どういうことがモチベーションですか?
「人を楽しませて、喜ばせたい。渦雷の提灯に書いてある『驚心動魄』って言葉がまさにそれなんだよ。仏教の言葉なんだけどすごくいいなと思った。英語で言えばロック・ユーだよね(笑)」
――芳実さんロックが好きですもんね。
「そうそう。クイーンの『ウィー・ウィル・ロック・ユー』も、『お前の魂を揺さぶってやる』って曲だし。仕事を通してそういうことをやりたい」
父の味は永遠の目標
――芳実さんの根底に、めじろでの経験がある気がしました。お父さんにどのくらい追いつけましたか?
「お店の在り方って意味では、思い描いていたところにだいぶ近付けていると思う。お客さんとの距離感やコミュニケーションを大事にできているから」
――味はどうですか?渦ではめじろの再現メニューを出していましたが。
「全然まだまだ。常に追いつけないままの存在なのかな……。いつかは追い越せるのかもしれないし。追い越したいけど、追い越したくない気持ちもあるし。でも、それでいいと思ってるんだ」
理想が推進力を与える
芳実さんが、何度も「理想」という言葉を使っていることが印象的でした。
評価を得てもなお、精力的に働き続ける芳実さん。その理想像の原点は、巨大な天才だった父が作り上げたお店と味にありました。
いわば芳実さんを輩出した父のお店、めじろのラーメンはどんな味だったのでしょうか。食べてみたかった……!
これからも進化し続ける芳実さんのラーメンがとても楽しみです。渦の第2部に向けて人材も募集されているので、興味のある人は挑戦してみましょう!
- Ramen渦雷
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神奈川県 藤沢市 辻堂新町
ラーメン