こんにちは。熱燗DJつけたろうこと日本酒ライターのKENZOです。
戦後初めて北海道に誕生した、日本一新しい酒蔵「上川大雪酒造」。
僕は今年の8月に、上川大雪酒造・代表の塚原敏夫さんに東京でお会いして、酒蔵を立ち上げた経緯を伺いました。話を聞くなかでまず驚いたのは、酒蔵を作った目的が、おいしいお酒を造るでもなく、たくさん売って儲けるでもなく、「町に人を呼ぶため」という一般的な酒蔵とはかけ離れた創業の理念でした。
参照記事:「たとえ絵空事だと笑われても」 北海道に誕生した日本一新しい酒蔵"上川大雪酒造"の創業ストーリー
そこで、今回は「町に人を呼ぶため」に作られた酒蔵をひと目見るために、実際に北海道に訪れて現地取材を行いました!
▲上川大雪酒造は、旭川空港から車でおよそ1時間の場所にあります。
一面の雪景色のなか、旭川空港から車を走らせます。
国道をしばらく走っていると、目の前に現れた酒蔵がこちら…
ドドン!!!
「緑丘蔵」( りょっきゅうぐら)
※上川大雪酒造の酒蔵の名称
雪景色が美しい!
酒蔵というと古い建物のイメージがあり、最初はこれが酒蔵?と目を疑いましたが、次の瞬間には「この美しい酒蔵を建築した人は一体どんな方なんだろう・・・?」と、気になりはじめました。
そこで、僕の好奇心から無理を言って(このサイトはグルメメディア)、今回は日本一新しい酒蔵を建てた建築士さんに話を伺いました!
酒蔵の知識はゼロ、ネットの酒蔵訪問記で勉強
大島さん、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず、はじめに気になったのですが、大島さんは酒蔵の設計ってやられたことはあったんですか?
いえ、ないですね(笑)。
酒蔵の設計や、設計に必要となる酒造りの知識はどうやって学ばれたんですか?
いくつか酒蔵を見学させていただいたり、日本地酒協同組合さんや後に杜氏となる川端さんにヒアリングを重ねました。あとは、インターネットで酒蔵の訪問記もとにかく読み漁りました。
酒蔵見学のブログで勉強になるんですか?
建築士から見ると、蔵の訪問記には「ここはこういう設計になっているんだ」というような基本的な知識や事例がたくさん詰まっています。
なるほど! もともと日本酒はお好きだったんですか?
日本酒を飲むのは好きだったんですけれど、そんなに詳しくはなかったです。なので、日本酒造りの本を何冊も買って勉強しました。
大島さんが酒蔵建築の勉強をはじめたタイミングっていつ頃になるんですか?
勉強をはじめたのは、去年2016年の6月くらいですかね。
ちょ、ちょ、ちょ…! 今(2017年11月)、酒蔵を建て終わって、もうこの蔵ではお酒を造って出荷していますよね? 酒蔵という特殊な建築物を知識ゼロから1年足らずで設計、建築を…?
はい、本当に間に合ってよかったです(笑)。
すみません、なにやら凄そうなお話なので、順を追って説明をお願いしてもいいですか?
構想からわずか10ヶ月で完成!異例の酒蔵建築の裏側
上川大雪酒造のプロジェクトがはじまったのは、いつ頃ですか?
去年の6月4日に、プロジェクトメンバー10名ほどで酒蔵のキックオフをしました。それで、「建築確認申請」を出したのが10月14日。
その申請というのは?
建築基準法に則って「こういう建築物を建てます」という申請書で、それが認められてはじめて建築をはじめることができます。その申請の確認済証が交付されたのが11月9日で、翌日の11月10日に地鎮祭をして、その日から工事に着手しました。
受理された翌日に工事開始!!
とにかく時間がなかったので(笑)。前もって工事契約をしておいて、受理された翌日には即着工。で、建物が完成したのが4月3日です。
えええ!酒蔵の知識ゼロの構想段階から、わずか10ヶ月でこんなすごい酒蔵が…!
とんでもなくタイトなスケジュールですね。ちょうど1年前の今くらいから着工されたんですね。
そうです。今日もちょうど雪が降っていますが、地鎮祭のときも雪が降っていて、工事は基本的に雪の中での作業でした。
すごいな…。
工事に入る前は、もうこんな状態。
こ、これは…!!
11月に建物の位置を確認している時ですね。工事中はずっとこんな感じです(笑)。
それこそ、もう少し時期をずらせなかったんですか?
