こんにちは。熱燗DJつけたろうこと日本酒ライターのKENZOです。
本業はIT系のサラリーマンなのですが、現在は趣味の日本酒のために山梨に移住したため、渋谷にあるオフィスまで毎日2時間かけて通っています。
さて、みなさま「酒サムライ」ってご存知ですか?
酒サムライとは、日本文化と日本酒の素晴らしさを国内外に広めることを目的として結成された団体で、これまでの活動が評価されて、今後も日本酒の魅力を広めていくことが期待された人物にだけ、「酒サムライ」の称号を叙任されます。
そして、日本一予約のとれない焼肉屋「六花界グループ」のオーナー・森田隼人さん(写真中央)は、「肉と日本酒」の組み合わせを世の中に普及させたことが主に評価され、酒サムライとなった1人。
今回、酒サムライとなった森田さんが、注目しているという酒蔵の蔵見学に同行させてもらいました!
※※※
【今回の登場人物】
森田隼人さん:上記で説明をした2017年度の酒サムライ。「肉 × 日本酒」の専門店を初めて世に出した人。日本一予約の取れない焼肉店の六花界グループオーナー。
松原広幸さん:今回訪問する松屋酒造でお酒を作る醸造家。次の蔵元(社長)となる人であり、流輝を生み出した人物。通称「まっちゃん」。
KENZO:Rettyで日本酒の記事を担当している日本酒ライター。
※※※
こんにちはー!
森田さん、ここはなんという酒蔵なんですか?
ここは「流輝(るか)」というお酒を造っている松屋酒造さんですね。店主のまっちゃんとは10年くらいの付き合いで、松屋酒造は僕のお店を育ててくださった蔵のひとつです。
流輝(るか)とは:
群馬県藤岡市にある松屋酒造が造る日本酒の銘柄。独特な甘みと、優しい口当たりながらもしっかりとした旨みを持つ個性的な味わいから、熱狂的なファンがついて人気になってきている。普段は取材NGの酒蔵。
どうも。今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さっそく、流輝で乾杯しましょうか。
ありがとうございます、いただきます!
まっちゃん、今日は「流輝」というお酒がどうやって誕生したのかを教えてください。
はい、なんでも聞いてください!
ストリートファッションの世界から醸造家へ
まっちゃんは何歳から蔵に入ったんですか?
28歳からですね。
酒蔵に入る前は何をしていたんですか?
洋服の営業をしていました。
ファッションの世界にいたんですね。
その頃は、ストリートブランドが流行っていて、僕もそういうのが好きだったので。
いまの世界とは全く違いますね(笑)。
元々父がこの酒蔵をやっていて、弟が農大の醸造科へ行ったもんだから、彼が継ぐとばっかり思ってたんです。
弟さんはどうしたんです?
弟はパンをつくる世界に行っちゃったんですよね。
パン!?
同じ発酵食品でもパンに興味がいってしまったらしく。で、弟が酒蔵に帰ってこなかったから、俺が長男だからやるしかないかなと思って、酒蔵に戻ってきました。それが、28歳のときです。
アパレルで生きていくつもりだったんでしょ?
アパレルの才能はあんまりなかったんですよ。自分の行きたかったブランドの会社を何回も受けたけど、全部ダメで。
行きたかったブランドはどこだったんですか?
スワッガーとか。
スワッガー、めっちゃ世代ですね。
※スワッガーとは・・・日本発のファッションブランドで、裏原系ファッションとして一時は絶大な人気を集めたが、2013年に倒産。
その後、酒蔵なら小さな頃から仕事を見てたからできるんじゃないかなって。
そっか、酒蔵では小室哲哉みたいなもんだもんね。3歳からバイオリンやってたようなさ。
でも蔵に戻ったときに気づいたのは、自分の蔵がいかにダメかということだったんです。
ええ、今の流輝からは想像つかないですね…。
「遅かったね」業界の先輩からの言葉
当時は、地元の酒屋にも入れてもらえないし、世の中に相手にされていないと思いました。ウチの商品はこんなにもダメなんだって、それがショックでした。
じゃあ、売り先がなかったんですか?
はい、だから自分で百貨店などに売りに行ってたんです。でも、名前の知られてないお酒は全然売れなくて。このままじゃダメだなと思い、酒の造りを変えることを決意しました。
酒造りのヒントをいただいたのが、尊敬している山口県の蔵元さんや、勉強させてもらっている山形県の蔵元さんです。
ほおほお。
たまたま百貨店に日本酒を売りに来ていた山口の蔵元さんと会ったんです。今思うと、あのとき百貨店に行って本当によかったなと。
それが転機だったわけですね。
山口の蔵元さんがうちの酒を飲んで「君、いつ蔵に入ったの?」と聞くので、「28歳です。最近、酒蔵に入りました」と答えたら、「あぁ、遅かったね」と言われたんです。でも、今ではその意味がすごくわかるんです。「遅かった」の意味がわかる。
どういうこと?
