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連載:日本酒ライターKENZOの「1/3の純情な吟醸」

【誕生から1年】全国を渡り歩いた杜氏が、故郷・北海道でゼロからはじめた「究極の道産酒づくり」のいま

こんにちは。熱燗DJつけたろうこと日本酒ライターのKENZOです。

日本酒と発酵を勉強するため、山梨に移住してからはや3ヶ月。お家を徐々に改造しているのですが、まだまだ日曜大工には慣れません。失敗しすぎて、家の中が穴だらけになってきました。

さて、本日は昨年から連載しております北海道の酒蔵「上川大雪酒造」の杜氏インタビュー編となります。

<上川大雪酒造・連載一覧>
【蔵元前編】「たとえ絵空事だと笑われても」 北海道に誕生した日本一新しい酒蔵"上川大雪酒造"の創業ストーリー


【蔵元後編】憧れを故郷で実現した天才杜氏!北海道に誕生した酒蔵が仕掛ける、前代未聞の”日本酒"町おこし


【酒蔵見学編】いま一番楽しい酒蔵見学ツアー!? 日本一新しい酒蔵「上川大雪酒造」に行ってきた


【酒蔵建築士編】ヒントは旭山動物園の行動展示!日本酒業界の常識をかえる新しい酒蔵のカタチ


【上川町長編】国が掲げる「地方創生」は上から目線。新たに誕生した酒蔵から考えたい、これからの町おこし

 
北海道で戦後初めて設立された酒蔵の初代杜氏となった方は、どのような人物なのでしょうか。北海道の上川町を訪れ、じっくりと取材をさせていただきました。
 
 

【※※※注意※※※】

この記事は1万字近くあります。

酒蔵の杜氏さんを取材した記事の多くは、日本酒の特徴や酒造りのこだわりポイントに極力絞って取材をすることが多いですし、Retty編集部の方からも記事が長くなると読者が読まなくなる可能性があるとの注意も受けました。

ただ、いざ上川大雪酒造の杜氏さんを取材してみると、その人柄や歴史をまるごと知ってもらったうえで上川大雪酒造のお酒を飲んでほしいという思いがフツフツと湧き上がり、今回およそ1万字となってしまいました……。

完全な1人の酒飲みのエゴによる1万字記事にどうぞお付き合いください!(祈)
 

某日、北海道「上川大雪酒造」にて・・・

川端さん、本日はよろしくお願いします。

上川大雪酒造杜氏・川端慎治さん

上川大雪酒造杜氏・川端慎治さん

よろしくお願いします。

突然なんですが、緑丘蔵(酒蔵の愛称)の中を案内していただいた際に、「これは川端さんが作りました」という酒造りの道具がいくつもありました。

そうですね、新しい酒蔵(設立は2017年5月)なので足りない道具については自分で手作りしてます。ホームセンターに行って、これとこれをくっつけたらできるんじゃないかな、という感じで作ったものが蔵の中にいくつかあります。

すごい、made by Kawabata ですね!
 

<made by Kawabata 作品の一部>

▲排風ファンとジャンボックスを組み合わせて作った、蒸米の放冷を行う道具。

▲アルミパイプとアルミ合板で作った、瓶の水切りを行う道具。

▲機械製麹用の麹箱と金網を組み合わせて作った、オリジナルの麹箱。

川端さんはいつから酒造りをされているんですか?

えっと……大学を中退して、それから酒蔵に入ったから、24歳くらいですかね。

「大学中退で24歳」って全然計算合わないですよ(笑)。

もう、なんかすごい面白そうなので、川端さんのこれまでをまず聞いてもいいですか?

そんな面白い話じゃないですよ(笑)。

酒造業界へ入ったきっかけ

大学は醸造科だったんですか?

大学は電気情報工学科なんです。全く肌に合わなくて、結局やめちゃうんですが。

どんな大学生活だったんですか?。

バイトしてお金を貯めては、ハマっていた日本酒につぎ込んで、いろんなのを飲みましたね。

大学生のとき日本酒に目覚めたんですね。きっかけはあるんですか?

