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連載:マッキー牧元の"変態メシ"

【変態メシ】舌を誘惑し、心を翻弄する艶そば。俗社会から離れた職人による甘美な企み

ライター紹介

マッキー牧元
マッキー牧元
株式会社味の手帖編集顧問。タベアルキスト。「料理王国」他14媒体で連載中。フレンチから居酒屋まで全国、世界中で年間600食を食べ歩く。今年7月にRetty・TOP USER PRO就任。

俗社会から脱れた自由な蕎麦屋

本当にここだろうか?

不安になった。

店など一件もない住宅街の中の細い路地である。もし店があれば、看板や漏れる光もあるはずだがそれも見当たらない。店にもう一度電話をかけてみたが、出なかった。

途方にくれながら、10数分ほど立ちつくしていただろうか。たまたま近所の家に入ろうとしている人がいたので、聞いてみた。

「すいません、このあたりにお蕎麦屋さんはないでしょうか?」

「ああ最近できた店ね。それならここだよ」

指をさされたのは、今立っていた数メートル先。二階建ての、どうみても民家である。しかし、ドアは固く閉ざされている。

再び途方にくれる。すると、いきなり体の大きな方が現れて言う。

「すいません、遅れてしまいました。電話いただいた牧元様ですよね。どうぞこちらに」

それがご主人、日比谷吉弘氏だった。

「いやあ、二階に寝泊まりもできる物件を探してましてね」

後日なんでこんな不便な場所に決めたのかを聞くと、日比谷さんは、そう飄々として答えられた。

それにしても住宅街すぎるでしょ。店をすんなり探せる人の方が少ないでしょ。フリの客(*)も期待できないし、商売上かなり難しい立地でしょ。

*フリの客・・・通りすがりの客

しかし、そういう一般常識にこだわらないのが、優れた職人の資質かもしれない。店名も蕎麦屋とはかけ離れた名前である。

「らすとらあだ」

なぜそば屋にイタリア語をつけたのか、フェリーニが好きなのか? この辺りも変態の匂いがプンプン漂ってきて、好きになった。

今から5年前の話である。

つまみを楽しんだ後に、そばを手繰った。北海道雨竜の十割と北海道タゴの手挽き太打ちが出された。噛みしめればほの甘く、草のような野趣に富む香りが鼻に抜ける。

立地といい店名といい、そばの味わいといい、なにか俗社会から離脱した自由があって、憧れた。

改めて今回訪れた。変わらぬ佇まいである。

人間の心を翻弄する「そばがき」

そば前が静かに始まった。

千葉県茶豆のおひたし

千葉県茶豆のおひたし

岩中豚の鮎魚醤和え

岩中豚の鮎魚醤和え

トマトだしの寄せもの、愛媛のアンチョビ乗せ

トマトだしの寄せもの、愛媛のアンチョビ乗せ

そして「そばがき」が出された。

のだ塩と沖縄本島の塩を好きにかけて食べるのだという。

ぽってりと小鉢に収まった、灰緑色のそばがきを木の匙ですくう。

「いや、離れたくない」

そばがきはそう言ってるかのように、身をよじりながら上に持ち上がり、口の中に入った。

消えた。あんなに存在感があったそばがきが、淡雪のように消えていった。そばのムースである。

そばの凛々しい香りを漂わせながら、食感がはかない。余韻に酒を流し込めば、再び香りが立ち上がって、気分が高揚する。

大きめな沖縄の塩をつければ凛々しさが増し、のだ塩をつければ丸く、優しく感じる。この辺りも心憎い変態ぶりである。

人間の心を翻弄するそばがきと言おうか。日比谷さんの一つの本領である。

そば職人による心地よい企み

続いて「和牛モツの茶碗蒸し」という、攻めながら柔らかい料理に、酒が進む。

天隠、睡龍、昇龍、独楽蔵、竹鶴。

しっかりと熟成された酒の旨みと綺麗な切れ味は、心地よい酔いを運ぶ。

酒のセレクトも見事である。

ナスと赤万願寺唐辛子の胡麻和え

ナスと赤万願寺唐辛子の胡麻和え

焼き椎茸の出汁ジュレ和え

焼き椎茸の出汁ジュレ和え

そして、いよいよそばである。

そば猪口を選び、運ばれるのを待つ。

細打ちにされた、北海道摩周の新そばが登場した。

ズルル。勢いよく手繰れば、野草のような青い香りが弾け、噛めばじっとりとかすかな甘みがにじみ出る。

それは一瞬である。その切なさが、妙に色っぽい。

多くのそば名人がいるが、日比谷さんの打つそばは、艶がある。男っぽい風貌の中に実はエロさをたたえているのかと想像してしまうようなそばである。

続いて、同じ摩周のそばを、幅広に打ったそばが出された。

唇を舐めるように口の中に入っていったそばは、細打ちより甘みを膨らませて舌を誘惑する。

ううむ。うまい。

続いての沖縄宮古島のそばは、そばの野生がより際立ったそばで、微かなえぐみが、どんな土地でも根を張り育つこの植物の勇壮を伝える。

ところが、沖縄の塩をかければ、それが旨みに変わり、そばつゆにつければ丸くなる。刻々と表情を変えるそばに、再び魅了される。

最後は、温かいそばで、阿波鶏とゴボウのつゆそばに、中細に打ったそばが合わせられる。

翻弄されていた心が、なにかこう安らかになっていくようなそばである。

これは計算なのか、それとも酔いなのか? わからない。わからないが、この大好きな変態そば職人の企みであることには間違いない。

あ、また店名の由来を聞くのを忘れちまった。

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