近年、料理の世界、特にお菓子のまだまだ男性が優位な世界で、徐々に女性の菓子職人、いわゆるパティシエールたちの活躍が注目を集めるようになった。
夢を叶えるまでの苦労。感性。そしてさらなる展望。”パティシエール”だからこそ極められたお菓子の世界とは。
この連載は、パティシエールが何を考え、そしてどんな道を進んできたのかを探る物語である。
パティシエール
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石井英美
- 東京都生まれ。大学卒業後、アパレル会社、保育園勤務を経て、エコールキュリネール国立(現エコール辻東京)へ。同校フランス校へ進学したのち、東京・吉祥寺「アテスウェイ」、渋谷「ヴィロン」を経て、ラデュレ・ジャパンで生菓子担当を経てマカロンの製造責任者を務める。2014年4月、東京・目黒に「アディクト オ シュクル」を開く。共著に『タルトの発想と組み立て』(誠文堂新光社)。
クランブルをあしらったサクサクのシュー生地に、強めにローストしたヘーゼルナッツをカラメルに絡めてつくるビターなプラリネクリームがたっぷり。アクセントは、砂糖煮のオレンジのさわやかな香り。
東京・八雲にある「アディクト オ シュクル(Addict au Sucre)」のパリブレストは、ボリュームのある愛らしい姿からはちょっと意外に感じるほど軽やかで、ナッツの香ばしいコクがしっかりと舌に訴えかけてくる、大人の味だ。
パリブレストは、もともと1981年にパリ―ブレスト間で行われた自転車競技を記念してつくられたお菓子で、車輪をイメージしたリングシューが特徴。
でも、ここでは食べやすいようにと小ぶりのシューをつなげたエクレア型にアレンジしたものが人気だ。
「オーソドックスなパリ・ブレストを私なりに咀嚼した一品です」と語るのは、シェフパティシエールの石井英美(いしいえみ)さん。
アディクト オ シュクルは「フランス菓子のふつうのおいしさを日常的に味わってほしい」と2014年に開店。
こじんまりとした店内にはタルトフリュイやババ・オ・ロム(サヴァラン)などの生菓子のほか、パンや焼き菓子などちょこちょこといろんな種類が置いてあり、目移りしてしまう。
総じて定番が並ぶなか、ちょっとほかとは違うパリブレスト。そこには、石井さんのパティシエールとしての歩みが垣間見える。
「もともとは単なるお菓子マニアだったんです」と石井さん。
大学を卒業後、アパレル会社勤務を経て、実家が運営する保育園を継ぐつもりで、総務の仕事に携わるように。時間に余裕が出てきたとき、目に留まったのがプロによるお菓子教室だった。
そこで初めてプロから手ほどきを受けたのが、パリブレストだった。
「教えてもらったのは生クリームにチョコクリームを合わせたような、いま考えるとフランス菓子とはひと味違うレシピでしたが、それでもふだん家でつくるものと全然違う。自分でもこんな本格的なお菓子がつくれるのかと感動しました」
同じ頃、一流パティシエたちによるレシピ本『人気のケーキ』(世界文化社、1996年)をみつけ、仕事を終えて帰宅して毎晩、端からひとつずつ順番につくる日々が始まった。
それまでは年に2、3度クッキーやタルトをつくるぐらいだったのが、一度はまったら2年経っても3年経ってもお菓子をつくりたいという気持ちがおさまらない。
思い切って仕事を辞め、エコールキュリネール国立(現エコール辻東京)に入学。28歳のときだった。
「2000年当時、日本では甘くない、やわらかいというのがお菓子の主流でした。でも学校で教わったのは、シンプルで濃厚な味わいのフランス菓子。たとえばエクレアなら、カカオマスを混ぜたカスタードクリームをぐっぐっと詰めただけ。そのがつんとくる味にびっくりたまげたんです」
フランス菓子のおいしさに魅了され、学校の研修制度で1年間フランスへ。アンジェのパティスリー「ル・トリアノン」(現在閉店)と、同じオーナーパティシエによるブーランジェリー&パティスリー「ル・グルニエ・ア・パン」で学んだ。
ル・グルニエ・ア・パンは2013年に日本に進出し、半蔵門と恵比寿にお店を構えることでも知られている。
帰国後、「ヴィロン」や「ラデュレ・ジャパン」など名店で経験を積んだのち、独立。店名は自身を重ね合わせ、フランス語で「甘味中毒」の意味する言葉にした。
石井さんが、日々のお菓子づくりで大切にしているのは「気遣い」。
「泡立てているとき、焼いているとき。素材の状態に目を凝らしていると、ちょっとした変化に気づきます。いまが混ぜるタイミングだとか、オーブンから出すタイミングだとかわかるようになるんですね。
同じレシピでも、作る人によってクロワッサンの浮きあがり具合とか全然違ってくる。常にどうなっているか、感じ取ることが大事だと思います」
もともと内気で、「男性に混ざって厨房で働くことなんて想像もできなかった」と笑う石井さん。
それが最近では、あの『人気のケーキ』の本に出てきた大御所パティシエたちに顔を覚えられて、会えば挨拶してもらえるまでになったと笑う。
今後は、アーモンド生地とカスタードを使ったガトー・バスクなど、半生の焼き菓子も増やしていきたいという。そう語る姿から、夜な夜なお菓子づくりをしていた頃の気持ちはいまも変わっていないことが伝わってきた。
- Addict au Sucre
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東京都 目黒区 八雲
ケーキ屋
*クリスマスケーキ は12/15(金)まで予約受付中
ライター紹介
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澁川祐子
- ライター。「食」と「うつわ」を主なテーマとして、『きょうの料理』など雑誌で執筆するほか、書籍の編集、構成にも携わる。編集、執筆を担当した書籍に『スリップウェア』(誠文堂新光社)、著書に『オムライスの秘密 メロンパンの謎』(新潮社)などがある。