三重県鳥羽市の離島「答志島(とうしじま)」に、「ロンク食堂」というちょっと変わった響きの名を持つ食堂があり、そのお店の雰囲気が素晴らしいんだと聞いた。
誰からだったかすっかり忘れてしまったが、その店のことだけは時間が経っても記憶に残っており、いつか行きたいと思っていた。
大阪市内から鳥羽駅へは、近鉄の特急電車に乗って2時間ほどかかる。そこから答志島へ渡るためには、鳥羽駅近くの港から船に乗る必要があるらしい。
その距離を思うとなかなか行く機会を持てないでいたのだが、今回、ふと思いついたように勢いで行ってみることにした。
鳥羽には何度か来たことがあった。国内でも最大級の展示生物数を誇る鳥羽水族館や、その近くの夫婦岩の絶景を見て、海辺の宿に泊まって美味しい海の幸をいただいたりした。
しかし、離島まで足を延ばしたことはなかった。どんな雰囲気の島なのだろう。
近鉄鳥羽駅に到着。
ホテルへの送迎バスが発着し、ショッピングビルの建つ駅前から北へ10分ほど歩くと、鳥羽マリンターミナルにたどり着く。
そこから鳥羽市の市営定期船に乗ると答志島へ渡ることができるらしい。
ちょうど沖へ出ていく船が見え、「あのすごい船に乗りたい!」と思ったが、これは「龍宮城」という名の観光船らしかった。
私が着いたとき、ちょうど「神島」という島へ向かう定期船が出発するところで、その船が答志島の「和具(わぐ)」という港も経由するということだったので飛び乗った。片道540円。
デッキに立って海風に吹かれる。取材当日、天気は良かったのだが風が強くて波が高く、ちょっとうろたえるぐらい揺れた。
とはいえ15分ほど乗ったら答志島に着く。島の周囲が約30キロ、人口およそ2,500人の島だ。伊勢湾に浮かぶ島々の中では最も大きな島である。
これが乗ってきた船。
何も考えず船に乗ったが、着いた和具港から目的のロンク食堂がある答志港あたりまでは、徒歩20分ほどの距離があるらしかった。地図をみると、その途中に古墳があったり神社があったり、見どころが点在しているようだったので寄り道しながら歩くことに。
漁船が停泊する港の風景に目を奪われる。
住居が立ち並ぶ一角には共同の井戸が。
案内板に沿って、「蟹穴古墳」「岩屋山古墳」を見に行ってみる。
「蟹穴古墳」は草に覆われてあまり“古墳感”はなかったが、7世紀に作られたもので、出土した土器は国の重要文化財に指定されているという。
「岩屋山古墳」は急な石段を上りきったところにある。ヒーヒー言いつつ頑張ると、眺めのいい高台に出た。
円型の盛り上がりがあり、さっきの「蟹穴古墳」よりも“古墳感”はある。石室内部に入ることもでき、岩の隙間から日が差して神秘的な雰囲気が味わえる。
古墳のそばにある「美多羅志(みたらし)神社」にお参りをしていくことに。
境内にある椎の木の幹が龍の頭に見える(赤丸で囲ったあたりです)ことから、「龍神さん」と親しまれているそう。
神社のお手入れをされている男性が境内におり、少しお話をした。
「ロンク食堂に行ってみたくてふらっと来ました」、と話すと梛(なぎ)の木の葉っぱをくれた。
漁に出た夫が嵐に見舞われ、その帰還を願う妻が梛の枝を投げ入れたところ、嵐がやんで夫が無事に戻れたという言い伝えがあり、梛の葉は航海安全のお守りになっているのだとか。また海が「凪ぐ」という言葉の「凪」もこの梛の木からきているのだという。
お礼を言いつつ葉っぱを手にして引き続き歩くと、どうやら答志港付近に着いたらしい。うねうねした狭い通路を挟んで住宅が立ち並ぶ。
その先へ進むと目的の「ロンク食堂」が現れた。
店内には4人掛けのテーブルが2つ。
置き物や著名人のサインが所狭しと置かれ、いい雰囲気だ。
「日替わり定食」は800円。1300円する「おさしみ定食」は、日替わり定食に旬のお刺身が付いたものだというので、それを注文させてもらった。
「できたものからお出ししますねー」と、まず運ばれてきたのは「鯛の一夜干し」。いきなり鯛が食べられるとは。
身がホクホクと柔らかく、旨みが濃い。もう、これとご飯でいいぐらいだ。
このしらすも答志島の近海で獲られたもの。
島にはしらすを専門に扱う店もあり、お土産に買っていく人が多いそうだ。