山小屋で長期の住み込みのバイトをやってたときに、山から降りるときに40万円貯まってて。大学時代は金沢にいたんで、「この辺で一番のお酒を飲んでやろう!」と思い立って、買ったお酒が美味しくて感動したんですね。

へぇー!

酒飲んでたら、なぜか涙まで出てきちゃって。まったく感受性が強い人間じゃないのに、なんでいま俺泣いてるんだろう…って。自分でも衝撃だった。

その時の最高の酒ってなんだったんですか?

菊姫の「BY大吟醸」ってやつだったな。

菊姫とは:
石川県の菊姫酒蔵がつくる「菊姫」。川端さんが飲んだ当時は農口(のぐち)さんという酒づくりの神様と呼ばれる方がお酒を造っていました。→農口さんのインタビュー記事はこちら

それがきっかけで「日本酒業界に入ってみるか」ってなったわけですか。

そう。当時の日本酒業界は人手不足で、現場の高齢化も進んでたんで、こういう仕事もこれから面白いんじゃないかと。で、石川県の酒蔵から始まって全国の酒蔵を渡り歩きました。

酒造りの師匠との出会い

全国の酒蔵というのは、どちらの蔵で仕事をなさったんですか?

えっと、石川からはじまって福岡・岩手・山形・群馬・北海道……

え、そんなに…。

全国の酒蔵を渡り歩いた川端杜氏

全国の酒蔵を渡り歩いた川端杜氏

そのなかでも思い出深い蔵は?

俺の酒造りの師匠みたいな人ってのは、間接的ですが農口さんと、上喜元の佐藤社長。

上喜元(酒田酒造)とは:
山形県にある「上喜元(じょうきげん)」というお酒を造る酒蔵。社長兼、杜氏でもある佐藤正一さんは酒造業界でもよく知られる名杜氏。

上喜元では何年くらい?

上喜元は1年だけだね。

1年でも佐藤社長を師匠とおっしゃるくらい、その1年の影響が大きいということですか?何がそこまですごかったんでしょうか。

全てだね。それまで酒造りに対して「こうしなければならない」という思い込みが強かったけど、それが「こういうやり方もある。ああいうやり方もある」って自分が信じてた以外のやり方をたくさん教わって。

例えばどういうことですか。

例えば、一般的には酒米として山田錦が一番いい米だと思われていますと。「こういうお米の酒が最高なんだ」って主張する蔵が多いなかで、上喜元は逆に「毎シーズン新しいお米を使ってみよう」と言うんですよ。酒米の品種が20種類くらいあるの。

聞いたことないですね(笑)。

日本中のいろんな酒米を試していて。タンク1本ずつお米を変えて酒を造ったりとか。

酒造りの常識を覆されたんですね。逆になんで1年しかいなかったんですか?

最初から佐藤社長に「お前雇ってもいいんだけど、いま原料処理しかポジションは空いてない。それでもいいか?」と言われていて。「試しに雇ってやるわ」くらいな感じで。

原料処理とは:
原料である米を洗ったり、蒸したりする作業。酒づくりにおいて大切な部分ではあるが、杜氏になるまでの道のりを考えると初期の段階のほう。この場面での佐藤社長の言葉には「雇ってもいいんだけど原料処理しか空いてない。(お前はしっかりと経験を積んできているのに、若手のやるような仕事を任せちゃうことになるけど)それでもいいか?」という川端さんに対しての気遣いが隠れている。

原料処理しかできないとわかっていて行ったんですか。

絶対に為になるだろうなと。やるなら徹底してやろうと思って、とにかくひたすら原料処理だけを真面目に黙々とやってた。

とにかく辛抱強くやってたんですね。

上川大雪で作る現在の川端杜氏の麹

上川大雪で作る現在の川端杜氏の麹

ある時、転機がやってきて。酒づくりの時期はみんな順番に工場の泊まり番がまわってくるんですね。みんな各ポジションの担当者から指示を受けて作業するんだけど、麹(こうじ)の担当者が「好きなようにやっていいよ」って言ってくれて。

おお、チャンス到来!

