ライター紹介
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松浦達也
- ライター/編集者。「食べる」「つくる」「ひもとく」を標榜するフードアクティビストとして、テレビ、ラジオなどで食ニュース解説を行うほか、『dancyu』から一般誌、ニュースサイトまで幅広く執筆、編集に携わる。著書に近著の『新しい卵ドリル おうちの卵料理が見違える』ほか『家で肉食を極める!肉バカ秘蔵レシピ 大人の肉ドリル』(ともにマガジンハウス)など。
観光客にとっては、ある意味大阪そのものといったイメージのある「新世界」。もっとも「づぼらや」のとらふぐの提灯に象徴されるドハデなイメージとは裏腹に、この町には足を踏み入れるのがためらわれる雰囲気もあった。だが、昨今の東京がそうであるように、大阪でもかつて人目につかなかった場所に光が当たるようになった。
そこには一抹の寂しさがつきまとうが、悪いことばかりとも限らない。混沌と安全がないまぜになった端境は気兼ねのいらない楽園とも言える。
新世界から恵美須町へとまっすぐ伸びる「新世界市場」というほの暗いアーケード商店街。その出口の光が差し込むあたりに「肉のさかもと」という角打ちならぬ、「肉打ち」がある。
通常、旅行者にとって街の精肉店にお世話になることはあまりない。だけど、この店にはこういうものがある。
「道楽ビフカツサンド」1500円。150gという分厚いヘレカツがはさまれた特製のサンドイッチである。
注文の仕方は肉のショーケース越しに「1500円のヘレサンドください」と伝えてもいいし、「ビフカツサンド! ぜいたくなヤツ」と注文するのもいい。ただし、「ビフカツサンド」とだけ注文してもお目当てにはたどり着けない。他にも、100gのヘレを使ったビフカツサンド860円や牛もも肉のビフカツサンド430円があるからだ。
肉惣菜も売ってくれる精肉店なのだから、他にもハンバーグサンド、豚カツサンド、コロッケなどもある。積み残した仕事があるときなどは、ホテルに持ち帰って夜食にするとちょっぴりぜいたくな気分が味わえる品々だ。
だが本当にぜいたくなのは、できたてのビフカツサンドををビールやハイボールで流し込む瞬間だ。実はこの店には、長椅子と簡易テーブルが用意されている。そこいらで飲み物を調達してくれば、店頭に座ってこのビフカツサンドをつまみに一杯やれるのだ。
幸か不幸か、道楽ビフカツサンドは作り置きはしていないので、まずは店のお姉さんに注文を入れる。揚げてもらっている間に「ちょっと飲み物買ってきます」と飲み物を調達に行けばいい。
恵美須町側からこの店を右手に見ながら新世界市場のアーケードを数十メートル進むと、左側の路地にこういう自動販売機の並んだ路地がある。これぞ「おー新世界」(byバズマザーズ)である。
戦利品片手にのんびり店に戻ると、そろそろ揚げ上がりも近い。「ケチャップにワインとかいろいろ入れてる」というソースを塗ったパンに150gのヘレカツがずしりと乗せられる。
ふんわりした食パンの奥にカリッとした衣を感じながら、ひと思いに歯を立てる。力を込めるまでもなく、ヘレカツサンドは断ち切られる。口内の塊を奥歯でもうひと噛み。パンの甘味とカツの香ばしさを甘酸っぱいソースが取りまとめ、後からちょっぴりジャンクな油が追ってくる。
てらっとした口内の油をビールやハイボールで洗い流し、また次なる一口へ……を繰り返すうちに、あっという間にカツサンドは消滅してしまう。手持ちのハイボールはまだ冷たい。となれば、串カツやコロッケなどのフライを追加である。
日常のような顔をした非日常はどうしてこんなに甘美なのか。この非日常がずっと続けばいいのに……。
だが、いつかは日常へ戻らなければならない。だからこそ、訪問者にとってこの店頭で過ごす時間はぜいたくなのだ。「肉のさかもと」で「ビフカツサンド! ぜいたくなヤツ」なんて注文してしまうのは、非日常のぜいたくな時間が、新世界の日常に欠かせないこの店にあるからなのだ。
- 肉のさかもと
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大阪府 大阪市浪速区 恵美須東
デリカテッセン