皆さまこんにちは。Retty Top Userでコーヒーをこよなく愛するKaya Takatsunaです。
連載「コーヒー男子図鑑」、第18回目のゲストは梶真佐巳さんです。
梶さんは、粕谷哲さんと共に株式会社Philocoffea(フィロコフィア)の共同代表を務め、「RUDDER COFFEE(ラダーコーヒー)」と「Philocoffea(フィロコフィア)」を経営するほか、「ドトールコーヒーショップ船橋駅南口店」を全国屈指の売り上げを誇る名店に育て上げたオーナーです。
また、「船橋コーヒータウン化計画」の発起人でもあり、千葉県船橋市のコーヒーシーンに欠かせない存在です。
【コーヒー男子ファイル18】
名前 : 梶 真佐巳 Masami KAJI
誕生日 : 1月28日
出身地 : 千葉県船橋市
趣味 : マラソン、スキー
会えるお店 : ラダーコーヒー、フィロコフィア、ドトールコーヒーショップ船橋駅南口店
ウェブサイト: https://philocoffea.com/
突如告げられた言葉「俺が死んだ時はそこで商売やってくれ」
——梶さんがコーヒーと関わることになったきっかけはいつですか?
大学生の時、父が経営する船橋のコーヒーショップでアルバイトをしたのが最初です。そこに毎日4〜5回来て必ずエスプレッソを注文する、ヘビースモーカーの常連さんがいました。僕はその方が来店されるとすぐに灰皿とエスプレッソを渡していたのですが、ある時、「毎日こんなに濃いコーヒーとタバコを吸っていて体に悪いよね。でもやめられないから、きっと死ぬんだよ。あとはよろしくね」って言われたんですよ。
——「あとはよろしく」ってどういうことですか?
その方は、船橋の駅前に新しいビルが建つ以前、ビルの一角で弁当屋を営まれていた地権者だったんです。「2004年には船橋に駅ビルができるから、俺が死んだ時はそこで商売やってくれ」って。
——その方は学生だった梶さんに託したのですか!
そう、ただのアルバイトで、コーヒー屋の息子とも知られていない僕にですよ。そんな言葉があったこともすっかり忘れ、僕は大学を卒業して商社で意気揚々と働いていました。そしたらある時、その方が本当に癌でお亡くなりになったんです。
法要が終わってしばらくして、彼の奥様から1年後にビルが建つことを告げられ、「私たちの区画は梶さんにやってほしいと主人から言われている。みんなで梶さんをサポートするからお願いします」と言われたんです。
——それで、転職を決意したのですか?
まず母に相談に行ったら、「自分がやりたいことよりも、人の思いに応えることをしなさい」って言われました。 会社に何も不満はなかったので未練はありましたが、母の言葉に背中を押されて退職を決めたんです。それで家族と相談して、ドトールコーヒーショップを始めたのが2004年、僕が27歳の時です。
経営するドトールを国内トップクラスに成長させた方法
——梶さんはドトールコーヒーショップ船橋駅南口店を日本屈指の売上にしたと伺っています。
「ドトールは、地域のナンバーワンでなければならない」っていう言葉に感銘を受け、30坪のスペースでスタートしました。他よりも優れたクオリティにすることを心がけ、とにかく掃除と挨拶を徹底していると、いつしか接客の面でも評価されるようになっていましたね。
——どのくらい売上げていたのですか?
オープンしてから10年の間、近隣に競合が10店舗できたにも関わらず、毎月の売上はずっと900万円でした。直営店として隣に60坪のエクセルシオールカフェを併設していたのですが、12年目にエクセルシオールカフェが閉店することになり、それと同時期に僕は、「お店の中にステージカウンターのあるドトールを作りたい」って言うようになっていました。
——また斬新ですね。ハンドドリップするためですか?
僕のお店はすでにハンドドリップのコーヒー教室を100回以上やっていたので、会社も事例として認めてくれていたんです。それで、隣の閉店を機に店舗を90坪に拡大し、ステージカウンターのあるドトールコーヒーショップに改装することを決めました。
今の売上は、1800万円前後ですね。昨年は、年間のべ67万人のお客様が来てくださいました。それって、船橋市の人口(平成30年3月時点で63万人)よりも多いんです。
——いったいどんな努力をされたんですか?
