亡き父が残した伝説のタルタルソース

京都にはオリジナリティ溢れるお店があります。その店の名は、7月に開店1周年を迎えた『タルタルクラブ』。

文字通り、ほとんどの料理に「タルタルソース」がたっぷりとかけられた、 タルタルファンにはたまらないレストランです。

今回、ぜひこちらを紹介したいと取材交渉をしていたのですが、そんな中、突然の訃報が…。その店のシェフがお亡くなりになったのです。

記事にすべきか悩みました。けれど、初代がお店に込めた想いと、店を継ぐ2代目への応援のため、最大限の敬意を払って筆を執ることにしました。

今回は突然「2代目店長」としてバトンを渡され、お店を継続させるために力を尽くしている、ご子息の山田明義(あきよし)さん(42)にお話をうかがいました。

亡くなったシェフは「タルタルおやじ」と呼ばれた

訪れた場所は京都のベッドタウン、山科(やましな)。

目指す『タルタルクラブ』は、地下鉄の東西線・東野駅を降り、新幹線の高架下に添って東へ5分ほどの位置にあります。

こちらが、そのお店。レンガの壁は目印。

ドアを開け、先ず目につくのが、ほほえましい “タルタルおやじ” のキャラクター。

これは6月21日に、67歳で逝去した初代店主、山田昌行さんの姿をデザインしたもの。

この店は昌行さんが定年退職をしたのち、第二の人生として始めたのです。

「タルタルおやじ」とは、昌行さんのニックネーム。愛されていたお人柄が、ほのぼのとしたイラストから伝わってきます。

突然2代目となった店長はミュージシャン

こちらが2代目店長。タルタルおやじの息子、山田明義さん。

続いて目を見張るのは、さまざまなアーティストのポスターやフライヤー。

さらにインディーズのCDも壁にふんだんに。音楽色がとても強いのです。

山田:「この店は、アーティストや、さまざまなクリエイターが集まる『アンテナスポット』にしたいと考えているんです。スタッフもシンガーや演奏家が多いんですよ

レストランでありながら、なぜアーティストの情報が集まるのか。それもそのはず、料理をつくっている山田さん、実はベテランミュージシャン。

山田さんはプロの音楽家を志し、20年前に上京。ギターヴォーカリストとして活躍し、これまでプロデュースをはじめ30枚以上ものアーティストのアルバム制作に関わりました。

また、ご自身が演奏するのみならず、たくさんのイベントを企画しています。

山田:「今はタルタルクラブの店長と、クリエイター活動を同時にやっている状態です。ついこの間も名古屋のライブで演奏して、終わったら車で2時間かけて京都に帰ってきて、トマトソースを仕込んでいました

このように、はからずも激務となった日々が続いている様子。

しかし、たとえどんなに忙しくても、山田さんはタルタルおやじから譲りうけた「自家製」のポリシーを貫きます。

たとえばトマトソースは、知人の生産者から買い受けるフレッシュなものを使ったり。

生野菜の段階から、ていねいに手づくりしているのです。

タルタルソースがどっさり!

では、タルタルソースを使った料理を紹介しましょう。

こちらは、日替わりフライが5つも並ぶ豪勢なランチメニュー「タルクラAセット」(ごはんorきんぴらごはん 味噌汁 サラダ付き/1000円)。

直接タルタルソースにフライが挿されていて、ビジュアルが「犬神家の一族」を思わせ、いきなり度肝を抜かれます。

このようなタルタルソースたっぷり料理が、ランチタイムは定食(800円~)で、ディナータイムは単品で提供されます。

これは、カキフライ。

こちらは白身魚のフライ。

ハンバーグにも、タルタルソースが、ぽってりと。

なかには、グラスに惜しみなく盛られ、まるでスイーツのような見た目の「タルタルパフェ」(700円)なる驚きのメニューも。

タルタルソースは、マイルドでクリーミー。なんと上品な味なのでしょう。

揚げられたアツアツパン粉をタルタルソースがやさしく包み込み、料理全体を調和させています。

甘さや酸味を抑えたヒミツのレシピ

タルタルソース独特の「ツン」と鼻腔をつく刺激が少ないのも特徴。ナチュラルで、いくら食べても飽きないです。それどころか、このまま飲めそう。

山田:「あっさりしてるでしょう。うちは、あえてタルタルソースにはピクルスを入れていないんです。なので酸味がそれほど強くない。

『たっぷりかけてほしいから、くどくならないように』って、親父が考えたんです

ーーーこのタルタルソースは、お父さんのオリジナルレシピなのですね。

山田:「入っているのはマヨネーズ、玉ねぎ、たまご、パセリ……あとはヒミツです。とはいえ、極端に変わったものは入れていないですよ

ーーーヒミツ……そうですよね。これは今後も通って、自分の舌で解き明かさないと。

タルタルソースの多さは感謝の気持ち

ーーーそれにしても、タルタルソースの量がすごい。1日にどれくらい仕込むのですか?