そこで自分なりの麹を作ったんです。そしたら、翌朝「今日の麹なんか違うぞ。誰がやった?」「そういえば川端だわ」って話しになって。「なんか違うし、これはいいぞ」という話になったらしく。

麹だけでそんな違いが出るんですか!

そしたら佐藤社長が「ちょっとお前、麹の作業やってみろ」と。

何がよかったんでしょう?

うーん、なんでだろ(笑)。ただ、どの工程でもそうだけど、基本的なやり方があったうえで、その後は自分で考えなきゃダメで。「もっとこんな風にならないか」と考えながら、自分なりのいいものを作っていくことはいつも心がけてますね。

自分の頭で考えてやっていかないと、自分の実力としては身につかないんですね。

補足説明:
肉じゃがを作れるようになっても、いつまでもレシピ通りに何も考えずにいたら、同じ肉じゃがしか作れない。自分なりに味を変えたり、ジャガイモの種類を変えたり、調理器具を変えたりと、そういうことを積み重ねておけば、どこでも美味しい肉じゃがを作れるようになる、ということなはず。

なるほど。そこで一気に佐藤社長に認められて・・・?

それで佐藤社長が知り合いの群馬にある酒蔵を紹介してくれて、群馬の蔵へとつながるわけです。

全国を渡り歩き、故郷・北海道へ

そうして各蔵で経験を積んで、最後は北海道へやってくるわけですね。

それも行き先(酒蔵)はまったく決まってなくて、とりあえず40歳のときに故郷の北海道に戻ることだけ決めて。

それは何かきっかけだったんですか?

親も年を取ってきたし、故郷の北海道を拠点にしようかなと。

ついに帰郷ですね。

入れそうな酒蔵がなかったんだけど、北海道で有名な地酒専門店の社長と話をしてる時に、ふと金滴(きんてき)酒造の話が出て、「これから日本酒を造るかもしれないぞ」と。

"これから"日本酒を造るとは?

金滴は一度財政破綻して、民事再生になっていた酒蔵でした。

財政破綻して…。

そうそう。一度見に行ってみると、麹室(こうじむろ)もまともに使えるような状態じゃなくて、そこにいる人たちは「二度とこの蔵で酒づくりはできない」という認識だったね。

その状態で「行こう!」と思ったんですね…。それは言ってしまえば、かなりひどい状態じゃないですか?

この辺が面白いとこでね。そのとき「なんか面白そうじゃん」と思ったんだよね。

楽観的!(笑)

それまでいろんな経験をしてたし、酒を造る道具さえあれば酒は造れるだろうと。ちょうど、そういうチャンスがないかなと思っていたところでふとこう…(笑)。

40歳にしてゼロからのスタート。

ゼロじゃない、マイナス(笑)。民事再生になった蔵だから、評判はむちゃくちゃ悪いし。

マイナスの評判…!

マイナスからのスタートの先にあったもの

蔵に行ったら、麹室とかカビだらけですよ。いくら掃除してもカビの臭いが消えないから、ホームセンターでブルーシートとビニールシートを二重くらいに重ねて麹室の中に部屋を作って。

麹室(こうじむろ)とは:
麹を作る部屋。日本酒は菌を扱って発酵させるため、清潔な空間で温度と湿度を細かくコントロールをする必要がある。カビだらけというのは致命的。

酒づくりの話じゃなくて、DIYの話になってきてる(笑)。

限定給水(げんていきゅうすい)するのも、デジタル秤(はかり)なんてないから、昔の体重計みたいな台秤を使って給水量を調整しようとしたんだけど細かい計測には向いてなくて。

限定給水(げんていきゅうすい)とは:
お米にどれくらい水を吸わせるのかを綿密に計算してお米を洗ったり、水に浸す作業。お米がどれくらいお水を吸ったかで、蒸し上がりの状態が変わってきて酒づくりの全体に影響する。そのため10数キロのお米に対して、時間は秒単位、重さはグラム単位で細かく調整する。

だから最終的には「勘だな」と思って、「さっきのがああで〜、今度はこうなってるから〜」と全部自分の見た目と蒸し上がりの感触から直感で調整していった。

家の料理ならまだしも、酒造りを目分量で。出来上がりはどうだったんですか?