コーヒーの知識よりも、スタッフの教育とか、お客様を大切にするという思いを共有することを圧倒的に大事にしました。商社で働いていた時の経験から、仕事のきっかけになるのは人格なんじゃないかと思っていて、身なりとか、話し方とか、挨拶の仕方ができていないと何も進まないことだけはわかっていたというか。
——それって小さい頃からの育ちとか、環境もあるんじゃないですか?
うーん、わからないけど、人のことをよく見ろとか、人の気持ちを考えろ、人のためになることをしろと親からよく言われていましたね。
- ドトールコーヒーショップ 船橋駅南口店
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千葉県 船橋市 本町
カフェ
1人のお客のクレームから学んだ、本当のおもてなし
——梶さんは、船橋コーヒータウン化計画の発起人でもありますね。
お店を大きくした時に掲げた目的のひとつに、ドトールコーヒーの社是「地域のレギュラーコーヒーの情報拠点になる」があるのですが、僕はこの「拠点」という言葉に惹かれました。ドトールはナショナルチェーンですし、当時は地域との交流がまだまだ足りないと思っていたんです。
そこで、これからはドトールの店舗から地域のコーヒーシーンを発信してみたいと思い、地域の人と情報をシェアしたり、セミナーを開いたりしていきました。
——船橋駅南口店はハンドドリップメニューがあったり、ドトールとしてはとても珍しい店舗ではないですか?
そうなんです。それに、ジャパンハンドドリップ大会では3年間で5名のスタッフが決勝大会に出場しました。そのことも追い風になり、「ドトールなのに競技会で強い」とか、「ドトールなのに地域の中心にいる」と言っていただけるようになりました。
——素晴らしいですね。毎年、船橋コーヒーフェスティバルも開催して街を盛り上げている梶さんですが、コーヒーに携わる人として、一番大事なことはなんですか?
僕には、必ずスタッフに話すことにしている自分自身の経験談があります。ドトールコーヒーショップ船橋駅南口店オープン初日の2004年4月17日に来店された50代のサラリーマンのお客様との話です。その方は帰り際、まだカップに残っているコーヒーを食器返却口に戻しながら、「こんな不味いコーヒー飲ませやがって」って僕に言ったんですよ。
——何が起こったんですか?
味のチェックをしても全く問題ないし、僕は言われたことがすぐに理解できなかったんですね。でも凄く気になったので、一体何をしたのかずっと考えていると、「99%非はなくても、残りの1%何をしたのかを探すべきだ」ということに気がついて。そして、その方とのやりとりを振り返りました。
——1%は見つかったのですか?
お客様はコーヒーを1杯買ってソファーの真ん中に座りましたが、店内がとても混んできたので、僕は「席をひとつずれていただけますか?」ってお願いして動いてもらったんです。もしかしたら隣の席に移ったことが気にくわなかったのかもしれないと思って、実際真ん中に座ってみると、スタッフの生き生きした動きや、お客様や町並みが見えて意外といい席だった。
でも、ひとつずれると全く違ったんですね。もしかしたら彼はそこから見える光景が好きだったのかもしれないって自分なりに咀嚼して、オープン初日を終えたんです。
——その方は再びお店に来たんですか?
