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日本最高齢、93歳の現役バーテンダーが語る!伝説のカクテル『雪国』誕生ものがたり

記者や編集者という仕事柄、自分で調べたり、人から教えてもらったりして、全国にあるいろいろな地域の飲み屋やバーを訪ねてきた。

そんな中で、遠方にも関わらず、3ヶ月と空けずに通っているバーがある。山形県酒田市にあるそのバーの名前は、『喫茶ケルン』。

酒田市役所のすぐ近く、中心部の大通り沿いに面したレトロなビルの1階で、昼は喫茶店、夜はバーとして営業している。

午後7時、バータイムになって扉を開けると、純喫茶風の広い店内からは、従業員の楽しそうな会話が聞こえる。

いわゆるバーにしては珍しいアットホームな雰囲気の中、カウンターに座ると、「いらっしゃい」と声をかけてくれる気さくなおじいちゃん。

井山計一さん、御歳93歳。現役最高齢、今も週に5日シェイカーを振り続ける、バーテンダー界の生けるレジェンドその人だ。

噂を聞きつけ、日本全国、遠くは海外からも、井山さんの一杯を飲みに通う人たちがいる。

ただそれは、井山さんが現役最高齢のバーテンダーだからではなく、日本を代表する数少ないスタンダードカクテル(世界中のバーで日常的に飲まれる定番カクテル)の1つを考案したことによる。

カクテルの名は『雪国』。グラスの縁を飾る細かなシュガーと、鮮やかなミントチェリーが沈む淡い緑色の液体。

東北の長く厳しい冬に降り積もる雪と、その下から芽吹こうとする春の気配を感じさせる、まさに名前を体現した美しいカクテルだ。アルコールは強めにも関わらず、甘味と酸味が絶妙に調和した爽やかな飲み口となっている。

『雪国』は、数種類しかないと言われる日本生まれのスタンダードカクテルのひとつ。そして、考案者本人が作ったオリジナルを飲める唯一のカクテルなのだ。

だから最初は、「すごい人のすごいカクテルを飲みに行く」と気負って行きがちなのだけれど、バーの雰囲気はアットホームで、井山さんも気さくでおしゃべり好き。

みんな最初はオリジナルの『雪国』を飲むために来ていたのが、このバーの妙な居心地の良さの虜になる。

そして一度カウンターに座れば、井山さんの尽きることのない軽妙な話がとにかく楽しくて、さらに虜になるという寸法だ。

井山さんがおやつを買ってきて、バー営業がはじまる前に従業員みんなで「おやつタイム」を楽しむのが恒例

井山さんがおやつを買ってきて、バー営業がはじまる前に従業員みんなで「おやつタイム」を楽しむのが恒例

そのギャップとアットホームな安心感が、『喫茶ケルン』を多くの人が訪れる理由なのではないかと思う。

カウンターに座って、井山さんと何とはなしに話をしていると、本当に面白いエピソードがポンポン出てくる。

「面白い話ばっかりどんどん出てきちゃう。なにせ、人間がおっちょこちょいなもんですから」と井山さんは笑う。

そんな波乱万丈な井山さんの人生を少しだけご紹介させていただきたい。

カクテル『雪国』の誕生秘話

井山さんの代表作『雪国』は、1959年の寿屋(現・サントリー)主催の全日本ホーム・カクテル・コンクールでグランプリを受賞している。

コンクールの審査員長は詩人・作詞家のサトウハチロー、審査員も実業家の五島昇に小説家の安岡章太郎、芸術家の岡本太郎など、そうそうたる顔ぶれ

コンクールの審査員長は詩人・作詞家のサトウハチロー、審査員も実業家の五島昇に小説家の安岡章太郎、芸術家の岡本太郎など、そうそうたる顔ぶれ

その時代で最も権威のある賞のひとつを受賞したのだが、井山さん曰く、そんなに意識して作ったカクテルではないのだという。

それまで何十回と様々なカクテルのコンクールに応募しては、落ちまくっていたという井山さん。ぱっと目に入った酒から作って応募し、「それきり忘れていた」そうだ。

ある日、電話がかかってきて東北地区の予選を通過したことを伝えられたが、井山さんの答えは「雪国? なんだっけそれ?」。

『雪国』の特徴のひとつ、グラスの底に沈んでいるミントチェリーも、当初はグラスの縁についていたもの。東北地区の予選通過後、仙台のバーテンダー協会の会長が、「この方がいいと思って変えといたから」と、底に沈めるスタイルに変えて全国大会に出してくれたのだという。

「全国大会に行って、エントリーしたカクテルの紹介を見ていたら、自分の『雪国』のところで、ミントチェリーが底に沈んでる。『あれ?』と思ったら、そういうことだった。会長さんがいうなら間違いないだろうということで、このスタイルになったの」

社交ダンスの講師から、バーテンダーへ

そんな頓着のない井山さん、以前は社交ダンスの講師だったという。終戦直後、酒田市で叔父が始めたダンスホールを手伝ううちに、みるみる上達して教える側になり、山形県の社交ダンス協会の創設メンバーにも名を連ねるほどに。

