30cm×30cmのまっさらなスペース。
そこに画家が絵を描けば、100万円以上の値がつくことは珍しくありません。しかし、そこに盛られた料理が100万円で売られることはあるでしょうか。
「食の価値がなぜ低いのか。それは食が『アート』を突破していないからだ」
そう憤り立ち上がったのが、焼肉界のカリスマシェフであり六花界グループのオーナー、森田隼人(モリタハヤト)さん。
「肉×日本酒」のペアリングを広めた第一人者である森田さんは、ワインの最高峰ロマネ・コンティを超えアートとなる日本酒を造るため、世界で初めて移動しながら発酵・醸造する酒「旅スル日本酒」プロジェクトを立ち上げました。
舞台となるのはロシア。東のウラジオストクで酒を仕込み、西のモスクワまで発酵させながら車を走らせていくというのです。その距離、片道9,800km。
インタビュー前編では、この「旅スル日本酒」プロジェクトが生まれた背景、森田さんの食にかける思いやその原体験などを聞きました。
<前編記事>
→【往復2万km】日本酒の価値が上がらねえから、オレがロシアに行ってきた
後編となる今回は、実際の旅の裏舞台とプロジェクトの今後について伺います。
世界初となる、移動しながらの日本酒造り。その道中はもちろん一筋縄ではいかなかったようで……。数々の困難をクリアして世に誕生した「旅スル日本酒」は、果たしてアートを突破できるのでしょうか!?
(文:みやじままい インタビュー・編集:くいしん 編集:山田和正 )
すべて一発勝負! 世界一小さな酒蔵・軽トラックでの酒造り
2019年、8月。
森田さんと「旅スル日本酒」プロジェクトのメンバーはロシア東端のウラジオストクにいました。
全13名のプロジェクトメンバーは、技術協力を仰いだ蔵人さん1名を除きすべてが大学生。
森田さんはいくつかの大学で講義を持っており、そこで熱量のある学生に自ら声をかけ仲間を募ったそう。メンバー全員で岩手県の「南部美人」など名だたる酒蔵での研修を行い、酒造りだけでなく蔵の清掃・管理までを習得してきました。
旅の計画は以下のとおり。
・ウラジオストクに到着後、10日間をかけて酒蔵の清掃と組み立て、酒の仕込み
・その後、約2週間をかけて徐々に酒を発酵させながら9,800km先のモスクワへ
・モスクワで3日かけて搾りの工程を行い、ロシアの方々を招いたお披露目会を開催
すべてがやり直しのきかない一発勝負。もちろん費用はすべて森田さんの持ち出し。お酒ができなければ全てが水の泡です。ここでの準備が成功の可否を分けるといっても過言ではありません。
今回の挑戦で「世界で一番小さな酒蔵」となるのが、冷蔵設備を積んだ軽トラック・通称「とらべえ」。
当初は、シベリア鉄道にタンクを載せてモスクワを目指す予定でしたが、造りたい酒造量に合うタンクはどうやっても鉄道のドアに入りきらず、断念。それでも「発酵は陸の上のもの」と陸路での移動にこだわった森田さんが探してきたのがこの軽トラックでした。
森田さん
「鉄道がダメになったとき、冷凍冷蔵車にしようと思ったんですけど、5〜6tもある大きな車ばかりで。それじゃあ夢がないなと。僕は昔バックパッカーだったこともあって、“コンパクト・イズ・ベスト”の考え方なんです。僕がやっている焼肉屋『六花界』もわずか2.2坪。それと同じサイズがいいと思って」
まず始めに行なったのは冷蔵庫内の徹底的な洗浄。メンバーは丸2日、寝ずの清掃作業に明け暮れました。
「庫内は酵母菌が育つ神聖な場所。雑菌を入れることは許されない」
これも酒蔵での修行で得た心構えです。
庫内の清掃のあとは、酒造りの仕込みの作業。
様々な輸入規制があり、日本からロシアに持ち込むことができたのは、このとらべえとタンク、米・麹のみ。残りの材料や備品はすべてロシア現地で調達することになります。
森田さん
「酒造りに欠かせない水も持って行けなかったので、現地で20種類以上の飲料水を利き水して、その中で一番柔らかく日本酒の味の邪魔にならないものを選びました」