野菜のかき揚げやフライも。
かき揚げはサクサクで、玉ねぎの甘みがたまらない。
ちなみに島を歩くと畑で獲れた玉ねぎがそこかしこに干されているのを見かけた。
そしてこれ。
めかぶがたっぷり入ったお味噌汁。これがとんでもなく美味しい。答志島ではめかぶを刻んだものを「めひび」と言うそうだ。コリコリした歯ごたえで、とろみと旨みがお汁に溶けだしている。
興奮して撮り忘れたが、もちろんご飯もついてくる。おかずがどれもあまりに美味しくてモリモリ食べてしまった。
メインのお刺身はアジとスズキ。
新鮮そのもの。
「うまいっ!」などの言葉を発さずに食べることは不可能だと思われる。
もともとこの店は、タバコと下駄と一文菓子(くじ付きの駄菓子みたいなもの)を売る商店だったそうで、その店をやっていたのが濱口六造さん。
六造さんなので、島の人から「ロクのおじ」とか「ロンクのおじ」と呼ばれていた。その六造さんの息子である武次郎さんのもとに嫁いできたのが静代さん。
23歳の時に嫁いできて店番をしていたが、ただじっとお客さんを待っているのは退屈だというので食堂もすることに。島の人に「ロンクでタバコ買うてきてくれ」、「ロンクで下駄をすげてもうてこい」などと親しまれている店だからと、「ロンク食堂」にしたそうである。
食堂としてスタートしてから47年になるんだとか。
取材時、店内にはご婦人2人組の先客がいらっしゃったのだが、聞けばその2人のうちの1人は、答志島の駐在所に長年勤務していた警察官の奥さんなんだとか。今は三重県の津市にお住まいだが、年に数回、島を訪れるという。
旦那様は20年ほど前から10数年に渡ってこの島の“駐在さん”を務めたそう。
「島の人がみんなよくしてくれてね。いい人ばっかりで。事件なんかなんにもないもん」と語る。幸いにも大きな事件があまりない島ゆえ、“駐在さん”の一番の仕事は島の子どもたちに剣道を教えることだった。だから島の子どもたちは「駐在さん」とも「おまわりさん」とも呼ばず、「先生」と呼ぶんだそう。
ロンク食堂の静代さんのお孫さん姉妹もその方から剣道を教わり、それがきっかけで警察官を志すようになり、つい最近、姉妹揃って警察官の試験に合格。現在、津の警察学校で勉強しているところだという。
そんないい話を聞いていると、「あんたも食べる?」と出してくださったのがサザエだ。
言うまでもない気がするが、豊かな海に感謝したくなるような美味しさだった。
ロンク食堂のメニューの中で定食に並んで人気なのが、めかぶがたくさん入った「めひび伊勢うどん」だという。一旦お腹がいっぱいになった私だったが、もちろん食べて帰りたい。
時間はまだお昼過ぎで、鳥羽の港へ戻る最終のフェリーまでだいぶ間があったので、一旦店を出て島を散策した後、また食べに来ることに。
鶴枝さんがおすすめしてくれた、眺めがいいという「白浜海水浴場」と「八幡神社」へ散歩することにした。
15分ほど歩いてたどり着いた「白浜海水浴場」にはウッドデッキがあり、眼前に広がる海をぼーっと眺めることができた。
砂浜で貝殻を拾うのも楽しい。
来た道を引き返し、20分ほど歩くと赤い橋のかかる「八幡神社」が見えてくる。
海に突き出た「八幡神社」は海上安全や大漁を祈願する神社だそうで、毎年2月に「神祭」という祭礼が行われる。
祭りの中の「弓引神事」で「墨紙」という墨の染み込んだ護符がわりの紙を奪い合うのだが、その「墨紙」で家の戸や船に、丸で囲んだ漢数字の「八」を書くと家内安全の御利益があるとされている。
そのため、島を歩くと至るところに"丸に八"と書いたものを目にした。
また、“丸に八”と並んで島でよく目にするのがこんな手押し車。
これは「じんじろ車(ぐるま)」と呼ばれるもので、じんじろうさんという鍛冶屋さんが開発したものだそう。
「世古(せこ)」と呼ばれる狭く入り組んだ路地が多いこの答志島では、車で家の前まで荷物を運ぶことができない。そのため、日常のあらゆる場面でこの「じんじろ車」が役に立つ。
ロンク食堂の姉妹が子どもの頃にはすでに存在していたそうで、今でも島の鍛冶屋さんによって作られているらしい。家ごとにちょっとずつ形やデザインが違い、これを片っ端から写真に撮っていくだけでも楽しい。