多くの生徒がついていたが、「パートナー役の女房が全然ダンスができなくて」と井山さん。奥さんを気遣い、そこでダンスの講師をスッパリ辞め、仙台で別の仕事を探すことに。

仕事を求めて街を歩いていたところ、電柱に新しくオープンするキャバレーでバーテンダーを募集するという張り紙を見つけた。運よく採用されたのは、ホステス200人、ボーイ25人という巨大なキャバレー。

「先輩バーテンダーは何も教えてくれないから、作ってるのを横目で見て、どんな酒をどれくらい入れているかメモしておいて、単語カードにレシピを書いて覚えるようにした」と井山さん。

見習いとして先輩バーテンダーの技を盗みながら勉強を重ね、バーテンダーになったのだと語ってくれた。

このダンス講師からバーテンダーへの異色の転身について、「女房がカクテル人生に導いてくれた」と、井山さんは当時を振り返っている。

「私は本当は死んでるんですよ」

「私は本当は死んでるんですよ」とも話す井山さん。

地元の商業高校を卒業後、親戚のつてで、神奈川県横浜市鶴見区にあった東京芝浦電気(現・東芝)の工場で設計士として働くことに。

時代は戦争末期、ある日たまたま工場の泊まり勤務を代打で引き受けることになり、翌朝家に帰ってみると、下宿先の自分の部屋が空襲で跡形もなく吹き飛んでいたという。

持ち物も全て無くなってしまったので、手提げ鞄と本1冊だけ、食べ物もないまま酒田まで帰ることに。空襲を避けながら、延々3日3晩飲まず食わずで実家にたどり着いた井山さんは、玄関先でばったり倒れてしまうほど消耗しきっていた。

「あの時は本当に大変だった。食べ物ひとつも全部配給で。変な時代でした」と回想してくれた。

話は続く。実家に帰って少し経ってから、手元に赤紙=召集令状が届いた。

ただ、届いたのは8月17日。「戦争終わったんじゃなかったっけ?」と周りに聞いたけれど、まわりの友達にも赤紙が来ていたため、「もう二度と会うこともないな」と、市役所からもらった酒(赤紙が届くと、餞別として酒が送られた)を酌み交わした翌日、やっぱり招集は解除になりましたと。

「お酒返してと言われたけど、飲んじゃったって言ったら、じゃあ、いいですってことで。タダでお酒がもらえました」と、結局は笑い話にしてしまうのが井山さんらしい。

他にも、落語を毎日欠かさず聞くのが趣味で、落語家の古今亭志ん朝と大の友達だったということや、ひょんなことから演歌歌手の大泉逸郎の演歌『雪の最上川』を作詞したこと、歌手の井上陽水が来店したけど気づかなかった話など、聞けば聞くほど面白い話ばかり。いくら話してもエピソードは尽きない。

あの居心地の良さに誘われて

なぜ『喫茶ケルン』はこんなに居心地がいいのかと問うと、井山さんは次のような秘訣を教えてくれた。

「バーテンダーは自分の形を認めてもらいたいが、気取りすぎるとお客さんも取っつきにくい。そういう環境でいた人は、ここにくるとびっくりしちゃう。なんでこんなに賑やかなんだろうと。

バーテンダーがお客さんと気さくに会話するのも普通じゃないけど、喋っちゃう。みんな私の性格がわかって、気楽にやればいいんだと思ってくれる。意識的にやってるわけじゃないけど、『ここはこれでいいんだ』そう思ってます。なんとも居心地いいんだなあと、みんな言いますね」

もちろん『雪国』は美味しくて、飲むのだけれど、むしろ井山さんの人柄とアットホームな店の雰囲気に誘われて、井山さんと話すために訪れる。そんなバーなのだと、改めて感じている。

帰りがけに、「またいらっしゃい」と声をかけてくれた井山さん。

数日後、酒田の街は山形県沖地震の発生で大きな揺れに襲われたが、『喫茶ケルン』は被害もなく、変わらず営業を続けている。

最後にひとつ、実は井山さん、お酒が全く飲めない。

「一度舐めれば味は覚えている。創作カクテルは、その記憶を頼りに、パッと思いついて作るんです」

話が面白くてついつい忘れがちになるが、やはりすごい人なのだ。次はどんなエピソードが聞けるのか、また井山さんに会うのが、楽しみでしょうがない。
 

ライター紹介

山本 剛史
山本 剛史
福井県鯖江市生まれ、神奈川県鎌倉市在住。民俗と酒を愛し、全国のローカルで起きている新しい動きに触れるのがライフワーク。NHK記者や雑誌「ソトコト」の編集者として培ったフットワークの軽さで、各地のおもしろいヒト・モノ・コトを開拓中。好きな食べ物は、別府の“地獄蒸し”料理と、福井で冬に食べる水ようかん。
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