いえ、来ませんでした。ところが一年後、たまたまお店の横の交差点の向こう側にその方を見かけたんです。それで僕は道を渡らずに待っていて、「すいません、ちょっとよろしいですか?」って声をかけました。
「僕、ここの店のもので、ちょうど1年前にあなたが来店された時に怒られたんですが、お詫びできなかったのを今でも心苦しく思っています」って言ったんです。
すると、「そうなんだよ。俺は好きなドトールのコーヒーをあの席で飲みたかったのに、それを邪魔されたんだよ」って。この一件以来、そのお客様は定年退職されるまで、ほぼ毎日お店に来てくださるようになりました。
——感動的なお話ですね。
結局ホスピタリティは味に大きく影響するし、つまり、お客様をどのようにおもてなしするかが全てなのかなって。人の心に響かなかったら、どんなに知識や技術があっても何も伝わらないんで。
一番の後悔はやらずに終わること。やらないことには何も始まらない
——現在は2016年のワールドブリュワーズチャンピオンの粕谷哲さんと共に、「フィロコフィア」と「ラダーコーヒー」も経営されていますね。
ラダーコーヒーは、「船橋のコーヒーの発信拠点を駅ビルの中にも作りたい」ってJRの方に言われたのがオープンしたきっかけです。船(船橋)の舵(ラダー)取りになるようなお店にしたいという思いを込めました。その少し後にフィロコフィアのオープンが決まりました。今、船橋駅からフィロコファイアまでの300メートルの間に僕のお店は3つあります。
- ラダーコーヒー シャポー船橋店
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千葉県 船橋市 本町
カフェ
- Philocoffea Roastery & Laboratory
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千葉県 船橋市 本町
カフェ
——粕谷さんと共同でお店をやることになった経緯は?
最初、ラダーコーヒーのトレーナーとして短期契約する予定でした。しかし粕谷が、「いい焙煎機があるので買いませんか?」と話を持ち掛けてきたことで急遽、「じゃあ2人で新しく会社を作ろうか!」という話になったんです。
——粕谷さんと一緒に仕事をしてどうですか?
面白いですね。彼は理論的で冷静でクリエイティブ。人よりも長い時間コーヒーのことを考えているし、海外から帰って来るたびに新しいアイディアを持って来るので、直感的で心が先に動く僕は、受け止めることに必死です。
でも、お互いにないものを補い合えていますね。2人に共通する大きな強みは実行することなので、これがそのまま会社最大の魅力になっていると思います。
——お2人でないと成し得ないことですね。
粕谷は世界のトップとしてコーヒー業界の未来を考え、僕はそれを受け止めて具現化し、ドトールでやってきたように多くの人に伝え広める。「あらゆるところにコーヒーを届ける」という僕らのミッションを相乗効果で遂行していきたいですね。
——オープンから1年経って、変化は感じています?
常に変化しています。コーヒーの仕事は、店舗経営やコーヒーを淹れることだけじゃないって気づけたのは大きかったです。
——具体的に言いますと?
大きな成果のひとつは、都内の大手人材サービス業のCSR活動の一環で、障がい者支援のコーヒー事業が形になったことです。現在、生豆を選別するところから焙煎で温度を計測するところまでしっかり教えて、コーヒーのドリップバッグを「フィロコフィア」ブランドで作っています。
彼らは僕たちよりも優れた部分がたくさんありますし、本人たちも、自分たちが作った美味しいものを人々が味わうのを実感できて嬉しいみたいです。つまり、僕たちはコーヒーの事業を丸ごと届けることも達成できた。そういう発想でいくと、カフェ以外のこともたくさんできる会社なんだって気づけたのは良かったですね。
——梶さんの今後の活躍もワクワクします。コーヒーを通してこれからやりたいことは?
究極は、蛇口を捻ればコーヒーが出てくるような街がコーヒータウンだと思っているので、まずは船橋駅のホームに「コーヒー蛇口」を設置したいです。マイタンブラー持参でQRコードをかざせばコーヒーが出てくるとか、新しい仕組みができたら環境にもいいですしね。
とにかく全てはやってみないとわからないし、一番の後悔はやらずに終わること。やらないことには何も始まらないです。
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コーヒー業界の未来に新しい風を吹き込む梶さんの半生と経験からは学ぶことがたくさんありました。また、粕谷哲さんのインタビューは、こちらからお読みになれます。併せてお読みいただき、お2人の魅力を感じていただければと思います。
ぜひ、船橋駅から300メートルにある3店舗を訪れてみてくださいね。
次回のコーヒー男子もお楽しみに!
(撮影:Atsuko Tanaka)
ライター紹介
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Kaya Takatsuna
- Retty TOP USER。美味しいコーヒーがあるだけで幸せな人。コーヒー好きすぎて、コーヒーの味を評価する国際資格”Qグレーダー”まで取得してしまいました。地元で川越コーヒーフェスティバルを主催してます(^^) アイスクリーム、あんこ、チョコレートも中毒レベル。