その水と麹菌を合わせ、麹が少し溶けて温度が上がってきたところで酵母菌を追加。それがスターターとなり、少しずつ発酵が進んでいきます。
ウラジオストクで行った準備はここまで。上の図でいうと、もろみの一歩手前くらいの段階です。アルコール度数でいうとまだ1%くらいで甘酒に近い状態。
酒蔵を組み立て、酒を仕込み、ゆっくりと発酵を促す。
十分な睡眠もとれないまま10日間があっという間にすぎ、ウラジオストクを出発。移動しながらお酒を造る、という人類史上初となる挑戦がいよいよ始まります。
モスクワまで残り、9,800km。
原始的な酒造りに最先端の技術を掛け合わせた、新しい日本酒
酒蔵での酒造りとは違い、外界の環境がめまぐるしく変わる移動しながらの酒造り。衛生管理や温度管理などはどのように行っていたのでしょうか。
森田さん
「難しいのは、菌が入らないと酒ができないということ。でも排気ガスが入ると酒がまずくなる。とらべえには特殊なフィルターを搭載して、余計なガスや臭気がほぼ入らないように徹底し、発酵の妨げにならないロシアのワイルドな酵母菌だけが入るようなシステムをつくりました」
厳しい外気の中の移動ということで一番気をつけていたのが衛生面。トラックを改良し、排気ガスを逃す方向など綿密に調整したそう。また庫内に入る前には全身をくまなく洗うなど、徹底した衛生管理を行いました。
森田さん
「温度管理でいうと、車内にはWi-Fiが飛んでいて、酒の温度が上がりすぎてしまうとアラームで知らせてくれる。さらにはそれが岩手県の酒蔵とつながっていて、何かあれば指示が仰げるようになっていました。今回の旅程は9,800kmという距離もそうなんですが、高低差も1000mくらいあったんです。その中で酒の温度を平均10℃にキープし続けるというのは大変で、片時も目が離せませんでした」
「旅スル日本酒」とは「地球で造られた酒」である。そのためには、ロシアの広大な自然の空気がしっかりと酒を育んでくれるシステムを作り上げることが必要でした。
それを叶えるために世界一小さな酒蔵には最先端の技術が搭載されていたのです。また、酒の製法にもこだわりがありました。
森田さん
「飲んだときに『僕たちが旅してきた景色が蘇る味』になることが大切でした。本来は日本酒って、米を追加して3回発酵させながら薄めていくんですが、僕たちはそれをしませんでした。最初に入れた水と麹のみで、米は混ぜない。その1回で最後まで持っていくというのがこだわったところです」
水と麹のみで造るシンプルな手法はまさに酒造りの原点。味を薄めないお酒はとても濃く甘い味に仕上がるのだとか。
森田さん
「アイスワインのような濃いお酒に旅の香りが乗るという設計でした。かつ衛生面を考えても、あまり酒に触れないことが一番よかった。作業工程を増やすと、減点方式でリスクが高まるので」
その昔、水と麹のみで酒を造っていた時代には衛生管理が行き届いていませんでした。森田さんはこの原始的な酒造りに、最先端の品質管理システムを導入。「旅スル日本酒」は古きと新しきが入り混じる手法で造られることになったのです。加えて、移動における「振動」も酒造りにいい影響を及ぼしたといいます。
森田さん
「酒造りでは、全体的に菌を行き渡らせる『櫂入れ』という作業をするんですが、車の振動があったのでそれを行う必要がなかったです。あとは、科学的に立証されているかはわからないのですが『振動を与えると酒がうまくなる』という文献もあって。いい効果が出たんじゃないかと思います」
旅スル日本酒が完成! ロシアの人々の反応は?
ウラジオストクを出て2週間。ときには1日に1000kmもの移動をし、そしてモスクワまであと1800kmというところでとらべえが故障するというトラブルに見舞われながらも、「旅スル日本酒」はなんとかモスクワの地へ到着!
