北海道に日本一新しい日本酒蔵が誕生
はじめまして。熱燗DJつけたろうことライターのKENZOです。
私は家に常に50本以上日本酒をストックしているくらい日本酒が大好きで、それが高じて現在は飲食店で日本酒のメニューや仕入れを担当したり、熱燗と料理のイベントを開催しております。
先日も能登半島へ旅行に行ってきまして、その土地の酒蔵を訪れ、その土地の食べ物(イカの丸干しなど)と一緒にお酒を楽しんできました。酒とは文化であり、酒づくりとはその土地に根ざして造られるものだと思っています。食文化の影響がお酒に反映され、日本酒や焼酎、ワイン、ウイスキーなど様々なお酒が造られてきました。
こと日本酒は世界でも類を見ない複雑な醸造方法(並行複発酵)で造られているお酒です。日本酒を造る酒造は、100年以上続く蔵も多くあり、長い蔵では800年以上の歴史があります。
そんな中で”北海道に新しくできた酒蔵”があるという話を耳にしました。実は、日本酒の「酒造免許」は新規では発行されないと言われています。新しく酒蔵をつくる、それがどれだけ大変なことか私には想像もつきません。
日本酒業界の常識をうち破り、「新しい酒蔵を誕生させた」蔵元さんにインタビューをさせていただきました。長文のインタビューとなりますが、新しい酒蔵の誕生ドラマをお楽しみください!
※※※
「はじめまして。上川大雪酒造の塚原です」
初めてお会いした蔵元の塚原敏夫さんは優しい雰囲気をまとった、物腰の柔らかい方でした。当初は歴史ある業界の常識を打ち破った人なので、勢いのあるベンチャー企業の社長のような人物を想像していました。
はじめまして。いきなりですが、まずは召し上がってみますか?試験醸造1本目、我々がつくった本当に最初の日本酒です。
ありがとうございます!歴史的な1本というわけですね・・・!
すっ・・・ごくり。
・
・
・
・
・
・
・
め、めっちゃ美味しい……
えええぇぇぇええぇーーー!?信じられない……。失礼ですが、ノウハウもない設立したばかりの蔵の1本目のお酒がなんでこんなに美味しいんですか……?
美味しいですよね。
本当に美味しいです!そもそも、僕は新しく日本酒の酒造をつくるという話を今まで聞いたことがありません。簡単につくれるものなんですか?
酒造設立に必要な4つの条件
いえ、日本酒の酒造免許を取得するのは、本当に大変です。まず、酒造の絶対条件は「免許」。これがないと絶対にできない。第二に、「お金」。酒蔵を建てるには、土地から何まですべてを揃えなければいけない。第三に、「人脈とノウハウ」。酒蔵のPL(損益計算書)なんて見たことがないし、酒造りの経営計画の立て方も知らないですから。
酒造設立には、免許、金、人脈とノウハウ、この3つが必要なんですね。
あと、第四に「やる気」も大事です。私には、3つともなくて……でもね、「やる気」だけがあったんですよ!(笑)
やる気のみ!!!(笑)…前途多難ですね。たしか酒造免許は、新規の免許を発行していませんよね?その絶対条件の「免許」は、一体どのように手に入れたのですか?
おっしゃる通り、酒造免許は新規の免許は出ません。いくつもの偶然が重なって実現したことなのですが、先に結論だけ言うと、既に三重県に存在した酒造を譲り受け、北海道まで引っ越しをしました。三重から北海道へ1000kmの酒造の引っ越しです。
酒造の引っ越し!!!1000km!!!その重なった偶然というのは?
実家が酒蔵を営んでいる私の20年来の友人がいまして、彼と久々に会ったときに酒蔵をたたむかで悩んでいたんです。そのとき、現在の酒蔵のある北海道・上川町の景色を見せたら、「すごいところだね〜、こんなところで俺も酒造りがしたかったなぁ…」としみじみと言ったので、「え?じゃあ、やる?」と誘ったのがそもそものきっかけなんです。で、私が酒造会社の株を買い取る形になりました。
な、なるほど!それでは、そもそものお話からになってしまうのですが、今回なぜこの上川大雪酒造の設立にいたったのかの経緯を伺ってもよろしいですか?
神々が遊ぶ庭「カムイミンタラ」に魅せられて
元々、私は野村証券という会社の証券マンだったんです。そこから証券→外資→リクルートEXと転職を重ねて、現在の会社をミクニ(*)と一緒につくりました。
*ミクニ:三國清三さん。北海道出身の日本を代表する洋食料理家であり、オテル・ドゥ・ミクニのオーナーシェフでもある。本編では「ミクニ」と呼称します。
北海道の上川町に「大雪森のガーデン」という観光スポットをつくる計画があって、そこから北海道出身のミクニシェフに力を貸してくれないか?という相談があったんです。
その時、私がミクニから声をかけられ、お互い北海道出身ということでもあるので、「地元への恩返しだと思ってやってみますか」という話の流れで、「三國プランニング」という会社を立ち上げ、上川町と一緒に町おこしをはじめたんです。
・大雪森のガーデンに併設された、三國シェフがプロデュースするレストラン「フラテッロ・ディ・ミクニ」の公式サイトはこちら
「地元への恩返し」が会社を立ち上げた動機だったんですね!