やっぱり、20代前半で酒造りを始めていれば、今ならもっとガンガン石数(※)が上がっていったと思います。大学を卒業してすぐに蔵に入っている人からは一歩遅れていました。
※石数(こくすう)・・・酒蔵の生産量や規模をあらわす表現(会社の売上高に近い)。ここの話でいくと、早くに始めていれば今よりももっと酒蔵を大きな規模にできたと思う、というお話。
その1歩の差が、今でも響いているなと感じることがよくあります。
群馬で売れなかったお酒を持って東京へ
同じぐらいの時期に山形の蔵元さんにも会って、その方は「30歳手前で東京に出ろ。(そうすれば)35歳である程度認められて、40歳で次のステップに出られる」と教えてくれました。僕は、それを信じてやってきました。
30歳手前で東京へ出たからこそ「流輝(るか)」というお酒の地盤ができたし、今40歳になって山形の蔵元さんの教えてくれた通り、次のステップに行けるなと思います。
地酒の造り手が東京に出るというのは、どういったことをされたんですか?
ウチは本当に市場がなくて、群馬でも売れない。なので、市場を得るためには東京でちゃんと扱ってくれる酒屋さんを1店持てということを教わったので、酒販店さんをピックアップして全部廻ろうと思いました。その1つ目が「小山商店(こやましょうてん)」という酒販店だったんですね。
おぉー! 小山商店!
※小山商店:東京の聖蹟桜ヶ丘にある酒販店。都内でも有数の地酒の品揃えを用する超有名店。この場合、その有名店の店主である小山喜八(こやまきはち)さんに認められる=お店で取り扱ってもらえる、というのは酒蔵にとってすごく大きな意味を持つ。
小山氏のところに行ったんですね。
ただ、いざ小山さんの店に行ったら入れなくて…。
え? 断られたってこと?
いえいえ。酒を持って行ったのに、お店へ入って「味をみてください」の一言が言えなくて。
それは、気持ち的に・・・?
ビビってしまって...…。やっぱりそこで、NOと言われたらどうなるんだろうっていう。お店の前で2〜3時間ぐらいウロウロしていたんですけど、「無理だな」と思って帰ったんですよ。でも、1ヶ月後くらいにもう一度行って。
1ヶ月後のリベンジ。
「群馬の酒蔵なんですが、味をみてくれますか」と伝えました。で、ラッキーなことに店主がいて、「いいよー」なんて言って店内に通してくれました。
最初に飲んでもらって反応がくるまで、ドキドキですよね。
ドキドキですね。でも喜八さん(店主)はちゃんとみてくれて、「酒はまぁまぁいいから」と。「3年面倒みるから、3年でダメだったら諦めろ」と言われましたね。でも今もちゃんと置いてくれていて、流輝ができたのは小山さんがあってのことだから...。もう10年ぐらいの付き合いになるかな。
最初の3年からすでに10年・・・。
だから「3年はみてあげる」というところには合格できたと思っています。ただ、今はずっと小山さんの所にいちゃダメだと思っています。脱皮しないと。
次のステップにいくということなんですね。
10年かけて磨いた「流輝らしさ」
僕が10年でやって来たのは流輝らしさを作るってことです。売れるのはいつでも売れる気がしていて。どんどん酒屋さんに行けばいいだけだし。
これだけ小規模でまじめに辛抱して密度を高めてきたということですよね。これから5年10年と考えたときに次は何をします?
まず全国に売り先を広げていきます。今までは、(販路を)広げないようにしていたけど、これからは広げていって売り上げを伸ばしていく。いつまでもこの規模の酒蔵でいるつもりはないので。あと今は設備合戦なんですが、うちはその戦い方では敵わないので人を雇って育てたいと思っています。それを5年や10年かけてやっていきます。
ついにこれから本格進出なんですね!
これからの流輝にさらに期待しています!
あとがき
いかがでしたでしょうか?
とある小さな酒蔵のストーリー。僕は淡々とお話してくださる松原さんがすごくカッコイイと思って聞いていました。
小山商店の前で自分の酒を抱えて2〜3時間ウロウロしていたと。
入れなかった理由は「ビビッてしまった」から。
でもそれは「もし自分の酒を否定されてしまったら、もうどうすればいいかわからなくなってしまう」というプレッシャーを感じるほど松原さんには「覚悟」があったからなのではないでしょうか。
そこから販路がない中で松原さんが選択したのは「売上拡大」ではなく「味の追求」でした。目先の利益を求めず本質的な価値と10年向き合った松原さん。
そして「人を育て、販路を拡大し、全国を目指す」と。
現在は群馬だけならず関東を飛び出して、全国で流輝を取り扱ってくれるお店を探しているようです。
どこからも相手にされていなかった小さな酒蔵で造られた「流輝(るか)」。
これから流輝の第2章が始まり、全国にその名が知られていくのでしょう。僕は1人のファンとしてこれからの10年を想像するだけでワクワクしてしまいます。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ぜひ一緒にこの小さな酒蔵が造る「流輝」を応援しましょう!
▼流輝の購入は松屋酒造へお問い合わせください。