「それがちゃんとできてるのよ、さすが俺!」みたいな(笑)。

すごい!

お酒はできたけど、冷却するタンクも壊れていて。タンクを冷やす冷却水の代わりに、外の雪をうまく使って冷却水を循環させるような装置を作って。

また手作り!もう金滴では、麹室から冷却までmade by Kawabataですね!

試験醸造のお酒の評価は・・・?

金滴では、まずはタンク2本だけお酒を仕込んだのよ。そこで、さっきのマイナススタートが効く。

お、どういうことですか?

「ちょっと待て、これがあの民事再生の蔵の酒なのか?」って。マイナスだったから、振れ幅が大きくてインパクトがある(笑)。

なるほど!(笑)

だからみんなビックリ。それと最初から「吟風」「彗星」という北海道産米を使ってお酒を造ったんです。当時は北海道の酒蔵で、道産米でお酒を造って、その品種名を前面に出して積極的に売っている蔵はどこもなかったから。

「吟風」「彗星」とは:
ともに北海道の酒米の品種。食用米ではなく日本酒を造るために改良されたお米。

平成22年の秋に蔵に入って、平成23年の全国新酒鑑評会で金賞をとったんです。道産米の吟風だけのお酒で。

(※吟風を使用した日本酒で金賞を受賞したのは、川端さんが史上初)

いきなり金賞!!!一気にお酒が評価されたわけですけど、ブルーシートの中でお酒を造ってた時はどんな気持ちだったんですか?

「今に見てろよ」みたいな気持ちもあった。ただ、いざ酒造りになると、純粋に楽しんでたね。

「すごいことしてやろう」みたいなワクワクに近かったんですかね?

完全にワクワク。なぜかと言うと、各地の酒蔵で酒造りをやってきてるから、間違いなくうまい酒を造れる自信があったからね。ちょっと過信が入ってるかな(笑)。

どんな劣悪な環境でも、自分の経験を活かせばいけるはずだと。

上川大雪酒造の立ち上げ。文字通り「何もない」からのスタート

今回の上川大雪酒造の立ち上げは、どういったところから始めたんですか?

まず酒蔵の建物ができます。建物の中には、建築会社から借りたパイプ椅子2つと事務的な机しかない、そこからのスタートですね。

なんにもない(笑)。

ここ(インタビューしている事務所)にある机とか、棚とかもほとんど俺が組み立てた。

なんと! ここにもmade by Kawabataが!

上川大雪ではいつ頃からお酒を造り始めたんですか?

豊川陽子さん(女性社員)が入ってきた2017年5月23日からだね。

豊川陽子さん。地元スーパーの店長を退職して、上川大雪酒造へ

豊川陽子さん。地元スーパーの店長を退職して、上川大雪酒造へ

そこでついに…!

その大切な初日に新聞社とテレビ局4社が来たんですよ。マスコミを前に「さあ、お米を洗いましょう!」となった時には、まだ俺と研修生の吉田真子さんの2人しかいなかった。

写真右が24歳で日本最年少女性杜氏となった吉田酒造・吉田真子さん(福井県「白龍」の醸造元)

写真右が24歳で日本最年少女性杜氏となった吉田酒造・吉田真子さん(福井県「白龍」の醸造元)

(吉田真子さんの酒造りへの想いについては、Makuakeプロジェクトページより)