もちろん夏の間に工事できたらよかったんですけれど、上川大雪酒造のプロジェクトスケジュールでは、2017年の春には酒蔵が完成していて、夏に試験醸造をして、秋に収穫したお米から本格醸造すると決まっていたので、何としても春までに建物を作らないといけなかったんです。
以前の取材の際にお伺いしたんですが、建物がないと酒造免許が許可されないそうですね。
そうなんです。だから、試験醸造前に建物を作れなければ、そもそもプロジェクトを開始できないんです。
それはすごいプレッシャーですね。
これ基礎工事をしているところなんですけれど、雪よけの屋根をかけて作業します。
コンクリートってある程度の温度がないと強度が出ないので、チューブの中に温風を通します。上川町の冬は極寒なので、冬の工事はこういう工夫が必要になります。
これは1月中旬に鉄骨を建てている様子ですね。
基本的にずっと雪がすごい。
そうですね、1日の作業は毎日雪かきからはじまります(笑)。
酒蔵建築のヒントは旭山動物園の行動展示!?
酒蔵を建てるなかで、特にこだわった点はありますか?
この緑丘蔵は「上川町に人を呼ぶため」の酒蔵なので、そのための工夫はしましたね。これが実際の図面なんですが、
ほおほお。
2階の外に見学デッキを作って、蔵内を見学できる形にしたんです。蔵の中に見学導線を作ってしまうとスペースがとられるし、衛生面への配慮も必要になったり、対応するスタッフもいることになる。そこで、"コンパクト"でお金をかけず、"少人数"の蔵人でもやっていける酒蔵見学を考えた結果、もう思い切って見学は外から見てもらおうと。
極論、勝手に見てもらうスタイル(笑)。
もう、旭山動物園の動物の行動展示(笑)ですね。
蔵人たちを自由に見てくださいと!
はい、自由に見学いただけます。他にも、この蔵は国道に面しているので、車から見える夜の景色にもこだわりました。夜の国道を走っていると、こんな風に蔵が見えます。
おお、ライトアップして綺麗!知らなければ、これが酒蔵だとは誰も思わないのでは…!
そうですね、レストランと間違って訪ねて来る方までいらっしゃいます。
こんなオシャレな酒蔵見たことない!(笑)
ありがとうございます!(笑)
あと、個人的に気になったことがひとつ。観光のために見学できるようにしたのはわかるのですが、休憩室から麹室にいたるまですべての部屋に窓があるっていうのは驚きですね(日本酒に対して日光は天敵のため)。
もちろんお酒造りに影響の出ない範囲でですが、働かれる方々が日々大変な作業をされるので、その合間にほっとできるような空間を用意したいと思いました。
酒蔵といえば暗所なイメージがあったので、かなり驚きでした。
そういった考えになったのは、このプロジェクトにも関わっていらっしゃる三國清三シェフ(※)の言葉がきっかけですね。三國シェフが、「レストランって客席は綺麗に作るけども、料理人が働く厨房って窓がなかったり、環境が悪いことが多いんです。でも、厨房から外が見えて料理人が気持ちよく働ける事も大切なんだ」と、おっしゃっていたんですね。
その言葉がきっかけで、蔵人のことも考えた設計になっているわけですね。
※三國清三シェフ・・・フレンチ界の巨匠と言われ、東京四ツ谷の「オテル・ドゥ・ミクニ」等のオーナーシェフ。地元である北海道に貢献したいと、上川町に「フラテッロ・ディ・ミクニ」をオープンさせた。
- フラテッロ・ディ・ミクニ
-
北海道 上川郡上川町 菊水
フランス料理
「やったことがない」がモチベーションの源泉
そもそも、未経験の酒蔵の建築をなぜ引き受けられたんですか? モチベーションの源泉といいますか。
「やったことがなかった」というのがモチベーションになったと思うんです。わかんないことだらけでもちろん大変なんですけれど、色々調べながら考えていくことが面白いんです。モチベーションは最後まで全くダレることはなかったですね。
すごいなぁ。だから、構想から10ヶ月のスピードで酒蔵が完成したんですね。
でも、「もうやだー!!」みたいなときもありましたよ(笑)。
え? それはどのタイミングで起こったんですか?
建物の形を決めなきゃいけないときですね。これでいいという正解なんて、誰にもわからないわけですよ。
聞いた話だと、北海道に酒蔵ができたのは戦後初めてだとか。
そうです。例えば、酒蔵がすでにあって、その第二蔵を建てますというならわかりますよね。ここにこう作りたいとか、ここを広くしたいとか。ただ、今回は本当にゼロからの建築だったので不安はありましたけれど、本当にやるしかなかった、ただそれだけです。
重みのある「やるしかない」ですね。
初めて口にした上川大雪酒造のお酒、その感想は?