そうですね。ただね、地元びいきというわけではなく、上川町は神々が遊ぶ庭「カムイミンタラ」と呼ばれるほど、本当に美しい自然の景色が広がっているんです。ここ上川町をたくさんの人に知ってほしいし、足を運んでほしいんです!
この上川町に足を運んでもらうにはどうしたらいいだろうと考えたとき、日本酒を造ろうと決意したわけです。
しかし、いろいろなPR方法がある中で、なぜ日本酒だったんですか?
今、北海道で日本酒をつくるのは必然
ご存知だとは思いますが、日本酒は何で造られていますか?
えっと、お米と水ですよね?
そうですよね。まずお米についてですが、僕が子供のころ、北海道のお米は正直に言って、安くて美味しくなかった。でも、この数年、生産者の努力に加え、温暖化や品種改良の影響もあり、米の北限が変わり、北海道の「ゆめぴりか」が品評会で日本一になったんです。そして、生産量も新潟を抜いて日本一になった。
つまり、北海道は今、量・質ともに日本一の米どころと言っても過言ではないんです。だから、酒米の品質もこれから日本一になるという確信を持っています。
なるほど。北海道のお米がそんなに進化していたとは。
そして、先程言いました上川町には素晴らしい自然があり、美味しい水が出るんですよ!酒造りには水温も重要で、日本酒造りに適した冷たい水温の地下水も取れる。
北海道は、米も水もものすごく美味しい。なのにですよ、日本に1500近く酒蔵がある中で、北海道の酒蔵はたった11蔵しかない。水も日本一、お米も日本一と言えるくらい北海道は変わったのに、酒蔵は日本全体の1%未満しかない。だから、北海道で日本酒を造ることは必然だし、絶対に美味しいお酒が造れる。しかも、絶対に世の中に注目されるはず、そう思ったんです。
なるほど、その自信があったうえで酒造設立に挑戦したわけなんですね。
酒造の引っ越しは想像を絶する難易度だった
ただ、「免許」の取得は想像以上に大変でしたね。酒造会社の株を私が買い受けて、三重県から北海道に酒造を引っ越しをすればいいと思って、管轄の税務署に相談をしに行ったんですよ。
ほおほお。
税務署の担当者も北海道への引っ越しの前例がないだけに、最初は驚かれていましたね。同業界からも酒造の移転なんてできるはずがないと言われました。業界の人であればあるほど移転なんて認められるわけがないと思っていたんです。それでも、少しずつ前に進めていったんです。
ぶつかった壁のひとつが、「免許」を許可されるには、酒造設立に必要なものをすべて揃えてからでなければ、審査が完了しないという問題です。つまりどういうことかと言うと、土地を買って、井戸を掘って、蔵を建てて、酒造設備を買って、全部揃えて国税局に申請したところで、その返事が「NO」だったら全くの無駄になる。百歩譲って、タンクを活用してジュース工場にするとかね(笑)。
日本酒を造るために設備を全部揃えても、許可が降りなければ、全てが無駄になると…。リスクが高すぎますね…。
今思うと、恐ろしいことをしてきたんだなと。銀行も、免許がない会社に融資するのはハードルが高い。免許も無いのに出資者を集める、ノウハウを持っている人を集める、国税局に相談する、人脈集める、出資集める、国税局に相談する、出資集める……。絵空事だと笑われた計画を現実にするために、ちょっとずつ、ちょっとずつ、ミルフィーユの皮を1枚1枚重ねるように、今できることを進めていったんです。
よく心が折れなかったですね……。
(大変なエピソードをニコニコと明るく語るのが印象的な塚原さん)
日本酒を造る環境さえ整えば、絶対にうまくいく自信がありましたから。地道に、地道に、酒造免許に必要な条件を満たしていきました。で、ようやく「あとは札幌国税局へ書類を提出するだけ」というあと一歩のところまで来た。清酒の申請マニュアルがなかったのでリキュールの申請マニュアルを見ながら、酒造用の申請書を書いて、国税局に提出して祈るのみ。その時、すでに酒蔵の建築は進んでいる状態でした。
酒造の許可は降りてないけど、酒蔵の建築は進めていたと(笑)。完全に後戻りができない状態ですね。でも、ついにそこまできた!
そこから約半年、免許の許可を待ち続けました。すると、とある日、「塚原さん、免許を許可することになったのでいつ取りに来られますか」と携帯に電話がかかってきたんです。
おおおおおおおおおぉぉ〜〜〜〜〜〜!!!!
