SNS映えを意識しすぎて「好き」を見失った私が、行きつけのバーで取り戻したもの

「上の階にバーがオープンしたんです。もしよろしければ」

食事が終わる頃に店員さんにそう声をかけられ、友達と顔を見合わせた。

そのバーを初めて訪れたのは、2011年の秋。スカイツリーがオープンする半年ほど前のことだった。

その頃はまだ、浅草の実家に住んでいた。地元の友達と一緒に、蔵前にあるカフェレストラン『シエロイリオ』でごはんを食べていたとき、上の階に系列店のバーがオープンしたと店員さんから案内を受けた。

「せっかくだから行ってみようか」と友達と2人で店内のエレベーターに乗り、4階へ。

バーの名前は『リバヨン』。隅田川沿いのビルの4階だから、River +4でリバヨン。なるほどね、なんて言いながら扉を開ける。

広々とした店内。どうやら、靴は脱いで上がるらしい。裸足でじゅうたんを踏みしめ、ふと左を見ると、「あっ!」と思わず声が出た。

隅田川向きの壁は全面窓になっていて、壁一面に夜景がきらめいていた。

首都高に流れる車のライト、その向こうに見えるビルの群れに輝く光の粒たち。隅田川の真っ黒な水面には、ビルの灯りが映ってキラキラと揺れている。川沿いにずっと続くその眺めは、見事な美しさだった。

案内されたのは、窓際の小さなテーブル席。周りにはビーズクッションがいくつも置いてある。友達と2人でぺたんと座り、クッションを抱えた。メニューを見るのも忘れて、しばらく窓の外を眺める。

小さい頃はよく隅田川沿いの公園で遊んでいたから、隅田川は身近な存在だった。でも、夜はこんなに美しい眺めになるだなんて知らなかった。

半年後の2012年5月には、スカイツリーが開業。美しい夜景にスカイツリーが仲間入りし、『リバヨン』の窓からの眺めはいっそう華やかになった。その眺めを目当てにやってくるお客さんも沢山いて、地元に話題のスポットができるのは、少し誇らしかった。

当時の私は20代半ば。食べ歩きが趣味で色々なお店に行っていたけれど、本格的なバーは敷居が高かった。

美しい眺めにおしゃれな店内、クッションを抱えてくつろげる雰囲気。『リバヨン』は、たちまちお気に入りのお店になった。

食べ歩きで同じお店に行くことはほとんどなかったけれど、2軒目、3軒目の締めのお店として、『リバヨン』にはよく足を運んでいた。何度か行くうちに店員さんも顔を覚えてくれて、「こんばんは!」と気さくに声をかけてくれるようになった。

初めてできた、行きつけのお店。なんだかちょっと、大人になったような気分。

家が近いから、終電を気にせずのんびり飲めるのもいい。お通しのポップコーンをほおばりながら地元の友達と夜通し語っていたのは、主に仕事の話だった。

20代半ばごろの私は、仕事に不満があった。その頃は、お茶汲みや、コピー取り程度の一般事務の仕事をしていて、「もっと責任がある仕事をしたいのに……」と、くすぶっていた。

どうにか自分を変えたい、でも何をすればいいのかわからない。そこで、自己啓発本を読んだり、意識高めなビジネス交流会に足を運んだりした結果見事に感化され、「自分はもっとできるはず」「何かを成し遂げたい!」「すごい人になりたい!」と、意識だけ高くて中身はスカスカ、みたいな状況に陥っていた。

そんな中、始めたのが転職活動。やりたいことなんてなかったけど、食べるのが好きだったから飲食系の会社を受けたら、受かった。

職種はマーケティング。正直、マーケティングが何をやる仕事なのかわかっていなかったけど、「マーケティングやってます、って言えたらカッコいいかも!」と思ったからそこに決めた。お茶汲みOLからの脱却が成功したことに、ひとまずは満足していた。