山田:「たまごは1日に30個ほど使います。春から『タルタルソースのかけ放題』を始めたので、最近は消費量がもっと増えています

ーーーお父さんのサービス精神が伝わってきますね。

山田:「この店を開いたときも、『わしは皆さんに感謝をしたいんや』と言っていました。タルタルソースをたっぷり添えるのも、親父なりの感謝の気持ちの表われだったのでしょう

バンドマンたちが絶賛した伝説のタルタルソース

亡くなったお父さんは、京都に本社を置く商社の営業マンでした。会社員時代から、料理をつくることがお好きだったそう。

山田:「京都はホテルが高いので、俺の実家にツアー中のミュージシャンを泊めていたんです。そこで、親父がよく料理をふるまってくれましてね。するとね、みんな親父がつくったタルタルソースを褒めるんですよ。『めっちゃうまいじゃん!』って

実家を訪れた誰もが絶賛したタルタルソース。その評判は、次第に仲間のミュージシャンへと広がっていき、いつしか“タルタルおやじ”と呼ばれるまでになったのだそう。

イベントから店舗へ

この好評価を受け、山田さんは、あるイベントを思いつきます。

山田:「今から5、6年前のことなんですが、『わざわざうちの実家へ来なくても、親父がつくるタルタル料理をみんなが味わえるイベントをやったら楽しいんじゃないか』とひらめいてね

それで、親父に『イベントで料理をつくらへん?』と誘ったんです。『タルタルクラブ』は、もともとはイベント名だったんです

こうして不定期に始まったイベント『タルタルクラブ』は、ライブハウスとのコラボなど、形や場所を変えながら回を重ねて賑わっていきました。

山田:「初めてイベントを開催した時、自分がつくる料理をお客さんが喜んでくれたことが、すごく嬉しかったらしいんです。会社員時代は永く営業マンでしたから、お客さんと直接ふれあう経験って、なかったようですし

お父さんがつくるタルタルソースの注目度は一層高まり、ならばと、いよいよ山科に専門店をオープンする運びとなったんだそう。

店舗へと進化した『タルタルクラブ』はオープン以来、お客さんが引きも切らない人気店に。東京に住んでいた山田さんも、京都へ戻るたびに手伝っていました。

明るいお父さんの雰囲気は人々を和ませ、新たなファンもつき、「タルタルの船盛り」なんていう豪快かつユーモラスなメニューまで登場。

父の「肺がん」が発覚

事態が一変したのは、2018年の12月。

山田:「親父が年末から咳をし出しましてね。はじめは『風邪か?』と、内科へ通ったのですが治らず。それで、CTで精密検査をしたら、肺がんが見つかったんです。発見は、今年の2月の半ばでした

抗がん剤や放射線治療の甲斐があり、入退院を繰り返しながらお店に立っていたんですが、6月の半ばに容態が急変したんです。6月21日に亡くなったんですけど、入院後もベッドで経費の計算をしていたし、スマホでエビを発注していたくらいですから、とにかく急で

そう語る山田さんは、お父さんのあっという間の急逝を、いまだにうまく飲み込めていないように僕には思えました。

山田:「息を引き取った時、悲しいよりも、『信じられない』気持ちの方が強かったです。親父との最後のやり取りは、LINEで交わした『あの食材、どこで発注してんの?』でした……。今後は、ふたりで交代制にしようと考えていたところだったんです。まさか、死ぬなんて、ないよなって

この店を続けていきたい

食べるごとに、ほっとする、親しみやすい味の「伝説のタルタルソース」。タルタルおやじは故人となりましたが、ぜひともこの味を継いでいただきたい。そう、切に願わずにはいられません。

山田:「俺もこの店は、できる限り継続していきたい。つぶしたくない。ここはもう単なる飲食店ではなくなっているし、タルタルソースを介して集まってくれた人同士がつながる、コミュニティになってるんとちゃうかな

皆さんもぜひ、親子や仲間をつないだタルタルソースを味わってみてください。

※しばらくは開店日が定まらないため、ホームページの営業日カレンダーを見て、1度電話で確かめてからお越しくださいとのことです。

吉村智樹

吉村智樹
吉村智樹
京都在住。ライターと関西ローカルの放送作家を兼業。関西版「VOW」三部作(宝島社)を上梓。近著に怪談集『恐怖電視台』(竹書房)、関西のヘンな看板を撮り集めた『ジワジワ来る関西』(扶桑社)がある。妻は小説家の花房観音。
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