ちなみにロンク食堂の「じんじろ車」は、タバコのカートンが乗る幅に作られた特注品だそう。
あっ!これが、さっき食堂で話に出た駐在所だ。
この1か所で答志島全島の安全を見守っているという。
さて、のんびりと歩き回ってだいぶ腹ごなしになったところで改めてロンク食堂へ。
心地よく疲れた体にビールが旨い。
静代さんが「ちょっとなんか出そうか、なんでもいい?」と言って持ってきてくれたのは、「アイ」という魚。アイゴとも呼ばれるらしい。それを洗いにして、自家製の酢味噌で食べるのがおすすめだとか。
弾力のある歯ごたえと透き通るような旨み。最高の酒の肴だ。
のんびりお話を聞きつつ過ごす。
静代さんと鶴枝さんは現役の海女さんでもあり、毎年7月の15日間に渡る猟期、“海女期”になると海に潜るのだという。
「朝に1時間半ほど潜って、真ん中に2時間休憩してまた1時間半。一日に3時間やね」とのこと。アワビやサザエ、ウニなどが獲れ、タコがいたらタコも獲ってくるという。
少女時代から海は遊び場で、島の方は「元気でいる以上いくつになってもみんな潜ります」だそう。そこで獲れた新鮮な魚介類は「ロンク食堂」の料理になる。
海女期の7月を過ぎるとサワラのシーズンで、秋に近づくにつれて美味しくなり、10月〜11月になると脂が乗って「トロサワラ」と呼ばれるものになる。
答志島近海では種類豊富な魚が獲れ、季節ごとにテーブルの上に並ぶんだそう。静代さんの旦那さんが遊びで釣ってきた魚がその日のメニューになることもあるらしい。
お店の中に並ぶ焼酎のボトルは、ご常連さんたちがキープしているもの。
中には島外の人が、自分と島とを赤い糸でつなぐようにボトルキープしているものもあるそうだ。
ロンク食堂には、鳥羽に旅行へ来た人が足をのばしてフェリーに乗って訪ねてくることもあれば、海外からの団体客が島の食べ物を味わいに来ることもある。テレビのロケも結構来ていて、お客さんに「ちょっとした芸能人やもんな」とからかわれていた。
島も時代によって変わり、子どもたちは少なくなっているという。答志島の伝統で、一定の年齢に達した子どもが家を離れ、「寝屋親」と呼ばれる世話人の家で一緒に寝泊まりをする「寝屋子制度」も徐々に小規模化。近年では、島外から子どもを受け入れたり、移住者を募集したりということも試みられているそうだ。
「めひび伊勢うどん」と……、駐在さんの妻であるご婦人が「ここは中華が美味しいのよー!」とおすすめしてくれた「中華そば」が気になって、両方注文。
ずるり。
ずるり。
どっちもじわーっと染みるような旨さ。「めひび伊勢うどん」はいわゆる伊勢うどんよりも薄味に、おだしも飲めるぐらいの濃さに仕上げてあるという。
「中華そば」は鶏と豚、そして答志島で獲れるその時々の魚でダシをとっていて、具材もその都度あるものを使うらしい。来るたびに必ずこの「中華そば」を食べていく熱心な釣り人のファンもいるそうだ。
ああ、美味しかった。最終のフェリーが答志港から出る18時35分が近づいてきたので、そろそろおいとますることに。
外に出ると答志港はすぐそこだ。
フェリーがするすると近づいてきて、あっという間に船上の人となった。
そういえば、お昼に訪ねた時、神社でいただいた梛の葉っぱに気づいた静代さんが、こんな風にラップでくるんでくれた。
それを見た鶴枝さんが、「凪っていうのは、波が穏やかなこと。良い日のことです」と言ったその言葉を思い出した。凪っていうと、なんか静かで平坦で何もないみたいだけど、そういうのが本当の「良い日」なんだよなと思う。
天気にも恵まれ、穏やかで静かな時間を感じられた一日だった。
- ロンク食堂
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三重県 鳥羽市 答志町
定食
ライター紹介
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スズキナオ
- 東京生まれ大阪在住のフリーライター。お酒と麺が好き。酒場ライター・パリッコさんとの酒ユニット「酒の穴」の一員としても活動中。