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連載:「脱シェフ」ラーメンを追え!

その時、麺史が動いた「初めて半熟煮玉子をラーメンに乗せた男」〜葛西・ちばき屋〜

ライター紹介

小林孝充
小林孝充
TVチャンピオンラーメン王選手権第8回優勝。ラーメンWalker百麺人。 歴代ラーメン王によるラーメン大王決定戦で優勝し"初代ラーメン大王”に。累計13000杯のラーメンを食べたラーメン界のトップランナー。

ラーメン界に「半熟煮玉子」をもたらした男

イタリアンやフレンチなど、一流レストランで腕をふるったシェフが独立し、開業するラーメン屋を特集する「脱シェフ」ラーメン企画。

これまでイタリアンやフレンチ出身のラーメン屋を取り上げてきたが、当然、日本料理出身の一流料理人が営むラーメン屋も数多く存在する。

今回は、そんな中でもラーメンにおける「半熟煮玉子の元祖」として知られる「ちばき屋」を取材させていただいた。

ちばき屋の店主である千葉憲二氏。料理人の道に入ったのは大学を出てからと、業界的にはかなり遅めのスタートになる。京橋の「ざくろ」に22歳の時に就職した。

その当時、日本料理といえば中学卒業、遅くても高校卒業までにはその道に入るの当たり前。お店には年下の先輩料理人が多く存在したという。

そこで、22歳の千葉氏はひとつの目標を立てる。
「30歳までに一人前の料理人になる。それができなかったら料理人をやめよう」

この目標を胸に、他の人の2倍働いたという千葉氏は、29歳の時に副料理長に抜擢。30歳までの目標を達成し、40歳までの次なる目標として「自分だけにしかできない千葉憲二の料理を作る」を据えた。

34歳の時、ざくろを退社し、銀座「江島」の料理長に。この新店でとことん自分の料理を作り上げ、1日当たり250万円の売上を出す人気店に育て上げる。そして、総料理長の座に。

40歳までの目標を達成し、次の50歳までの目標を求め始めた頃、ふとテレビで東池袋「大勝軒」に並ぶ長蛇の列を見る。お店は古びた外観なのに、ここまでの人気が出るのか…お店の見た目は関係なく、純粋に味のみで行列を作っている「大勝軒」に衝撃を受けたという。

そして、40歳で江島の総料理長の座を捨て、ラーメン屋の道へ。

「感性」だけはマネができない

「ちばき屋のラーメンに料理人のどんな技術が生かされているのか?」そんな質問をすると、出てきた言葉は「感性」だった。
料理の「技術」ではなく、お客と向き合うなかで研ぎ澄ましてきた「感性」は、確かに誰にもマネすることはできない。

そんなちばき屋の「支那そば」がこちら。

スープを飲んでみると意外としっかりと塩味を感じ、醤油の輪郭がちゃんと感じられる。それでいてしょっぱくはなく、丸みがある。
鶏や魚介などの出汁はもちろん感じるのだが、この支那そばのセンスが際立っているのが、表面にほんの少し浮かぶ背脂と細かく刻んで散らしたネギ。これらによりコクと程よい雑味が演出され、細麺に味がしっかりと乗ってくるのだ。

具のひとつひとつも作りこんでいるが、ちばき屋といえば何と言っても「半熟煮玉子」だろう。

それまでラーメンに乗る玉子と言えば、ゆで卵や表面に濃い味付けがされた固ゆでの玉子だった。それを和食の技法を駆使し、半熟の煮玉子を作り上げる。今でこそ、半熟味玉はどこのラーメン屋の定番となったが、それはこのちばき屋以前のラーメン屋には存在しないのだ。

断面が見えるように半分にカットされた煮玉子。黄金色の黄身は流れ出すことのない絶妙な半熟加減。そして、中にまでしっかりと出汁の味がしみ込んでいる…。今でも決して色あることのないこの味わいがラーメン業界に変革をもたらしたのである。

常に新しい目標を立て、それを達成し続けてきた千葉氏。60歳には、「銀座に和食とラーメンを楽しんでもらう店を持つ」という夢を達成している。それが銀座の人気店「まかないきいち」だ。

約40年、料理人として成長し続けるということは、果たしてどれほど難しいことなのだろうか。成功してなお、常に目標を持ち続ける料理人として心意気が、ちばき屋の一杯のラーメンには注がれている。

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