ワタワタしてる中でお米を洗い始めていきなり失敗して、もっとワタワタした時に豊川さんが「こんにちは〜」と初出社。

初めて出社して「何これ!?」みたいな。豊川さんかわいそう!(笑)

その後もありとあらゆるトラブルが起こるのよ、なにもかも初めてで。途中からみんな「よくこんな毎日イベントがあるね」と、「今日のイベントもすごかったですね」とか言って(笑)。

毎日がお祭り状態だったんですね。

全く想定していないことが、とにかくどんどん起こる。

ビックリ初出社をした豊川さんが洗米機にお米を入れている現在の様子

ビックリ初出社をした豊川さんが洗米機にお米を入れている現在の様子

師からのバトンを次の世代へ

今では蔵の方々も増えて、安定的にお酒を造れるようになってきて、この先はどういう展望があるのでしょう?

お酒も、蔵も、上川町にしても、いろんな伸びしろがあると思う。そういうところをドンドン引き出していきたいね。あとは、道産米を使ったお酒をとことん突き詰めると。

究極の道産酒を目指して。

奥が川端杜氏で、手前が豊川さん

奥が川端杜氏で、手前が豊川さん

そう。そのためにやっぱりお米も良くしないといけない。農家の人たちと協力して、どうやったらもっと良いお米を作れるのかを追求していきたい。 上川町のみなさんにも、蔵をもっと好きになってもらいたいし。

酒蔵の外からも見学自由なので、町の人もいつでも酒造りの様子を見に来れますよね。

蔵の外から酒造りの様子を見学できる!

蔵の外から酒造りの様子を見学できる!

そうですね。この間も、麹作りの様子を子供がジーッと覗いて見てるんだよね。造ってる途中の麹を窓に近づけて見せてあげると喜ぶわけ。

地域とすごく良い関係になっていますね。見に来てくれている地元・上川町の子どもたちの中から、いつか杜氏が生まれるかもしれませんね。

そういうことも考えられるね。むしろ、そうなってほしい。

次の世代にバトンを渡す、みたいなイメージはあるんですか?

そうだね。バトンを渡すことも含めて、蔵人には誰でも酒造りができるようになってほしい。レベルを上げるってそういうことなの。電話で一言二言だけ話しただけで、修正が効くとか。

なるほど。杜氏という肩書きは川端さんだけかもしれないけれども、「杜氏のような動きをいろんな人ができる」ようになってほしいと。

「これは誰々が設計したお酒だ」とか、そんな形でいろんな蔵人が造るパターンがあっても面白いだろうし。

酒造りで大事にすべきこと

蔵のレベルアップという観点では、上川大雪は少量仕込みで酒を造っているので、何回も何回も改善ができるんですね。

そうそう。

そうすると蔵人のみなさんも実践経験が積めて成長はやっぱり早いですか?

断然早い。小さいからいろんなことに目が行き届くしね。

川端さんも教えてあげられるし。 若い人からすると、貴重な機会になりますよね。

試験醸造の時に研修で来てた福井県・吉田酒造の吉田真子さんなんて、今は24歳で自分の蔵に戻って杜氏をやっているからね。そうやってドンドンやればいいと思う。ただ、みんなどうしても聞いた通りとか、本に書いてある通りにやろうとするので、自分で判断できる方法を教えてあげたい。

自分で考えられるようになりなさいと。

そう、これ結構大事で。情報は多いんだけど、情報を集めて組み合わせるだけじゃなくて、なんでそういう風に言われてるのか、何が変わるのかっていうことをちゃんと考えなさいと。

可視化されているところに気がいってしまうんですね。

麹づくりを教えていても、麹の温度だけしか見なかったりね。わかりやすく数値化される部分ばっかり見るんだけど、実はその裏にすごい色んなことが隠れているわけなんだよね。

「どうしてそうなるのか?」という部分ですね。

料理のレシピみたいに細かく書いてあったとしても、そんなことはどうでもよかったりして、大きく変わらなければ 「大体でいい」っていうときもある。それよりも「なぜそうなるのか」という原理原則のような部分を伝えてる。