建物が無事完成して、上川大雪のお酒を初めて飲んだ時はどうでしたか?
実は「ついにお酒ができた!」という喜びで、自分は泣くと思っていたんです。
いや、僕も泣いたのかな?って期待していました(笑)。
泣かなかったんですよね。ただ、「よかった・・・」という安心感だけでした。それより上川町の方の声を聞いたときのほうが泣けちゃいました。
なるほど。上川町の皆さんも喜んでくれたんですか?
やっぱり「町に人を呼ぶため」に建てた酒蔵なので、町ぐるみで応援してくれていて、そんな酒蔵を支えてくれたみなさんが喜んでくれたと聞くと、「頑張ってよかったな」ってなりますよね。
町のためを思ってずっと建築をしてきたから、町民が喜んでくれるのが嬉しかったわけですね。
はい、大変なことはいっぱいあった気はしますけれど、それも全部ふっとんじゃって。
酒蔵の建築が終わった今は、休めているんですか?
いや、初めて酒蔵の建築が終わったと思ったら、別の酒蔵さんから建築の依頼をいただいて(笑)。
え???
今、新潟にある加賀の井酒造さんの酒蔵を設計しており、既に工事にも着手しています。火災からの復興に携わらせていただいているんです。
加賀の井酒造:新潟県糸魚川市にある300年以上の歴史を持つ酒蔵。2016年12月22日に発生した糸魚川駅北大火によって酒造の敷地のほぼすべてが焼失してしまった。その復興にあたり、今回ゼロから酒蔵を設計した大島さんに依頼がきて、2017年3月末から設計に関わっているそう。
そんなことがあるんですね(笑)。
本当にこの蔵があったからこその依頼なので、ありがたく思っています。
ブレない目的があったからこそ走りきれた
日本酒を「建築物から見る」っていう視点がなかったので、非常に魅力的なお話でした。
「上川町に人を呼ぶため」という塚原社長のはっきりとした意志があったので、こういう蔵になりました。そこをブレずに示していただいていたので、こうした新しい形になったんですよね。
僕が塚原さんに話を伺った時も、一貫して「上川町に人を呼ぶための蔵なんだ」と、おっしゃっていました。そこがブレないから、それを達成するために何ができるかをみんなが考える。
あとは、コストを極力抑えることも意識していて、これは塚原社長が「お金をかけて立派なものを作ってしまうと、我が町でもチャレンジしよう!という動きが鈍ってしまう」との考えがあってこそなんですよ。
上川大雪酒造が新しい酒蔵として成功したら、他の町もこれを1つのモデルケースとして展開できますもんね。コンパクトな酒蔵なので、水源さえあれば酒造りができるということですもんね。
本当にこのプロジェクト自体がチャレンジだったと思うんです。設計でもたくさんのチャレンジがあったので、私の中で財産になったというか。そういうチャレンジするという精神があったからこそ得られたものだなと思いますね。プロジェクト自体が熱いんですよね(笑)。
終わりに
いかがでしたか?
酒蔵の設計をしたことがない、日本酒は好きだけど詳しくない、そんな状況下で酒づくりの勉強から始めて、構想からわずか10ヶ月で酒蔵を完成させる。建築士の大島さんは、酒蔵を完成させるまで、休みもほぼとらず、毎日仮眠のような生活だったそうです。
その大島さんの口から出てくるのが、「こんな経験をさせていただいてありがたい」という言葉だったことが印象的でした。
どんなに聞いても、大島さんからは苦労自慢なんて一切なし。
そんな大島さんが、インタビューの中で唯一涙ぐんだのは「上川町の人が喜んでくれた声を聞けたとき」というお話。その涙にすべてが詰まっていると感じました。
想像を絶するプレッシャーのなかで、右も左もわからず、極限のスケジュールの中でしなければいけない決断の連続。すべては「上川町に人を呼ぶために酒蔵をつくる」という塚原社長の想いに共感したからこそ、大島さんも上川町のためにという思いで乗り切った。
だからこそ、上川町の人から「ありがとう」が一番嬉しい言葉だったに違いありません。
仕事というよりも、志事。志(こころざし)を同じくする凄い人が上川大雪酒造のプロジェクトメンバーには数多くいらっしゃいます。だからこそ、業界の常識をくつがえすような酒造が誕生したんだと改めて実感しました。
次回は、上川大雪酒造の縁の下で支える応援団長、上川町の町長さんにお話を伺います。続編もぜひお楽しみに!
・上川大雪酒造のお酒は、こちらから購入いただけます!
http://shop.kamikawa-taisetsu.co.jp/
▼緑丘蔵の見取り図