誰しも、人生で一番美味しかった料理がある。
味はもちろんのこと、共にいた仲間。感じた想い。交わした言葉。目にした風景…。様々なことが重なり合って、美味しい想い出を創り上げている。
そんな、忘れられない最高の料理を語る番組「人生最高レストラン」。これは当番組で紹介された一品を、ライター松浦達也が実際に食し、その想い出を追いかけた記録である。
ライター紹介
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松浦達也
- ライター/編集者。「食べる」「つくる」「ひもとく」を標榜するフードアクティビストとして、テレビ、ラジオなどで食ニュース解説を行うほか、『dancyu』から一般誌、ニュースサイトまで幅広く執筆、編集に携わる。著書に近著の『新しい卵ドリル おうちの卵料理が見違える』ほか『家で肉食を極める!肉バカ秘蔵レシピ 大人の肉ドリル』(ともにマガジンハウス)など。
何をするにしても一人の時間は絶対に必要だ。野球やサッカーのような団体での球技もそうだし、吹奏楽やバンドにおける楽器演奏もそう。一人でボールや楽器と向き合う時間が個の力を高め、全体の質を向上させる。
焼肉も同じである。ふだんのワイワイと楽しい焼肉ももちろんいい。だが焼肉は食べ手自身が「焼くという調理」と「食事という社交」を同時に行う極めて珍しく、実は難しい食べ物だ。
そもそも内部が見えない肉を焼くという行為自体、難度が高い。ではどうすれば肉焼きはうまくなるのか。一番の近道は、肉と一対一で向き合う機会を作ることだと思う――。
さて、本日紹介するのは「人生最高レストラン」で俳優の山本耕史さんが「一人焼肉」のエピソードを紹介していた四谷三丁目の「鶴兆」。
黒を基調としたシックな内装の焼肉店だ。一人焼肉というより、お忍びデートにふさわしいようなしつらえの店だが、焼いて食べてわかったことがある。確かにこの店は一人焼肉に向いている。
一人焼肉と言えば、立ち食い焼肉に象徴されるざっかけない焼肉店のイメージが強い。だが本来そうした店には雰囲気に応じた楽しみ方がある。ああでもないこうでもないと一人で炭のレイアウトを組み換え、一枚一枚あれこれと焼き方を試す――。
飲食店では雰囲気も味のうち。上記のような焼き方は店によっては、あまりいい振る舞いとは言えない。店や他の客と調和することが、客側にとっての仁義であり、果たしたい役割のひとつだからだ。しかし個室仕立ての店ならば話は別。
例えばこの店ではこんな厚切りタンがメニューにある。角柱型に切りそろえられていて、隠し包丁も美しい。こうした肉を炭火の上で焼いていく。
炭火という熱源には火力にムラがある。その炭の状態も刻々と変わる。いま網の上のどこが強火で、どこが弱火なのか。そしてどんな肉をどのように焼くのか。
自分だけのベストな焼きを追い求める作業はさしづめ詰将棋のようであり、一人で向き合ってこそ到達できる深淵がある。
そして深淵に触れることは自分(の好み)と向き合うことにもつながる。一度たどり着けば、その経験が自分の中から失われることはない。
タンは表をこんがり焼き上げ、切り目づたいに内部にじんわり火を入れる。厚切りの赤身肉の表面に焼き目をつけながら、内部の温度をじわじわと上げていく。
ホルモンは皮目をじっくり炙ってパリッと水分を抜き、最後に返して脂を温める。皮と脂の加熱時間比は7:3から9:1。ただしこれは一例。特に内蔵肉は、部位によって焼き方のセオリーが大きく違う。
さまざまな肉と一対一で対峙することで、肉焼きの経験値は劇的に向上する。コース焼肉は肉焼きの技術を向上させるためにうってつけなのだ。
ちなみに鶴兆のコースは、メニューには2人前以上からと表記されているが、1人客なら1人前でも提供してくれる。
コース内容をざっとおさらいしてみると、食前酒、キムチ盛り合わせ、ナムル盛り合わせ、ミニサラダ、刺身盛り合わせ(馬刺し/タン刺し)、特選厚切りタン、特選カルビ、特選リブロース、特選ヒレ、特選ザブトン、ホルモン盛り合わせ(テッチャン、ギャラ、ミノ)、海鮮盛り合わせ、焼き野菜、寿司/ミニ冷麺、デザート。
このラインナップで税込み8000円。大人の男性でもほぼ追加注文はないというボリューム感だ。単品と飲み物は外税だが、コース+ドリンク2~3杯でお値段ちょうど1万円といったところ。
試行錯誤を繰り返しながら、一人で思索を重ねる。人目を気にせず、実践を積むことができるラボなんてそうはない。四谷三丁目の鶴兆には肉焼きの技術と、己自身を向上させる焼肉がある。
- 炭火焼肉 鶴兆 新宿四谷店
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東京都 新宿区 愛住町
焼肉