料理についての補足説明:
ほうれん草を茹でる時に「お湯◯リットルに対して塩を◯グラムに入れる」ことを厳密にすることが重要ではなく、「なぜお湯に塩を入れるのか?入れるとどうなるのか?」という原理を知ることが大切。どれくらいなんてのは、原理を理解した上で体で覚えていけばいい、と川端さんは言っている、はず。

豊川さんも全くの素人から入ったのに、数カ月で触ったら米の違いがわかるようになったり。

成長の速度も早いんですね。

金滴の時に気づいたんだけど、見習うものがない環境でこそ実力が試されるなって(笑)。試験醸造の時にいた吉田真子さんには「こんな最高の研修はないぞ」って、「俺もわかんないから!どうやってこれを選択してくのか覚えなさい」と。

すごい経験ですね。

全部いちいち、「昨日と比べてどうだ?香りはどうだ? 今度はここを変えてみよう。こっちを変えたらこっちを戻す」って細かく細かく教えていった。

考えていることを口に出して、聞いてもらうってことなんですか?

そうそう。 すべての工程において、そういうことを繰り返して、「こうやって進めていくんだ。調整するとはこういうことだ」と。

これってもう蔵の話ではなく、仕事全般における話ですよね。どうやったら自分で考えられるようになるのか、考え方を教えるってすごく大切ですもんね。

そうですね。

「デジタルが進んでいくからこそ、自分で考えることが大切」というメッセージが、次の世代へ渡しているバトンなんですね。

俺の造る酒はこんなもんじゃない

最後になってしまうんですが、上川大雪で初めて絞った時のお酒を飲んだ感想はどうでしたか?

いい言葉が出そうだと思うじゃない?でも素直に思ったのは「なんとかこれくらいにはなったか」と、本当にそれだけ。ぜんぜん感動はしませんでした。失敗しなくてよかったな、くらい。

酒蔵を設計した建築家の大島さんも同じような感じで、「初めて出来たお酒を飲んだ時どうでしたか?」と聞いたら「良かった、なんとかできた」そう思ったそうです。僕は川端さんからも同じ言葉が聞けて感動しました。上川大雪酒造の立ち上げメンバーはみんな一緒の感想だったんですね、初めてのお酒を飲んだ時。

試験醸造の1本目の時よりも、今は格段にうまくなってるから。それでも、まだこれからですよ。

made by Kawabataの真骨頂ですもんね、お酒こそが。家具じゃないですもんね(笑)。

お酒を造るのが専門だからね(笑)。

上川大雪酒造のお酒は「こんなんじゃないぞ」と。

そう。俺の造る酒はまだまだこんなもんじゃない。

あとがき

今まで、僕が抱いていた「杜氏」さんのイメージを川端杜氏は良い意味で大きく変えてくれました。

工学系の大学を中退して25歳から酒造業界へ。数年ごとに日本中の蔵を渡り歩き、どん底からのスタートをあえて選ぶ。そして、最終的には業界の常識をくつがえした、革新的な酒造の立ち上げに参画する。

酒造りの中で杜氏さんというのは職人気質なイメージをしていたのですが、川端杜氏からはベンチャー魂を感じました。

話していて最も強く伝わってきたのは「置かれた環境で花を咲かせる」という強靭な意志と、「物事を原理から捉えてアレンジする」という柔軟性でした。

どんな状況だろうと決して環境のせいにせず、置かれた環境の中で結果を出す。見習うものなどなくとも、どうにかして問題を解決していく。

そんな素晴らしい杜氏さんだったからこそ、北海道で戦後初の酒蔵「上川大雪酒造」の誕生が実現されたんじゃないかと思います。

そして試験醸造1発目からすでに美味しいお酒を作っていた上川大雪ですが、川端杜氏は言います。

「まだまだこんなもんじゃない」

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設立1周年「上川大雪酒造」オンラインショップ


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