大急ぎで搾りを終え、できあがったお酒は500mlのボトルで60本分。なんとかお披露目会にも間に合わせることができました。
集まったのは、50名の現地の人々。日本に精通した人やメディア関係者など感度の高い方も多い一方で、この会で初めて日本酒を飲んだという方もいたそうです。
森田さん
「みなさんに口を揃えて『すごくおいしい』と言っていただけたのが本当にうれしかった。旅スル日本酒のコンセプト自体もすごく喜んでもらえて、『ロシアでやってくれてありがとう』と感謝されました。
また、ロシアの人って国内の移動をあまりしないようなんです。『オムックってどんな町なの?』などロシアのことをたくさん聞かれました(笑)。こちらは旅をしてきているので、会話がまったく尽きないんです」
国籍も違う、初対面の人同士が乾杯しても、酒造りの工程そのものがコミュニケーションとなる「旅スル日本酒」。森田さんはその出来栄えについてこう語りました。
森田さん
「旅を全部思い出しました。ロシアってほとんど晴れないと言われているんですが、僕たちが旅した期間は、ずっと晴れだったんです。そのロシアの太陽の香り、僕らが入ったバーニャと呼ばれるサウナの香り、途中で食べたハチミツの香り、コスモスや花の香り、そのすべてが詰まっている。
これを飲んだときに、ロマネ・コンティがその場所で造られるから美味しいと言われる理由がわかった気がしました。お酒は、造った場所の味がする。僕らはそれを地球で造った。テロワール(※)というのはやっぱりあるんです。これは移動しなければわからなかった」
(※テロワールとは、作物の生育環境のこと。特に葡萄はどんな作物よりも土地の個性を反映しやすいとされ、ワインの味や質を決める重要な要素とされる)
これまでにたくさんの日本酒を飲んできた森田さんも「今まで飲んだ日本酒のどれとも違う」と自信を持っていえる味。これまで酒と人が一緒に歩んできた長い歴史の中で初めて、移動して造られた酒が生まれたのです。
オークションへの出品と、旅スル日本酒第二弾への挑戦
2020年、5月。
旅スル日本酒プロジェクトを終え、森田さんが日本に帰ってきてから約半年が過ぎました。
このプロジェクトはお酒を造ることがゴールではありません。あくまで目的は「食がアートを超えること」。果たしてあれからどのような進展があったのでしょうか。旅スル日本酒のその後について伺いました。
森田さん
「旅スル日本酒のその後には両立した2つの柱があります。ひとつめがオークションです。今年11月〜12月に開催予定のアメリカン・チャリティー・クラブ主催のオークションに出品して、そこで世界最高値の100万円を超えること。これはもう確実に超えられると思います。これは個人的な取引きで値がつくのではなく、ちゃんと世界的なオークションという場で評価を受けるということに意味があります」
これまで食が超えることができなかったアートの壁。世界的なオークションで値段がつけば、壁をひとつ突破することになります。
森田さん
「そしてもうひとつが、旅スル日本酒第二弾。地球で酒をつくろうというからには、地球の7割を占める海を無視することはできません。というわけで次回は海の上で酒を造ります。とはいえ、陸の上で集めた材料だけを船の上で発酵させるのでは意味がない。海の上には酵母菌がいないのですが、いないならばつくればいいんですよね。
今、その研究を酒蔵と大学の研究機関で進めています。僕の目指す酒造りは、旅の道中での菌を取り入れていかないと成立しない。そうしないと大人の遊びにはならないんです。おそらく今年の12月ごろ、時期を考えると舞台は南半球になると思います。ニュージーランドから南極あたりまで行くことになるかも……」
前代未聞の旅スル日本酒をつくりあげてわずか半年の間に、すでに次のプロジェクトは動いていました。本当に、森田さんの熱量は底が見えません。
おわりに
食でアートを突破する。その目標に向けて、森田さんは休むことなく次なる一手を打ち続けます。どうしてそこまでの情熱を注げるのか? そこにはこれまで数々のイノベーティブな食体験を提供してきた森田さんならではの考え方がありました。
森田さん
「思いつきでやることって、すぐ消えちゃうんです。理念を考え込んでつくったものだけがクリエイティブになっていく。海を移動しながら海由来の酵母菌で発酵した酒ができたときに、今回の陸路で造った旅スル日本酒もまた生きてくるはず。そうやって、世間が気づくまでクリエイトをやり続ければいいと思っています」
圧倒的に考えられた理念とストーリー。今回のチャレンジでお酒の歴史は間違いなくひとつ塗り替えられました。
さらに、あと少しで世界的な場で価値が認められようとしています。そしてその頃には次のプロジェクトが動き出して……。
私には森田さんが、食の世界に革命を起こすサムライに見えて仕方ないのです。1人のサムライにより食の価値観が塗り替えられ、日本酒の価値があがり、そして世界中の人が日本酒で乾杯するようになる。
そんな新しい時代への変化をこの目で見ることができるのは、とても幸運なことです。
新しい時代の夜明けまで、あと少し。
▼森田さんのロシアの旅は、Youtubeでドキュメンタリー動画としてまとめられています。ここでは伝えきれなかった旅の裏側やロシアの空気感も伝わる内容となっているので、ぜひご覧ください。