遂に、念願の免許を手に入れたんです。
すごい!これ、ドラマになりますね!(笑)
上川大雪酒造の創業メンバーになってくれませんか?
ともあれ、誰もできないと思っていたことが本当にできて、5月から酒を造り始められた。奇跡に近いです。こうして酒造設立に奔走している際、ある大手の酒造会社の方にご挨拶へ伺った時にこう言われたんです。
何と言われたんですか?
「僕らは君みたいな人間が出てこない前提で業界が成り立っている。僕らは横っ腹に風穴を空けられた気分だ。もしこれが認められたら、日本全国の観光地が手を挙げ始める。今すぐにでもやめたいという酒蔵はたくさんある。今回のスキームが元になって、日本全国で始まったら業界が再編されちゃうんだよ。大変なことをしてくれたね」と。
それほど、業界では考えられないことだったんですね……。無事に酒造の許可が出て、酒づくりを始めてからはどうだったのでしょうか?
最初、北海道内の酒販店にアンケートを出して見たら、当初の予定の何倍もの需要がきたんです。
すごいですね!!
試験醸造の日本酒は、関係者と地元向けにのみ販売する予定だったんですが、あまりにも全国からの問い合わせが多かったので、限定ですけど一部をダイレクトマーケティングに回そうという話になりました。そこで、クラウドファンディングを利用して、支援していただいた方への返礼品にしようという話になり、今回のMakuakeのプロジェクトにつながったんです。ふるさと納税のような形でご支援いただこうと。
【Makuakeのプロジェクト】
Makuakeのプロジェクトの詳細はこちらから→北海道に戦後初、日本酒の酒造会社「上川大雪酒造」が誕生。稀少な誕生酒を限定販売!
(※Makuakeのプロジェクトは終了しました)
まだ創業したばかりなので、まだまだ私たちが理想とする酒造設備が整っていないのです。なので、Makuakeさんを通じて、上川大雪酒造を応援していってくれる創業メンバーになりませんか?というお願いなんです。上川大雪酒造に最初にご支援いただいた皆様は創業メンバーだと思っていますし、支援者の皆様にもそう思ってもらいたいのです。
ロゴに込められた想い、目指す酒は「飲まさる酒」
この平盃に使われているロゴも、世界の超一流ブランドや銀座の百貨店などのプロジェクトにかかわっている我々のチームメンバーが作ったロゴなんです。実は、このロゴをつくるのも半年の期間がかかっています。ロゴは日本酒の五味(甘・酸・辛・苦・渋)を現し、大雪山の「大」の字を現し、アイヌの文様で表現しています。そして、杜氏である川端さんのお酒は味が太い。五味が全部現れてる。川端さんの酒を飲んで、このマークを見たらなるほどね、と思うはずです。
ああ〜〜やっぱり美味しいです!誕生秘話を伺ったらより美味しく感じます!!!温度が上がってくると、甘みが立ってきますね。
コップに30分くらい置いたら飲めないお酒が多いですが、温度が変わってもずっと美味しいお酒なんです。
正直、流行りのフルーティなお酒が出てくるのかなと思っていたのですが、想像をはるかに超える美味しさです。これは全温度帯いけるお酒ですね。
そう、これを燗になんかしてもすっごい美味しい。
杜氏の川端さんが目指しているのは食中酒で、「飲まさる酒」なんです。「飲まさる」とは北海道弁で「ついつい飲んでしまう」という意味。だから、フルーティなお酒はつくらない。もう一杯ちょうだいと言われるようなお酒が理想です。
すでに1本目のお酒からその想いは伝わってきます。想いとご縁がつながってできた奇跡のお酒なんですね。貴重なお酒とエピソードを本当にありがとうございました!
※※※
今回、インタビューに伺う前には新しい酒造が誕生するなんて、正直どこか抜け道を使ったのではないかと勘ぐっていました。本当にすいません。実際にお話を伺って数分でそんなふうに思っていた自分が恥ずかしくなりました。
「自分はやる気しかなかった」と塚原さんはおっしゃっていましたが、逆に言うと「地元への恩返し」という想いだけで業界の常識をくつがえし、実現させたということ。それがどれほど困難で果てしなかったことか。
塚原さんはインタビュー後にお話ししていた際に、酒造設立の方法はみんなに真似をしてもらいたいとおっしゃっていました。まだ今は新しい酒造の誕生までの逸話ですが、これから上川大雪酒造は上川町を、そして北海道を盛り上げる地方創生の新しいモデルになるような逸話を生み出し続けるのではないでしょうか。
後編では、創業1年目の酒造の日本酒がなぜこれほどまで美味いのか?杜氏との出会いや、今後に描いている新しい日本酒の販売の仕方を教えていただきました!後編も濃厚な内容を楽しみにしていてください!