飲食企業で働き始めてから、食べ歩き熱は更に加速した。地元の友達と会う頻度は減り、仕事で新しく知り合った食べ歩き仲間と一緒に、外食に明け暮れる日々が続く。

その頃からだんだん、SNSに食べ歩きの写真をアップするようになっていった。

最初は、SNS運用の仕事をしていたから慣れるために……という名目でやっていたけれど、だんだんソーシャル上で反応をもらうことが目的になっていった。

当時は「好きを仕事にしよう」というフレーズが流行り始めたころだったから、「好きなことを仕事にしている私」を演出したい気持ちもあったのだろう。

選ぶのは、「話題のお店」や「予約が取れないお店」ばかり。もちろん、そういうお店を選ぶのが悪いわけじゃない。何が良くなかったかって、自分の意思がそこになかったこと。

「このジャンル、私そんなに好きじゃないかも……」と思っても、SNSでいい反応がもらえそうなお店だったら行っていた。

詳細な食レポとともに、大量の写真を投稿する。

「話題のお店に詳しいよね、さすが!」「好きなことを仕事にしているなんて、すごいよね」なんて言われるとニンマリ。忙しい仕事の隙間を縫うようにして外食の予定を詰め込み、SNSにアップする。

「仕事をバリバリこなし、趣味も充実している私」を演出し続けた。食べ過ぎ飲み過ぎでよく胃を壊していたけど、それでも食べ歩きをやめなかった。

食べ歩きに狂っていたころにはもう実家を出ていたから、『リバヨン』からも足が遠のいていたけれど、何度かお店に行ったことがある。

しばらく来ていないからもう覚えていないだろう……と思ってドアを開けたら、「あっ、あれ? お久しぶりですね!」と、いつもの店員さんが笑顔で迎え入れてくれた。ふっと心がゆるんで、うっかり「ただいま」なんて言いそうになる。

靴を脱いで、窓際の席に行く。クッションを抱えて、ポップコーンを食べながらスカイツリーを眺めた。

変わらない、何もかも。そのことに安心しながらも、「私は変われたんだろうか?」 と、不安が1滴心に落ちてきた。

目まぐるしく過ぎていく毎日。満ち足りているはずなのに、どこか満たされない気持ちがいつも心の片隅にある。

嫌だ、考えたくない。不安を振り払うように、カシャリ、とSNS用の写真を撮った。

その後、性懲りもなくまたフワ〜っとした理由で転職をする。知り合いに誘われ、とある会社の広報として働くことにしたのだ。広報がどんな仕事をやるのかよくわからなかったけど、「広報やってます、ってなんか華やかな感じでいいじゃん」と思った。給料が上がるのにもつられた。

そして、仕事がめちゃくちゃ忙しくて体調を崩し、約1ヶ月間休職することになった。

社会人になってから、1ヶ月ものまとまったお休みは初めて。周りからは「好きなことでもしてのんびり過ごしなよ」と言われた。せっかくだからそうしよう……と思っていたんだけど、そこでふと「ん、好きなこと?」と思考が停止した。

いくら考えても、「好きなこと」が思い浮かばない。

あれ、おかしいな? 自分を変えたいと願って仕事を変えた。仕事がきっかけで人脈も広がったし、趣味の食べ歩きにも精を出していた。そこからさらに、別の会社から声をかけてもらえた。変われたじゃない、私。毎日充実してたんじゃないの? なのにどうして、好きなことが1つも思い浮かばないんだろう。

わからなくなってしまった。でも、わからないままじゃダメな気がする。そう思って、考えて考えて考えて考え続けて、やっと気づいた。

「自分はもっとできるはず」「何かを成し遂げたい」「すごい人になりたい」「こんな仕事してたらカッコいいんじゃないか」「さすがだね、すごいねって言われたい」

選ぶ基準はいつも、「こう見られたい」だった。

いつも人の目を気にして、「好きなことを仕事にしてキラキラしている自分」でいたくて。この選択をしたら、自分はどう見られるか。そればかり考えていた結果、自分の好きなものがわからなくなっていた。

スマホでSNSを立ち上げて自分の投稿を見返すと、華やかな食事の写真がギッチリと並んでいた。

それを見ても、ぜんぜん心がときめかない。このお店もあのお店も、食べ歩き仲間が「予約が取れたけど行く?」と誘ってくれたお店だ。自分から行きたいと思って足を運ぶことは、もうずっとしていなかったかも。

そこから、少しずつ自分の「好き」という感覚を取り戻すために、心が動くものに日々を費やすようにしていった。

食べ歩き用のSNSはアカウントごと削除した。会社を辞めてフリーランスになり、昔からやってみたかった文章を書く仕事を始めた。ブログを立ち上げて、大好きな純喫茶や下町の街歩き記事を書くようになった。

相変わらず食べるのは好きだし、流行りのお店もチェックする。でも、「話題だから」 じゃなくて 「自分が行きたいから」 という基準でお店を選ぶようになった。

先日ふと思い立って、『リバヨン』に久しぶりに行った。

エレベーターで4階に上がり扉を開ける。顔なじみの店員さんはいなかった。お休みだったのかもしれないし、もう辞めてしまったのかもしれない。まぁ、ずいぶん経っているからね。私だって何度も仕事が変わったわけだし。

鍵付きのロッカーに靴を入れて席につくと、カウンターが目に入った。昔はカウンター席はなかったんだよね。靴を入れるロッカーも、鍵付きじゃなくて普通の棚だった。

ビーズクッションの上にぺたんと座る。そうそう、この感じが落ち着くんだ。

店内を見渡すと、卓球台が見える。あれは昔からあったな。何度かやったことがあるけど、だいたい酔っ払った状態で来ることが多かったから、あんまりラリーが続かなかったんだっけ。

昔よく食べていたおつまみをいくつかと、お酒を注文。お通しは変わらずポップコーンだった。なんだか嬉しくて口元が緩みそうになる。

注文したのは、カカオリキュールとペパーミントでつくる「グラスホッパー」というカクテル。一番最初にここに来たときに飲んだのも、このカクテルだった。チョコミントみたいな味でデザート感覚で飲めるから好きだったんだよね。

食事をしてお酒を飲んで、ぼーっと窓の外を眺める。ビルの光がキラキラと揺れる隅田川、そしてスカイツリー。

ふっと、心がゆるむような感覚になる。

窓からの眺めは変わらず美しい。昔はその華やかさに心踊らせていたけれど、改めて見る光景は懐かしくて、心安らぐものだった。

あぁ、やっぱり好きだな。最初に訪れてから、もう8年。何度か仕事も変わったし、引越しもしたし、いろんなお店にも行った。

でも、「好きなお店は?」って聞かれて1番に浮かぶのはこのお店で、「ただいま」と言いたくなるのもこのお店なんだ。

おいしいものや素敵なお店は無数にあって、味わい尽くしたい気持ちもある。でも、心から好きだと思えるお店が1つあれば、それだけでもう幸せなことなのかもしれない。

「好き」を取り戻すためのリハビリはいまだ継続中だけど、前よりはずっと、自分の思いに正直に動けるようになってきた。

昔思い描いていた「すごい人」には全然なれていない。

締め切り前の深夜にすっぴん部屋着髪ボサボサ状態で、パソコンに向かって今この原稿を書いている私は、華やかでもカッコ良くもない。でも、SNS映えもしないし「いいね」もつかないこんな日常が、今の私にとっては心地いいのだ。

もしまた自分の「好き」を見失いそうになったら、あの店に行こう。
ビーズクッションに座って、ポップコーンを頬張りながらスカイツリーを眺める。そうすれば、心が動くものに自然と目が向くはずだから。

ライター紹介

中村英里
中村英里
浅草出身・都内在住のフリーライター。下町グルメやレトロな純喫茶が好き。おさんぽWebマガジン「てくてくレトロ」運営。
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